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2023.09.05 UP

第2回 フィギュアスケート選手の言葉を訳す難しさとは?

第2回 フィギュアスケート選手の言葉を訳す難しさとは?

会議通訳者、兼、スポーツ通訳者として活躍されている、平井美樹さんによる連載コラム!
日本スケート連盟の通訳者として数多くのフィギュアスケートの大会で通訳を務めるほか、五輪やサッカーW杯、ラグビーW杯にも通訳として関わる平井さんが、フィギュアをはじめとするスポーツの通訳の仕事について語ります。
(※隔月更新予定)

フィギュアも通訳も自分との戦い

フィギュアスケートはライバルと競い合い、切磋琢磨する競技ですが、基本的には自分との戦いであり、「日頃のトレーニングの成果を本番の大舞台でしっかり出し切れるか?」がすべてです。通訳者もたくさんの資料を読み込み、あらゆる場面を想定して練習を重ね、本番にのぞみます。どちらも本番に出したものだけで評価される点は同じだと思います。

フリーランスの通訳者にとっては、本番の評価でNGが出たり、ダメ出しをいただいたりした上で何度かチャンスをいただくこともあります。そして顧客との信頼関係が構築できると、ご指名をいただくこともあります。
スケーターは優勝しても、自分の納得のできない滑りだと、自ら課題を見出し、練習で修正をしてさらに高みをめざして演技に磨きをかけていきます。浅田真央選手がよく言葉にしていた「ノーミス」「パーフェクト」という表現にはいまだにいろんな解釈があるでしょうが、その境地で、スケーターも通訳者も自分と戦っています。

そんなフィギュアスケートの選手たちの言葉は、正直なところとても訳しにくいです。勝ち負け、白黒はっきりした上での感想とは少し違います。本人にしかわからない感覚を言語化しているからでしょう。自分との戦いの中で得た手応えや反省点などを語る選手もいれば、心の揺らぎがどう演技に影響したかなど、精神面が語られることもあります。

2023年3月にさいたまスーパーアリーナで開催された世界フィギュアスケート選手権の記者会見での通訳の様子(左端が平井さん)。

宇野昌磨選手の記者会見にて

2023年3月に日本で開催された世界選手権の記者会見の通訳では、宇野昌磨選手の言葉を英訳するときに訳語が見つからず悩み、今も悩み続けています。

「淡々と滑っている」の「淡々と」の意味を捉えかねていたため、私の訳出はつまらないものになってしまいました。この場を借りて宇野選手やファンの皆さんにお詫び申し上げたいです。「気迫」と「淡々と」の裏にある意味を考えて、訳語が選びきれずにいたため、全体が無駄の多い訳出になり反省だらけでした。フィギュアでいうとエレメンツでダウングレードされ、GOE(Grade of Execution)もおそまつな結果といったところです。

ただ、彼の考えの流れ、それも冷静に結果を求めるための勝ちの戦略と、スケーターとしての自身のあり方についての考えを追うことはできていたと思います。言い訳がましくなりますが、長い競技を夜まで見守り、大会の裏で走り回ることもあり、生放送の緊張のなか、記者会見の本番にピークを合わせて、頭脳明晰に彼らの言葉を扱うのは何度やっても難しいことです。通訳者としての真価が試される場だと思います。

【平井さんの訳を紹介!】
宇野昌磨選手のインタビュー&
「今ならこう訳す!」と思う英訳

宇野昌磨選手:ISU世界フィギュアスケート選手権大会2023の記者会見にて

※「今シーズン、宇野選手は練習通りの演技をすることを大切にしていたが、今回は直前の怪我などのコンディションもあり、練習以上のものを出さねばというプレッシャーがあったと思う。しかし、だからこそ見ている者を引き込む気迫があったと感じた。今後試合に臨む際に、そのあたりのバランスをどうとっていくか?」という記者の質問に対して

僕も観る側であれば、本当に気迫のこもった演技というのは本当に心に響くものがありますし、本当に見る立場の気持ちだけを考えれば、僕もそういう演技のほうが好きなんですけど、長年スケートをやってきて、やっぱりやる側である以上、試合に対しての気持ちのコントロールといいますか、やっぱり試合がストレスになったこともやっぱりありましたし、試合に対する考え方というのは長年やってきた中で、なかなか練習どおりが試合で出せない、それは本当に試合のときは練習以上の力を発揮しようとしてしまう自分が大きかったのかなとも思いますし、失敗を恐れすぎていた、そういったところからすごく冷静になり、本当に練習どおりの演技を試合でできるようになってきました。

本当にそれはすごくいいことだと思いますが、だんだんと、淡々? 淡々としたすごい演技が最近よく目立ったなと。ファイナルもすごい良い演技ではありましたけれど、久々に自分で見直した時になんかまあ、心に響くような演技であったかな? とは思えない演技だなというのは見ていて思ったので。
まあ、正直どっちが正解なのかというのはわからないのですけど。結果をだすだけ、結果を求めるのであれば、本当にこの2年間やってきたことは間違いないと思いますが、僕もスケーターとして何をめざしたいのかということは、これから考えていきたいと思っています。

今ならこう訳す! 平井さんの英訳:

If I were on the spectator side, I could understand that if I am truly driven and put on a performance full of spirit, it would move people. And If I were to think only of the people watching, that is the kind of performance I would prefer. I have been skating for a long time and because I am on the side to perform, I had to think about how to have mental control of myself in competitions. It’s true there were times when competitions were stressful. In the many years I have been skating, I developed my approach to competing. There were times when I couldn’t perform at the same level as I had trained and that may be largely due to my being too psyched up to do better in competition than in practice. I could have been too afraid to make mistakes as well. But from this state, I’ve changed to being more cool headed and calm with my approach. This allowed me to perform exactly as I had trained.

I truly believe that this is a good thing, but I have also come to realize that recently my performances looked as though I am too cool headed or even detached. I don’t usually review my skating but as I was going over my performance at the Grand Prix Final, I admit that it was good but I was saying to myself that this is not something that would truly resonate with people.
To be honest, I don’t know which would be the right answer but if I were to pursue the results, of course what I had been doing for the past two years was not wrong, but I am now at this place where I would like to think about what I will strive for as a skater.

宇野選手のいう「淡々と」というのは勝つために冷静に自分の感情を抑えながらも、いままで積み重ねてきた練習を信じて、ニュートラルな状態で望むことだと解釈します。そして「気迫のこもった演技」とは、怪我を押して出場する自分を奮い立たせて、いわゆるゾーンのさらに先にある真っ白な世界で、気力で身体を動かしていたことをイメージして出てきた言葉ではないかと想像します。その気迫が、人々を感動させる力があるのです。

もちろん、本人は淡々と滑った演技でも、観客は息を呑んで鑑賞し、静かに心揺さぶられるものだったはずです。ステファン・ランビエールコーチと同じ二連覇を果たした直後に、三連覇を達成、といった成績の話ではなく、スケーターとしてのあり方を自らに問いかけているのです。その深い考えをどこまで理解し、英語で伝えられたかはわかりませんが、国内外のコメントを見る限り、多くの人の心の琴線に触れたのではないかと思います。

この通訳をしたとき、私も通訳者として「淡々と」訳すことも心掛けながら、やはり「気迫」のこもった通訳で選手たちの考えと心を伝えていきたい、そのためのトレーニングを積んでいきたいと思っている自分に驚きました。通訳者としてのあり方を考えるきっかけを与えられましたので、それに応えていきたいと思います。

宇野選手の記者会見&当時の平井さんの訳が聞きたい方はこちらの動画をチェック!
Men Free Skating – Press Conference #WorldFigure 2023
https://www.youtube.com/watch?v=VUfKAQTtuLE
※上記の引用箇所は15:55~

★平井美樹さんの連載一覧はこちら

平井美樹
平井美樹Miki Hirai

会議通訳者兼スポーツ通訳者、 日本スケート連盟通訳者。学生時代にESPN Sports Centerを翻訳するアルバイトから通訳の道に入る。NHKの大リーグ、NBA、NFL放送の通訳スタッフ、広告代理店の社内通訳を経て、現在はニュース、国際関係、安全保障、企業買収からエンタメ、相撲の英語放送までをこなす放送・会議通訳者。五輪やサッカーW杯、ラグビーW杯にも通訳として関わるほか、日本スケート連盟の通訳者でもあり、数多くのフィギュアスケートの大会で通訳を務める。日本から海外へのPR、エグゼキュティブ向けグローバルコミュニケーションコンサルタント、企業からアスリートまでのメディアトレーニングも手がける。