希少なフィンランド語 翻訳者の想いは同じ/古市真由美さん

フィンランド語の文芸翻訳をしています。この言語は北欧フィンランドの公用語のひとつで、話者数は500万ほど。スウェーデン語などほかの北欧の言語(英語の親戚でもある)とは似ておらず、親戚にあたるのはエストニア語……と書くと、ずいぶん変わった言葉のようだな、さぞ変わった生活をしているのでは、と思われる(期待される?)かもしれませんが、翻訳者としてのわたしの日常に、特別変わったことはありません。

現地の書評や賞情報を頼りに未訳の原書をチェックして、よい作品があれば持ち込みをし、リーディングを引き受け、縁あって出会いに恵まれれば翻訳をご依頼いただいて、訳書を出すに至る。出版翻訳に携わる方なら、言語によらず、みなさん同じような感じではないでしょうか。

マイナー言語ゆえ日本語辞書がない

とはいえ、扱っているのがいわゆる「マイナー言語」であることは事実です。マイナーゆえに苦労する点といえば、やはり情報の少なさでしょうか。たとえば辞書。フィンランド語‒日本語の辞書はほとんどなく、フィン‒フィンやフィン‒英を使うしかないし、辞書の種類も多くはありません。また、固有名詞その他、定訳がなかったり、カタカナ表記が定まっていなかったりするものも多いので、どんな日本語にするか、訳しながらひとつひとつ自分で考え、決めていくことになります。
イディオムなども同じ。忙しいときは、英語なら辞書に載っているだろうな、いいなあ、とうらやましくなったりもしますが、こういう作業こそ「マイナー言語」の醍醐味ともいえるもの。人跡未踏の地を探検し、真っ白な地図を自力で埋めていくような、地味ながら胸躍るおもしろさ、たまりません。

わたしがフィンランド語を(おもに日本で)学びはじめたのは90年代初め、社会人になってからでしたが、教材も少なく、語学学習そのものがなかなか大変でした。それでもこの言語との付き合いをやめなかったのは、ともに学ぶ仲間がいてくれたから。志を同じくする仲間の存在がいかにありがたいか、これは翻訳の道でも同じでしょう。わたしの場合、ネット上のコミュニティ「やまねこ翻訳クラブ」で、広く出版翻訳に関心を持つ仲間を得たことが、強力な支えになっています。「やまねこ」会員は英日翻訳の人が多いですが、言語を超えたつながりがあり、その人脈はクラブの外へ広がっています。

やまねこ翻訳クラブの仲間に支えられ

11年前、初めての訳書『シーソー』(ランダムハウス講談社)を出したときも、きっかけをくれたのは「やまねこ」仲間のひとりでした。フィンランド語のリーディングの仕事があると紹介してくれたのですが、蓋を開けてみると、原書はわたしがすでに読了していた作品。児童文学賞の受賞作、内容も魅力的で、注目していた一冊でした。当時、わたしはまだリーディングの経験があまりなく、緊張しつつも必死にレジュメを書いて提出したところ、訳者として採用されたのです。

いま思えばいろいろ未熟でしたし、幸運な流れでしたが、このとき声をかけてもらえたのは、「フィンランド語ならこの人」と思いだしてくれる仲間がいたからです。さらに、日本語の文章の練り方や調べ物の仕方、賞情報をチェックすべしといったノウハウを、「やまねこ」の活動を通して学んでいたことで、基礎体力がついていたのは大きかっ
た。

「マイナー言語」の翻訳を志す人に、ささやかな経験からわたしが言えることがあるとすれば―自分の専門にこだわらず、英語をはじめさまざまな言語の翻訳に取り組む人たちと、積極的に交流するとよいのではないでしょうか。もちろん、語学力を磨いたり、特定の国や地域の情勢をフォローしたりするのは、自分で努力するしかありません。それを支えてくれる語学仲間も大事です。

ただ、出版翻訳の仕事を考えたとき、海外の優れた作品を最良の形で日本の読者に届けたいという思いは、もとが何語であれすべての翻訳者に共通するはず。どんなに「マイナー」な言語だろうと、何も「特別」ではない。わたしはそう思っています。

 

★『通訳・翻訳ジャーナル』2018年秋号より転載★