Vol.26 アルゼンチンでの
バイリンガル子育てプラス2言語(前編)
/スペイン語通訳者 相川知子さん

スペイン語が大好きでアルゼンチンのブエノスアイレスで通訳、翻訳を生業としています。配偶者はアルゼンチン人、二人の娘はアルゼンチン生まれです。ほっておいたら家族はみんなスペイン語のみであったでしょう。

しかし結果的に、現在19歳と18歳の娘たちの母国語はスペイン語で、日本語はあまり複雑なことや読み書きはできませんが、ほぼ母語です。さらに、英語とフランス語もそれぞれのレベルがありますが、英語はできるレベルで、そしてフランス語は少しわかるレベルにはなっています。

アルゼンチンでの、バイリンガル子育て+2カ国語習得にチャレンジした日々を、2回にわけて紹介します。

ママが日本語、パパはスペイン語
を日々の生活で徹底

20年前に長女を授かったとき、私自身が日本語とスペイン語を教えていたこと、また大学院で言語科学を専攻したことや、日系移住者の先人の子育ての様子を見たこと、さらには『ヒロシ、君に英語とスペイン語をあげるよ』(北村崇郎/北村光世著、草思社)を読んだことにも影響を受け、両親が一人一言語で話しかけ、バイリンガル子育てをするという子どもへの言語ポリシーを決めました。先進国日本での進学に有利になる、または仕事目当てといったことではなく、ルーツが日本であるのだから、日本に行って親戚と会うのに最低限困らない日本語ができるようになってほしいという思いがありました。また一方でアルゼンチン人として育つのですから、現地のことや勉強も、そして、本人のアイデンティティの確立も重要であると考えました。

スペイン支配下から独立し世界中の移民からなるアルゼンチン社会では、近年少なくなってきたものの、ドイツ語や英語、そしてイタリア語、さらにアルメニア人コミュニティなどいろいろな民族社会があり、それぞれその言語の学校もあります。そのためスペイン語と日本語で育てたいという私の考えに、夫も特に異論はなく、比較的自然な成り行きでした。

そのため、基本的にお腹にいるときから私は子どもに日本語で話しかけ、私以外の父親、お手伝いさん、そして学校などの環境はスペイン語というバイリンガル子育てを実践しました。
しかし、ふと「日系のバイリンガル校もいいのではないか、鯉のぼりや七夕などの日本的行事習慣を習得するのは集団ですべきなのでは?」と思い、日系幼稚園の日本語部に数時間入れてみたこともあります。しかし様子を見ていると、幼稚園の先生は日本語なのですが、長女は日本語からスペイン語にほかの子のために通訳していました。そのため、やはり普通にアルゼンチン人として育つことも必要と考え直しました。

小学生のころ。

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