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2023.08.18 UP

第12回 カナダ トロント
新田享子さん(仕事編)

第12回 カナダ トロント<br>新田享子さん(仕事編)
※『通訳翻訳ジャーナル』2023年夏号より転載

海外在住の通訳者・翻訳者の方々が、リレー形式で最新の海外事情をリポート! 
海外生活をはじめたきっかけや、現地でのお仕事のこと、生活のこと、おすすめのスポットなどについてお話をうかがいます。

新田享子さん
新田享子さんKyoko Nitta

三重県出身。英日翻訳者。サンフランシスコ州立大学英語科卒業後、シリコンバレーのIT企業のローカリゼーションや、半導体企業の社内翻訳者と管理職を経験。カナダへの引越を機にフリーランスとなり出版翻訳も始め、縦横無尽にさまざまなノンフィクションを多数翻訳。長年手芸系のブロガーだったが、今は、映画プロデューサーの友人とポッドキャストに夢中。趣味は手芸。訳書に『トラウマ類語辞典』『職業設定類語辞典』(フィルムアート社)、『危機の地政学 感染爆発、気候変動、テクノロジーの脅威』(日経BP)など。
HP:https://kyokonitta.com

アメリカの大学へ進み現地で産業翻訳の道へ

私は日本からアメリカの大学へ進学してそのまま現地で就職し、その後、アメリカからカナダへ移住しています。現在は家族とカナダのトロントに暮らしています。

翻訳という仕事を意識したのは、サンフランシスコで大学院に通っていた頃のことです。卒業を間近に控え、当時サンフランシスコにあった翻訳会社主催の翻訳コンテストになんとなく挑戦してみたら入賞。そこから翻訳の勉強を始めました。その後1997年に、卒業と同時に翻訳講座の講師の方に「企業のローカリゼーションチームで翻訳をしないか」と声をかけていただき仕事を始めました。当然、最初は「ローカリゼーションって何それ?」という状態でした。

当時のローカリゼーションは、主要ヨーロッパ言語の中に、アジア言語として唯一日本語が加わっているのが一般的でした。そのIT企業が開発していたのは、人事管理、財務管理、在庫管理などを行う巨大なソフトウエアシステム。日本語だけが文字化けする、なんてことがよく起きていたので、エンジニアさんや管理職の人は大変そうでした。

このときご一緒した人からの紹介で、99年、ある半導体企業に社内翻訳者として入社しました。入社の翌年には翻訳部の管理職に就き、その後約10年間、アメリカ流の人材管理を学びました。また、フルタイムの仕事を続けながら、週末に少しずつ翻訳と通訳の仕事を引き受けて、フリーランスとして独立する準備をしました。通訳の訓練も受けたことがあり、仕事としてやっていけるかどうかを試しましたが、結果は不向き。通訳は半年で辞め、翻訳を専業でやろうと決めました。

2010年、家庭の都合でカナダに移住することになり、会社を辞めました。カナダに入国してから永住権を申請したので、いったん国外に出て再入国する「ランディング」という手続きをとる必要がありました。ナイアガラの滝の近くに、徒歩で国境を渡れるレインボーブリッジという橋があるため、家族と一緒にこの橋を渡ってアメリカに行き、一杯ビールを飲んでから、また歩いてカナダに再入国し、正式に永住権を取得しました。

産業翻訳で私が関わるITや半導体分野のクライアントは、ほとんどがアメリカ企業です。元々はカナダで起業した会社でもすぐに買収されてアメリカの会社になってしまうため、カナダに移ってからもずっとアメリカ企業とのみ取引しています。

トロント市のランドマークで、夜はイルミネーションがきれいなCNタワー。

トロントの新市庁舎。「TORONTO」のロゴマークの前にあるのはスケートリンク。冬になると氷を張るので、市民がスケートを楽しむ。

カナダに移住後は出版翻訳の仕事も始める

出版翻訳を始めたのは、翻訳の仕事を始めてから20年ほど経ってからのこと。昔から読書も、文章を書くのも好きだったため、ずっと興味はありました。カナダに移住してから出版翻訳オーデションを受け始め、最初は落ちてばかりでしたが、あるとき1次選考を突破。驚いていると、最終的に選ばれた訳者さんが辞退され、ピンチヒッターに指名されたとの連絡が。出版翻訳デビューが超特急仕上げとは不安でしたが、チャンスが巡ってきたのは確かです。このとき、管理職時代の経験が役立ちました。「自分はピンチヒッターなのだからピンチをしのげばいい。うまくいったら、『以後、お見知りおきを!』とアピールするくらい図々しくいこう」と思い直し、必死でやりました。

それからだんだんと、ノンフィクション作品の翻訳依頼が直接来るようになり、2017年の第3回日本翻訳大賞では、訳書の『アシュリーの戦争』(KADOKAWA)が2次選考まで残りました。これはとてもストーリー性の強い作品だったので、「文芸もやってみたい」と夢が広がりました。最近の仕事のバランスは、産業翻訳が週に15時間から20時間程度で、それ以外は出版翻訳です。国際政治、文芸理論、ファッション、軍事、ビジネス手記など、縦横無尽にやっていて、今は気候変動の本を訳しています。また、2022年には著作権切れの作品の自費出版にも挑戦しました。イラストレーターの友人と組んで、カナダを代表する作家ルーシー・モード・モンゴメリの短編『A Christmas Mistake』をオリジナルイラスト付きで自費出版しました。邦題は『クリスマスの伝言』。電子書籍化もして、Kindle Unlimitedでも読めるようにしています。本のデザインや、制作・流通コストも自分で考えるので、そうしたことに興味がある方にはおすすめの出版方法です。

2022年に自費出版した『クリスマスの伝言』。紙にもこだわり、プロの編集も入れて制作した。

フリーランスとして感じる日本と北米の意識の違い

仕事をする上で日本との違いを感じるのは「自分の推し方」です。北米にいる友人知人からは、「自分の筆一本で食べていくなら、自分の名前でドメイン名をとるべきだ」とアドバイスを受け、独立してから自分のフルネームをドメイン名にしたウェブサイトを作りました。また、オリジナルのロゴも持っています。海外在住のため、なかなか日本の出版社の方にお会いする機会がありませんが「このロゴはあの人だ!」と認識されるのに役立っています。こうしたことは、日本だとたまに「自分好き」だと冷笑的に受け止められることがあるようです。
 
カナダで暮らし、アメリカのクライアントとのやり取りをするため、それぞれの国で綴りの違う単語には少し気を付けています。例えば、「center」(アメリカ英語)と「centre」(カナダ英語)など。また、メールだけの付き合いなので、金曜日に交わすメールは「Have a good weekend!」と明るく結ぶようにしたり、Linkd Inは必ずつなげて、互いの様子がわかるようにと気をつかっています。

永住権を取得する際に、歩いて横断したレインボーブリッジにて。

<ある1日のスケジュール>

10:00 翻訳作業開始。午前中は主に産業翻訳をする。
*最初にメールチェックと、その日の仕事の時間配分を書き出す。
13:00 昼食。天気がよければその後散歩に。
14:00 出版翻訳をする。もしも訳す本がなければ読書。
*リズムに乗れば、ずっと訳し続ける。
18:00 夕飯の買い物&料理、夕食。
20:00 出版翻訳の続き。
24:00 映画やドラマなどを見る。
*英語字幕を必ず表示し、スラングや口語表現の勉強も。
26:00 就寝