Vol.8 赤ちゃんだってしゃべりたい!
コミュニケーションの力/通訳者・仲田紀子さん

ベビーサインで意志疎通

世のお母さんたちは、赤ちゃんが泣いているとなんで泣いているかがわかるというけど、本当だろうか? 私はさっぱりわからなかった。

赤ちゃんの泣き声は意外に攻撃的で、欲求が満たされるまで声を限りに泣き続ける。
「おっぱい? おもちゃ? おむつ気持ち悪い? あれ、この子熱いよ、ひょっとして熱ある?!」
と、ひたすら思いつく限りの赤ちゃんの要求を満たそうとあたふたし、すべてを試した後も泣き止まないわが子を前に、「あ~この子が喋れたら…」と嘆息したことのあるお母さんは多いのではないだろうか。

ところがあることをきっかけに、私はそんなストレスから解放されてしまった。ベビーサインである。ベビーサインとは、赤ちゃんでもできる簡単なジェスチャーで「会話」する育児法だ。娘は7カ月だったが、まだ自分は「あーあー」しか言えなくても、私がするサインを見て認識することができた。すると今度は自分でもそのサインをしようとする。まだ言葉を持たない赤ちゃんが、その小さな手で一生懸命メッセージを伝えようとする姿は本当に感動的だし、何よりかわいい。赤ちゃんだった娘が覚えたのはたった三つのサイン、「おっぱい」、「ほしい」、「もっと」。しかしこれだけでも使用シーンは多く、特に「ほしい」のサインは英語のwant、「もっと」はmoreの用法に限りなく近い。

たとえば、遊んでいるおもちゃを取り上げると、「(かえして)ほしい」。おやつを見せると「(ちょうだい)ほしい」のサイン。一歳になる前には、テレビを消すと「もっと」「(みせて)ほしい」、母乳をあげていると「おっぱい」「もっと」「ほしい」というように、この三つのサインを駆使して、二語文、三語文を作るようになった。

気持ちを言語化するのが得意な子に

娘が初めて口にした言葉は「(アン)パンマン!」だったが、言葉を話し出した、と思ったら、すぐに二語文、三語文を話すようになった。二歳になる頃には、娘との意思疎通はほぼ問題なくなったと思った。いいのか悪いのか、娘が幼児言葉をしゃべっている記憶はまったくない。

周りの人たちの中には、最初手話を覚えてしまったら、言葉が遅れるのではないか、と心配して注意してくれる人もいたが、それはまったくの杞憂だった。赤ちゃんの頃から自分の気持ちを伝える、そして理解してもらう、という楽しさや喜びを知っているので、大人や子供関係なく、他人に対して積極的に話しかける、おしゃべりな子に育った。現在小学6年生だが、論理的な説明が上手で、自分の気持ちを言語化するのが得意だ。

つまり、嫌なことがあってモヤモヤする、など複雑な感情も言葉で表現することができるので、自分の気持ちを理解して折り合いをつけることができる。友達と揉めても、話すことによって相手を納得させようとしているのをみると、言葉に対して、そしてその言葉を操る自分の能力に対して自信と信頼を持っているのがわかる。初めて海外に連れて行った時も、簡単なあいさつやフレーズを教えたら、怖れも気負いも見せず、自然に英語でのやり取りを楽しんでいた。

意志疎通する喜びを知ること

私たちが外国語を話すのが楽しいのは、言葉を知った子供が意思疎通する喜びを知るのと同じことだ。ある言語を話せるようになるというのは、その言語で思考するということ。そして、その言語で思考するのは、その文化の考え方を自分のものにするということだ。私たちは、言葉を足がかりにして新しい世界へアクセスしているのだ。

娘は、英語どころか勉強全般とりたてて好きでも得意でもない。何かに特別秀でているわけでもないごく平凡な小学生だが、言葉を話せるようになる前からコミュニケーションの力を理解し信じている彼女の未来に、私はまったく不安を感じていない。娘に英語を教えたことはないが、そのコミュニケーション力でどこへ行ってもしっかりやっていけると思うからだ。真のグローバル人材は語学教育で育つわけではないのだと思う。