第8回 通訳トレーニングにもなる翻訳力向上法

機械化時代に求められるもの

第5回で触れたように、コロナ禍で通訳ガイド業務が無くなったが、最近は翻訳と講師業で忙しくしている。そして、この連載のタイトルにもなっているように「通訳へのチャレンジ」も続けている。

通訳トレーニングをしていて改めて思うのは、インプットとアウトプットの訓練は別物ということだ。通訳でいえばリスニングとデリバリーの訓練。翻訳でいえば読解と訳出の訓練。学習者なら両方するのが当たり前だ。しかしプロになると、(ちゃんと訓練しているとしても)インプットに偏りがちではないか。

一つには「仕事がアウトプットの訓練」という意識があるのだろう。たしかに日々大量に訳していると、それで十分な気がしてしまう。ただ、それだけでは自分の訳し回しを繰り返し、同じ表現、同じ構成を使い回すだけで、幅は広がらない。

機械化の時代、豊かな表現力と構成力がますます重要になっていく気がする。翻訳者であれば、文のポイント、段落の要点、文章の要旨を押さえた上で、それが伝わるような文章を、対象読者にすっと入るようにつむいでいく。AI翻訳が文、せいぜい段落の置換にとどまるとすれば、多彩な表現で多様な文章を構成する力こそが、機械との差別化の源泉となり、強みとなる。

だからたくさん読みましょう、と言われるが、いくら読んでも書く力は鍛えられない。活字中毒者イコール文筆の達人ではない。読むことも訳の質を保つために重要だとは思う。僕の場合、例えば英日翻訳の仕事が忙しくなって新聞を読むことさえままならなくなると、日本語表現の泉が枯れて訳出がスムーズにいかなくなるように感じる。それでも、読むだけで泉を広げることはできない。

だからたくさん書きましょう、ということだが、自分で文章を書くというのは、なかなかおっくうだ(だから本コラムもなかなか更新されない)。しかも、結局いつもの表現、いつもの構成となってしまい、わだちから抜けられない。もっと気軽にできて、文章のバラエティを広げられる方法がある。「写経」つまり他人の文章を写すのだ。

日本語で「写経」をしているノート。下手な字ですみません

 

リテンション強化にも「写経」

「天声人語」を写すなど、昔から(続けるかどうかはともかく)行われている文章上達法で、目新しくはないかもしれない。ただし、単に手本を写すだけではあまり効果的ではない。できるだけたくさん覚えて、手本を見ずに書く。そして自分で添削する(なので手書きのほうがベター)。すると、自分のクセや、そこから抜け出るために使える表現といったものが見えてくる。

日本語なら「てにをは」、英語なら冠詞や前置詞のような要素の不一致から、パンクチュエーション、文の組み立ての違いまでが浮き彫りになる。最初は1文だけ、そこから2文、3文、段落まるごと、と一気に書く量を増やしていくと、段落や文章の組み立て方にも意識が向く。

手本は何でもいい。もともとは大学時代、祖母の家に遊びに行ったものの深夜やることがなさすぎて、好きな作家の小説をワープロ専用機でブラインドタッチを覚えながら写したのが始まりだった。なんだか自分が書いたような気になり、それから文章を書くことが好きになって、翻訳者を志望するきっかけになった。

最近は日本語であれば高3の長男から参考書を借りてきて、現代文の問題を写している。もっと実務に直接関係するもの、例えば経済記事、英文の契約書やレターを手本にすることもある。効果は意外とてきめんだったりする。書いた表現を1週間もしないうちに使う機会が出てきて、そのとき完全に自分の血肉となる。

通訳と翻訳では訳の構成も適した訳語も違うので、デリバリー向上には直接つながらないかもしれないが、表現の幅は広がると思う。書く習慣をつけることによって、読み聞きした言葉に対する感度も上がる(比べるから)。また、リテンション(聞いた内容を保持する力)のトレーニングにもなるはずだ。

最近、歯医者で痛い思いをした。奥歯に歯石がこびりついていたそうだ。朝晩欠かさず歯磨きしていたのに(時には仕事が忙しくてスキップしたかもしれないけど)、少しずつ溜まり続け、金属で削らないと取れないほどの石になるなんて。落とされてもしがみつく、その粘り強さ、意思(石?)の強さ、なんなら見習いたいぐらいだ。実務に追われて時間が取れない時期があっても、通訳と翻訳のトレーニングを続けていきたい。

こちらは英語。今は1ページ半ほど一気に書く

 

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