第3回 屈辱の「英語力が足りません」― 通訳ガイドへの道

甘くはない世界

通訳案内士の試験に出願したのは、苦手にしていたスピーキングの課題を作るためだった。「面接試験に合格する」という目標が欲しかっただけで、通訳ガイドになるつもりは特になかった。ところが翻訳で柱の仕事を失い、新しい収入源の確保が急務に。この際、翻訳だけに頼らず仕事を分散しようということで、試験合格という“結果”が必要になった。

そのミッションは無事クリア。日本歴史(もともと好き)、地理(ノマド翻訳でほぼ全国制覇)、一般常識(自分では常識人のつもり)という自分に合った一次試験、思い通りに話せなかったものの笑顔でごまかした二次試験とも、あまり労せずパスした。

二次試験対策と称してベックと旅へ。

ただ、資格取得で苦労しなかった分、そこから苦労することになる。

一匹狼、いや一匹子羊の僕だが、右も左も分からない世界ということで通訳ガイドの団体(GICSS研究会)に加入。新人研修なるものを受けた。グループに分かれて模擬ガイディングを披露。僕は断トツで出来が悪く、落ち込んで帰った。試験に合格したのはいいが、苦手のスピーキングはまったく克服できていなかった。翌日から浅草寺や鎌倉・箱根、そしてバス車内でガイディング練習をして、辱めを受ける日々。ただ、その後も交流を続けることになる仲間に恵まれて楽しかった。人前で英語を話すことには慣れなかったが、恥をかくことには慣れた。

それは僕にとって大事なことだった。家で一人で仕事をしていると、どうも思い上がってしまう。比較対象がないだけに、自分に甘い僕は「こんなずばらしい翻訳が誰にできる?」と“翻訳の天才”、“英語の天才”であるかのように思い込み、自分の訳にウットリしてしまう。でも外に出て実力のある仲間との差を思い知らされ、評価シートには「英語力が足りません」と容赦なく書かれる。そこでやっと自分を客観視し、一から学ぼうという気持ちになった。

楽しい下積み

すぐガイドになることをあきらめ、「あっせん業務」と呼ばれる仕事からスタートすることにした。空港・ホテル間の送迎や、ツアーの補助を行う業務だ。僕が主にしたのは「富士箱根ツアー」のチェックインヘルプ業務。ツアーに参加する外国からのお客さんをホテル等でピックアップし、ガイドさんに引き継いだり、または出発地でチェックインを手伝ったり。まずは訪日客の接客に慣れるとともに、ツアーの仕組みを理解することから始めようとした。「包丁を握るのは十年早い」というわけだ。

起床は朝4時半(朝シャン派)。始発の次ぐらいの電車に乗り、拠点でボーディングパスなどを受け取って最初の集合地点へ電車で向かう。バスを確認し、運転手さんに挨拶。ホテル内でお客さんを見つけてチェックインの手続きを行い、人数がそろえばバスへお連れする。車内ではマイクを使って説明。時には練習がてら車窓を紹介する。あと1つか2つホテルに寄り、出発拠点に戻って見送ったら業務終了。時刻はまだ9時前。会社員がもみくちゃになりながらオフィスへ向かう頃には仕事を終え、仲間のお姉様方とデニーズでおしゃべりして10時には帰路につく。

僕は思った。ガイドにならなくても、これで良くない? 何しろ翻訳仕事との相性がすこぶる良い。11時前には帰宅でき、仮眠しても仕事時間は十分に取れる。朝4時半起きは早いものの、翻訳者が失いがちなリズムを作ってくれる。家にずっといるとメリハリをつけにくいが、例えば通勤時間(行きもだいたい座れるし、帰りはガラガラ)を勉強タイムに当てられる。ある程度の収入補助になるし、すばらしい!

ページ: 1 2