Vol.24 “心のバリアフリー”と自立心を意識して
/通訳者・大学講師 山崎美保さん

下の娘が今春、やっと大学一年生になり、子育てもひと段落でしょうか。振り返ると、自分なりに一生懸命に育児をしたという自負はあります。こう書くと、子どもたちに小さい頃から英語を教えて、いわゆる英才教育を施した、と思われるかもしれませんが、まったく違います。結婚、出産を機に仕事を辞め、時間があったので、育児書を読んだり、先輩ママの話を聞いたり、いわゆる理想の母親像に近づこうと努力はしたと思います。しかし、だんだん自分や子どもたちを枠に入れる不毛な作業に疲れ、子育てには正解がないことに気づきました。
幼稚園の頃には、自身が昔使っていた英語の初級テキストをわざわざ取り寄せてトライしたこともありますが、気がつけば子どもの人格を否定するくらい怒っている自分がいて、これでは英語を嫌いにさせてしまう、ときっぱりやめました。私自身が、小さい頃から英語を勉強したわけではなかったので、「子どもたちも興味があれば勉強するだろう」くらいに思うようにしました。

英語を通じて“心のバリアフリー”
と自立心を身につけてほしい

このようなわけで、私は英語を子どもたちに教えていないのですが、英語を通して私が学んだ“心のバリアフリー”や自立心は身につけてほしいと思いました。“心のバリアフリー”とは、世の中にはいろいろな背景を持った人々がいることを知り、それぞれいいところを見つけ、認め、尊敬することです。それを私は、高校生のときに市の親善使節として渡米した際に学びました。これまで一度もあったことのない、文化、人種の異なるホストファミリーが、自分を本当の家族のように扱ってくれたこと、彼らと心が通じたこと、これが原体験となり、その後の私を変えてくれました。子どもたちにもいろいろな人に会って、その人のいいところを見つけて尊敬してほしいと思いました。
そこで、できるだけ意識的にホストファミリーを引き受けたり、さまざまな年齢層の人たち―会社の元上司、同僚、外国人の友達-などと会うときや、仕事先にも子どもたちを一緒に連れて行きました。幸運にも子どもたちも市の親善使節として渡米することになり、私と同じようにすばらしいホストファミリーに恵まれ、同じ体験をさせてもらえました。

また自立心についてですが、私はニューヨークに交換留学をした際、自分で主張すべきところは主張し、また人の意見は聞くけれど、何か決めるときは自分の責任で決めるべき、ということを痛感しました。日本は和を尊び、言葉にしなくても以心伝心ができる高コンテクスト文化です。日本にずっと住んでいると、この環境が当然と思ってしまいます。しかし、これからの世界を生きていく子どもたちにとっては、自分の責任で決定すること、また必要なときに意見をしっかり言えるようになることが、大切なのではないかと思いました。
そこで、娘と息子が兄妹喧嘩したときには、毎回ではありませんが、ホワイトボードにお互いの主張を書き出し、論点をはっきりさせ、ディベートのようにしました。最初は娘も息子もヒートアップして、お互いに対する怒りを吐き出すだけなのですが、だんだん自分の主張がボードに書かれることをおもしろがるようになり、結局はお互いの妥協点を見つけ、多くの場合、笑ってけんかが終わりました。
また子どもが何か決めなければいけない場面では、どうしても経験も知識もある親の意見を押し付けてしまいがちです。また大きくなると、友達の意見にも左右されるようになります。そこで、子どもたちにはまず自分がどうしたいと思うか、を聞き、それに対して責任をとらせるようにしました。些細な例ですが、暑いか寒いか、毎朝自分でベランダに出て、自分の感覚で何を着ていくか決めさせるのを習慣づけたのも、その一環だったかもしれません。薄着で風邪をひいても、厚着で暑すぎても、自分で責任をとるように、ということを意識をさせたつもりです。

国際交流イベントにて

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