
Vol.20 英語教室から少しずつ
/通訳者・翻訳者 高瀬恵理さん
我が家は今年(2019年)の2月に、主人の転勤で大阪から東京へ引っ越してきました。引っ越すと子どもたちはすぐ標準語になるだろうなと思っていると、今年から小学1年生になった長女は、あっという間に家の中でも東京弁を話し始めました。1歳半の次女は、大阪の記憶がほとんどないだろうから、お姉ちゃん以上に関西弁は話せないだろうなと思っていると、なんと、「あかん、あかん。(正確には、あかっ、あかっ)」と「ダメ」と言いたいところで大阪弁が出てびっくり!
子どもにどんな外国語教育をさせるかというのが、このエッセイのテーマではありますが、最近の我が家では、家の中での教育を関西弁でするのか、標準語にした方がいいのかという問いが新たに加わりました。これに関して答えはまだ出てないですが、長女出産から6年、“我が家での外国語教育とは?”についてご紹介させていただければと思います。
やりたいときまで
待ってみた
まず、“我が家の外国語教育とは?”の答えから申し上げておくと、大した教育をしておりません。長女が1、2歳の頃は、それなりに英語の絵本を読み聞かせてみたり、自分が勉強したことのある英語、韓国語、ベトナム語の1~10をお風呂で数えたりしていましたが、だんだん本人が日本語を喋るようになると、あまり英語の絵本を好まなくなり、私のほうも、「嫌なら無理してやらせなくても、やりたいときが来たらその時にやらせたらいいかなあ」と自分の忙しさにかまけて無理にやらせるということはしませんでした。そうこうしていると長女は英語嫌いになっていました。3、4歳の頃だったと思います。嫌いというよりは、知らないわからないものだから嫌というほうが近かったかと思います。その頃は、もう少し小さい頃にもうちょっと時間を取っていたらよかったなあと悔やんでみたり、外国語耳をつくるタイムリミットである12歳頃までに本人のやる気がでるだろうかと気を揉んだりしていました。
そうこうしていると、長女はネフローゼという腎臓病を4歳の夏に発症し、半年ほど入退院を繰り返し、保育園にも行けず、お友達にも会えないという日々が続きました。そんな中、次女が誕生、主人が一足早く単身赴任で東京に行くこととなり、ずっと社内通訳・翻訳者として働いていた私の生活は大きく変わりました。よい風に言うと、家にいる時間が長くなり、長女を習い事に連れて行けるようになったのです。近くの英語教室の体験レッスンに行ってみると、意外と気に入ってくれて通うことになりました。

とりあえず、元気に通って週1回でも英語に触れてくれたらよいと、宿題が出ていても本人がしたくないとやる気を出さないときは、特に宿題をさせることもなく、次のレッスンへ。たいていやる気がでない時ばかりなので、宿題をやらないままとりあえずレッスンへ行くというのが続いていました。大阪にいたときは、それでも仲のよい友達もできて、楽しく過ごしていたのですが、前述の引越により、そのお友達とも離れ、東京の同系列の英語教室へ移ることになりました。すると、同じ教科書、レッスン内容なのに、レッスンを嫌がるようになってしまいました。
「友達ができないから楽しくないのかな。ヘルプで入ってくれる日本人の先生のノリが大阪と東京で違って嫌なのかな」等、いろいろ悩みました。励ましてみたり、叱咤激励してみたものの、やはりレッスン教室の前に行くと、「いやー」と泣き叫ぶ長女を何とか先生に引き渡してその場を立ち去る、というルーティンが数週間続きました。
英語教室に通う姉につられて
妹も興味を持つ
そして、あるとき、なぜか私の中で“よし、毎日ちゃんと勉強させるぞ!”と思い立ったのです。そこから、本人が嫌だと言っても、「はい、毎日やるよ」とできるだけ毎日、レッスンの復習をするようにし、「わからなかったら、わからないって言っていいからね」と説明し、できてもできなくてもあまり感情的にならず、何度も同じ単語、フレーズを言わせるようにしました。すると、レッスン教室の前で泣くこともなくなり、「英語するよ」と言うと、「そうだね」とこつこつするようになりました。
すると!妹の英語学習なんてすっかり忘れていたのに、お姉ちゃんのすることは全部真似したい妹は、英語に興味を持ち始めました。英語教室の宿題で、“picture dictionary”に書いてある単語をタッチペンで押して発音を真似するというのがあるのですが、面白がってタッチペンで英単語を押しているではないですか!先日、小学校の担任の先生から、「小学校低学年の学習能力は、親の指導による」と聞きました。あまり教育ママにはなりたくないと思っており、その発言を少し冷めた感じで聞いていましたが、上記の経験から今の年代は私がいかに子どもと接するかで子どものやる気は大きく変わるのだなと実感しました。長女は今でも「英語はあんまり好きじゃない」とときどき言っていますが、「英語はこれからの日本にもっと必要になる。英語ができればいろんなことができる。だから、好きとか嫌いじゃなく、朝昼晩ご飯を食べないといけないように、英語はしないといけない」と説明すると、「ふーん」とわかったのかわかってないのかよくわからない返事が返ってきました。ただ、なんとなく納得してくれているような気がしています。
あとどれくらい東京にいられるのか、大阪に帰ることはあるのか、未来はわかりませんが、娘たちにできるだけよりよい将来が開けるよう、また、関西人としてのルーツを忘れぬよう、母は日夜密かな努力を続けていきたいと筆を置くにあたり感じたのであります。
