
Vol.15 国産通訳者の英語育児(後編)
/通訳者 中井 智恵美さん
アメリカの学校は全学年一斉に終業となり、ほとんどの生徒は保護者が迎えに来るので、下校時間は毎日が授業参観のようにとても賑やかです。どんな顔をして出てくるか、ハラハラドキドキで待っていると、担任の先生を先頭に一列に並んだ子ども達が校舎から出てきました。
我が子の姿を探し、その顔を一目見た瞬間、とにかくホッとしました。何も聞かなくても「楽しかったんだな」とわかる、屈託のない笑顔と踊るような足取りでした。
「どうだった? 先生やお友達の言うこと分かった?」と尋ねると
「わかった、わかった。あ、先生の字が(汚くて)わからなかった」
などと言うので、笑ってしまいました。
日本での成果を発揮
それから3年間、子ども達は現地の小学校(長女は2年目から中学校)に通いましたが、結局、英語がわからず苦労したことは一度もなく、日本でしっかりと英語を習得していたことがわかりました。
渡米前は「子どもの宿題を終わらせるのに親子で徹夜が当たり前」という話も聞き、かなり覚悟して行ったのですが、結局、一度もそんなことはなく、英語の苦労がなければ学校の勉強は日本に比べると楽なものでした。現地の公立小(中)学校と比べると、平均的な日本の教育のレベルが高かったおかげで、現在高校生の長女は日本に帰国後はどんなに勉強しても数学はやっと平均点なのに、アメリカ時代は「数学の天才」とまで呼ばれていました。
アメリカの学校には入学式も卒業式も始業式も終業式もなく、学年の終わりにAward Ceremony(表彰式)があるだけでしたが、娘達は1年目からたくさんの「成績優秀」のメダルやトロフィーをもらい、2年目からはGT (Gifted and Talented) という成績優秀者のクラスに入りました。
一方、駐在妻としてアメリカに行った私ですが、仕事をほとんど置いて行ったので、渡米して数ヶ月もすると時間を持て余すようになり、2年目からは地元の大学の大学院に通い、「死ぬまでに一度勉強してみたい」と思っていた哲学を勉強することにしました。
「純国産」とは言え、通訳を仕事にするぐらい英語ができるようになっていましたので、日常生活や大学院出願のための英語(TOEFLやGREなど)は何とかなりましたが、大学院の授業が始まると、(哲学という学問自体が難解だったこともあり)英語のハンディをつくづく感じ、ネイティブのクラスメイトでさえ徹夜で乗り切るような内容についていくのに非常な苦労を強いられることになりました。課題のエッセイをうんうん唸りながら書いている脇で、長女がさらさらっと宿題のエッセイを書いているのを横目で見ながら
「うちの母も、私に英語育児をしてくれていたら…」
などと、自分の母を逆恨みしたりもしました。(お母さん、ごめんなさい!)
英語習得後の安心感
さて、そんな感じでアメリカで3年間を過ごし、2015年に我が家は日本に帰国しました。帰国後、子ども達は日本の公立の学校に戻り、私も通訳・翻訳の仕事に復帰しました。私は相変わらず、うんうん唸りながら仕事をこなしていますが、子ども達は英語(だけ)は勉強しなくても済んでいます。
通訳者として仕事を始めて間もなく10年になりますが、その間のグローバル化のスピードは目を見張るものがあり、「嫌でも英語が必要」になった人が激増した印象があります。仕事でさまざまなそういう場面に遭遇するたびに、日本人ももっと英語ができるようになった方が良い、と思います。我が家の子ども達は自分も知らないうちに英語を身につけたので、英語に特に思い入れはなく、「英語キライ」などと平気で口にしますが、それを聞いても心乱されずに笑っていられる、それは私にとって「英語育児をしてきて本当によかった」と実感できる瞬間です。