50年後も読まれる児童文学を訳したい/村上利佳さん

ずっと英語が好きで、大学でも英語を専攻していたわたしは、学生の頃、こんなことを考えていました。「わたしは英語が得意。だから、子どもが生まれたら家で翻訳っていうのもいいよね」と。「翻訳ぐらい、いつでもできる」と。なんて愚かだったことか……。

いざ結婚し、子どもが生まれ、以前思い描いていたように「家で翻訳」をやってみようとしたのですが、トライアルは軒並み落ちるし、当時はたくさん開催されていた絵本コンテストも一次予選すら引っかからない。自分の訳文の何が悪いのかもわからない。ただひたすら落ち続けるだけ。「どうなってんの!」と思いましたが、それ以上どうしていいかもわかりませんでした。今思えば、なんと「井の中の蛙」だったことでしょう。

翻訳仲間に出会い、持込からデビューへ

そんなとき、偶然知ったのがオンラインサークル「やまねこ翻訳クラブ」でした。コンテストの事後勉強会に参加したわたしは、自分の実力がいかほどかを思い知らされる結果に。それも当たり前、当時のわたしは、原書を1冊読み通したことすらなかったのですから。それでよく「翻訳ぐらい」なんて言えたものですよね。

原書を読むこと、レジュメを書くこと、訳文を練り上げること、レビューを書くこと。翻訳に大切なことはすべて、このサークルで仲間たちの姿勢を見て学びました。

ただ、それらを学んだからといって、それが仕事に直結するほど甘い世界ではありません。とりわけ、英日翻訳者はすでに実力も実績も兼ね備えた方がたくさんいらっしゃいますし、同じような新人もこれまたごまんといるわけです。

そのなかでどうやって「訳書を出す」という夢をかなえたらいいか……試行錯誤が始まりました。気に入った原書のレジュメを書き、出版社に緊張しながら電話をかけ、自己紹介をし、検討してもらえないか打診する。この繰り返しでした。

そんななか、幸いにも先輩にご紹介いただいた出版社で、持込作品を検討していただけることになりました。同じころ、やまねこ翻訳クラブに対しオファーがあった作品にも、複数の仲間と取り組むことができ、一見すると順調なデビューを飾ることができました。

あきらめずに良い原書を発掘する

でも、その後はリーディングをこなせど良い原書に当たれず、自分で「これだ!」と思った原書はどこにも採用してもらえず、たまに仲間を通じてお仕事はさせていただいていたものの、なかなか納得のいく結果が出せませんでした。

ただひたすら原書を探し、読み、持ち込み、結果に泣く……そんな日々でも翻訳をやめず、あきらめずに済んだのは、一緒に走ってくれる仲間がいたから。共に愚痴を言い、励ましあい、だれかが訳書を出せば自分のことのように喜ぶ……そんなかけがえのない仲間とめぐりあえたことで、夢をあきらめずにすみました。幸い、昨年から新シリーズを手がけられるようになり、今までがんばってよかったと心から思っています。

わたしが翻訳者だと知ると「自分のやったことが形に残るなんてすてき」と言ってくれる人がたくさんいます。確かにそのとおりで、翻訳のおかげで、わたしの人生は何十倍も充実したものになりました。

尊敬する故ドナルド・キーンさんが以前「50年前の政治家の名前は忘れられても、50年前の文学作品は読まれるのです。文学には力があるのです」とおっしゃっていました。
翻訳はすばらしい原書があってこそで、「他人のふんどしで相撲を取るようなもの」だとは思います。それでも、日本語の作品としてでき上がったものは翻訳者と編集者、そして画家さんやデザイナーさんなど多くの人たちの努力の結晶であり、「自分たちの作品」だと思います。
 
50年後の子どもたちにも読んでもらえるような作品をこれからも発掘し、訳していくことが、わたしの夢です。

 

★『通訳・翻訳ジャーナル』2019年夏号より転載★