
コツコツと積み重ねる 翻訳とマラソンは似てる / おおつかのりこさん
わたしは走る翻訳者です。仕事の仲間といっしょに、合宿をしたりマラソンに出たりとランを楽しんでいます。実は、翻訳もマラソンもしますという人は少なからずいて、それは翻訳がマラソンと似ているからだという意見に大きく頷く人も多数います。
申し遅れましたが、わたしは児童書の翻訳を主にしたいと思っている翻訳者です。なんだかまどろっこしい書き方をしたのは、思いどおりにいかないからで、実際には事典の翻訳やその他、翻訳まわりの仕事もしています。パイが小さなこの業界では、かなりの才能や経験がないと、もっぱら子どもの本を訳すというわけにはいきません。
というわけで、このエッセイは児童書翻訳の端っこに立つ者が書いていることをご承知おきください。
地道なことをひとりでする
さて、マラソンと翻訳です。いや、翻訳とマラソンとすべきか。それはともかく、一冊の本を訳すというのは、かなりの手間と時間のかかる作業です。翻訳者というからには、字をおぼえたばかりの幼子のように指で単語をひとつひとつおさえてたどるわけではないけれど、何十ページ、何百ページと読むあいだには、意味がわからない箇所がでてくる。そこで辞書と相談。なるほどこういう意味かと納得し、また走りはじめる。
とまあ、ここまではいいペースでくるのですが、訳す作業に入るとかなりもたつくのが常です。ご存じのとおり読んで理解していても、日本語になおすにはさらに掘り下げた理解が必要です。そこで辞書やウェブとまた相談。なるほどだから作者はこの言葉を使ったのかと納得し、また走りはじめる。それから、時代・文化・宗教など物語の背景の知識が不足していても足は止まってしまいます。そこでウェブや図書館と相談。ぬけていた知識をうめてまた走りはじめる。このように翻訳は地道な作業をこつこつと積み重ねる仕事です。
翻ってマラソン。これは明確です。右足、左足と順番に、フルなら90cmの一歩を46883回くりだす。なんて地道な作業でしょう。しかもその地道なことをひとりでする。これがマラソンと翻訳の共通点です。どちらも好きでやっていることですが、ときとして苦しい。孤独に一歩一歩をかさねるのは。駅伝のように、ときには事典などをチームで訳すこともありますが、それでも担当箇所はすべて自分の責任で完成させる。やはりひとりなのです。
訳書を出すまであきらめずに走る
さて、ここからがこのエッセイの主題となるわけですが、初めての訳書を出すまでの道、その次の訳書を出すまでの道、また次の訳書を出すまでの道もある意味マラソンにたとえられると思います。やっかいなのはコースがわかっていないことですが。
わたしは、翻訳者を志してから10年ほどで『シャンプーなんて、だいきらい』(徳間書店)という絵本を出すことができました。リーディング(編集会議用に絵本を訳す仕事)に何年か携わったのちに、いただいた仕事でした。そのリーディングの仕事は、何年もお世話になっている翻訳学校の先生にご紹介いただいたものでした。
こう書くと、線でひいたように道がみえますが、当時はとにかく闇雲に翻訳を学習していたのです。パソコン通信でのネットワーク「やまねこ翻訳クラブ」の勉強会、翻訳学校、翻訳コンテストで訳をつくっては添削されたり、互いにコメントしあったり、ダメ出しをくらったり。前の見えないマラソンでしたが、でも一歩ずつ進めばゴールにたどりつくと思っていました。
当時わたしにできたのはとにかく「リタイアしないこと」。いえ、実はそれはいまでも続いています。一冊出したからといって、自然に次の仕事がくるわけではないのですから。おそらく、このマラソンはずっと続くのでしょう。翻訳が好きなかぎりは。
あ、もうひとつ両者の共通点を忘れていました。それは、どちらもいっしょに走っている仲間がいること。そして仲間がいるからリタイアしないこと、です。
★『通訳・翻訳ジャーナル』2018年夏号より転載★