スクールで学びデビュー 好きな仕事を続ける幸せ / 田尾友美さん

私が翻訳者を目指したきっかけは、おそらく大半の方々のそれと同じだと思われる「外画が好きだから」でした。外画が好きだから海外に興味を持ち、外画が好きだから英語が好きになり、外画が好きだからお芝居も観るようになり、外画が好きだから翻訳を仕事にしたいと思ったのです。

ですが、私が夢を抱いた高校時代、テレビで外画を見る機会は今よりはるかに多かったのですが、「映像翻訳者になる門戸」は本当に狭かった。まず、どうやったらなれるのかがわかりません。当時は今のように選択を迷うほど翻訳学校もありませんでしたから。親戚家族にコネもない埼玉の普通の高校生は、翻訳者に憧れつつ、普通に大学に入り、普通に就職しました。

しかし、やはり自分の想いをごまかせず、1年5カ月で会社を退職。英語をブラッシュアップしたり、資金を貯めたり、翻訳者になれなかったときの保険で添乗員の資格を取って、昼間は英会話の講師をしながら、ついに翻訳学校に入学を果たしたのは、新卒で入った会社を辞めてから2年後の春でした。

翻訳学校選びは成功 講師推薦での仕事も

翻訳学校選び―この頃になると今ほどではなくてもいくつか名の通った翻訳学校ができていたので、どこにするかで迷いました。……と慎重さをアピールしたいところですが、私の場合は即決でした。翻訳雑誌を見る→数校の学校説明を読む→自分の性分+通学のしやすさ+授業料+卒業後のシステムを確認→大手映像会社運営の翻訳学校に決定、です。雑誌を手にとって、10分後には資料請求をしていました。

この決断は我ながら正しかったと自負していますし、あの学校を選んでいなければ映像翻訳者としての今の私はなかったと断言できます。ただし、あくまで当時の学校のシステムと私の条件(実力や性格など)を踏まえての結果ですので、闇雲に自分が卒業した学校をオススメしているわけではありません。ご自身をわかった上で、適当と思われる学校に行くのが一番だと思います。私は自分が一発勝負に向いておらず、呆れるくらいコツコツ型なのはわかっていたので、学校を選ぶ条件は「トライアルだけが仕事へのチャンスではないこと」でした。その点で私が通った学校は映像会社がバックに付いていたので、毎回の習作をその会社所属の翻訳者の方々、またはフリーの現役で活躍中の翻訳者の方々が講師として添削してくれるため、日々の努力も考慮されるので、コツコツ人間には魅力的でした。

実際、在学中に教わった講師に推薦していただき、とあるコメディドラマの字幕を担当させていただきました。その後の励みになりましたし、貴重な勉強もさせていただきました。そしてそういうチャンス、コンテンツがあるのは映像会社の翻訳学校ならではの強みだとも思います。

卒業から現在――2年で学校のカリキュラムを終え、「果たして仕事はいただけるのか?」と不安でしたが、当時は在学中の成績順で取りあえず1度のチャンスをいただけました。そのでき次第で次へ繋がるか否かが判断されたようです。私の場合はゆる~い30分のドキュメンタリーをいただき、なんとかクビにならないまま半年が過ぎた頃、ようやくポツポツとほかの作品も来るようになり、1年目が終わる頃、ある30分のドラマシリーズのお話をいただきました。ところが、「1話のでき次第で仕事を正式にお願いするか決めさせてもらう」というかなりの緊張を強いられる条件で……。あれからこの4月で19年目。有り難いことに現在もフリーの映像翻訳者として仕事をいただき、続けられています。

つくづく思うのは映像翻訳、特に吹替は翻訳というより台本を作る仕事だな、ということ。現場で問われるのはいかに正しく日本語に訳すか、ということだけではなく、いかにキャラを見極め、ドラマを理解した自然な台詞を書くか、だと実感しています。なので、今後吹替の翻訳を目指す方は、ぜひ芝居好きであって下さい。好きじゃなくても芝居を知っている方のほうが断然有利だと断言します。

好きを仕事にできることは人生の喜びのひとつですが、好きだからこそ苦しむことも多いです。ただ、やはり好きだから苦しみも乗り越えられます(と信じています)。

今日も締切に追われながら、仕事ができる幸せを噛みしめたいと思います。

『通訳・翻訳ジャーナル』2018年春号より転載★