Vol.14  国産通訳者の英語育児(前編)
/通訳者 中井 智恵美さん

蒸し暑い日本の夏とはまるで違うカラっと晴れた8月下旬のある朝、私は祈るような気持ちで、子ども達が四角いコンクリートの校舎に吸い込まれていくのを見守っていました。その日は、二人の娘達が初めてアメリカの公立小学校に通う日だったのです。

2012年6月、夫の仕事で私達家族4人は、アメリカ・テキサス州のエルパソという土地に移り住み、3年間を過ごしました。

私は既に通訳者として仕事を始めていましたが、旅行以外で海外に行ったことはない、いわゆる「国産通訳者」。通訳学校時代から、帰国子女や海外経験のある通訳者仲間にいつも引け目を感じていたため、夫のアメリカ駐在が決まったときは、日本でのキャリアの中断が気がかりではあったものの、海外生活を送る千載一遇のチャンス、と飛びつきました。
しかしそれだけではなく、子ども達の英語に関しても、アメリカに行くことでバイリンガルとして完成されるのでは、という期待がありました。実は、長女を妊娠した時から二人の娘には知る人ぞ知る「英語育児」を実践してきており、日本で育った子ども達が、アメリカの小学校に入って、どのぐらい英語で苦労するのか(またはしないのか)、実際に検証する良いチャンスだと思ったのです。

国内でバイリンガルに育てると決意

当時から遡ること11年前、長女を妊娠した時から私は「この子は絶対にバイリンガルに育てよう」と決めていました。結婚のために勤めを辞めて間もない頃で、時間がいくらでもあり、まだ通訳学校にも通っていないただの英語学習者でしたので、自分の勉強のかたわら、英語教育や育児に関する本を読み漁り、インターネットで情報収集しました。

いろいろ調べていくと、当時から家の中で「英語育児」を実践して、日本国内にいながらにして子どもをバイリンガルに育てている先進的なご家庭がたくさんあり、インターネット上に一つのコミュニティができていました。
それを知って「すごい!これは私もやらなきゃ!」と興奮し、夢中で情報をかき集め、早速自分の子ども(当時まだ私のお腹の中)にも実践し始めました。

そのやり方は「かけ流し(温泉ではありません)」と言って、毎日家の中でBGMのように英語のCDをかけるというもので、そうすると赤ちゃんや幼児の脳は勝手に英語を習得する、というものでした。

通訳者・翻訳者は調べることが苦にならない、と言うより、オタクのように興味があることには寝食も忘れて没頭するような人が多いと思うのですが、私もまさしくそのタイプで、妊娠中でまだ時間もたっぷりあったので、片っぱしから「英語育児」のことを調べ、「このやり方でいけば、絶対にバイリンガルになる」と確信し、それからはほぼ1日も欠かさず、幼児英語教材CDの「かけ流し」を行いました。また、日本語の絵本やビデオを与えるのと同じように、英語の絵本を読み聞かせたり、英語圏の子ども向けのビデオ(ディズニーアニメなど)を見せたりもしました。子ども達はアメリカに行く頃には、有名なドラマ「Full House」などは英語だけで楽しんで見ていました。

渡米時は小学5年生と1年生

しかし、そうやって家では英語に触れていた子ども達でしたが、外国人と会話したことはほとんどありませんでした。子どもを産んですぐ、私は通訳学校に通い始め、やがて通訳者として仕事を始め、また仕事を始めた頃から夫の転勤が頻繁になって引っ越しを繰り返すようにもなり、子どもを英会話レッスンに連れて行くような余裕がなかったのです。

そんな事情でしたので、「家の中に英語があるのが普通」という家庭で育った子ども達が、渡米した時には一体どのくらい英語がしゃべれるのか(あるいはしゃべれないのか)、親の私にも当の本人達にも分かりませんでした。当時、上の子は現地の5年生、下の子は1年生に入る年でしたが、子ども達は「自分は英語がしゃべれない」と思っていたので、渡米後、学校が始まるまでの2ヶ月ほどは不安が大きく、夜中に目を覚まして「英語がしゃべれないから、学校でいじめられる」と泣いたこともありました。

そして迎えた現地校の初日。送り出した後も、子ども達が学校でどうしているか、私も気になって何も手につかず、迎えに行くまでの間が永遠のように長く感じられました。
(続く)

登校初日。

教室の様子。