第11回 長明とサリンジャーとノマド翻訳者

世に余されて

前回フリーランスのメリットについて語った。こういう話をする人は大概「フリーランスは自由、サラリーマンは社畜」などと、とかく自分サイドを持ち上げたがるものだ。とんでもない話だと思う。アダム・スミスの時代この方、経済的価値の創造に最も適した組織形態は会社と相場が決まっている。
ためしに任天堂の売上高(2015年度で約5000億円)を従業員数(約5000人)で割ってみるといい。その金額を1人で稼げるだろうか? それに、フリーランスの“コワーキング”とやらで橋や道路が造れるだろうか?調子に乗って勘違いしたフリーランスは、自分たちだけでは社会は成立し得ないことを忘れるべきではない。
人はいさ、僕は会社員落第の社会不適合者だと思っている。決して卑下しているわけではない。社会に馴じめないなりに最大限に活躍し、自己を実現するための道がフリーランスであり、ノマド翻訳者だったということだ。

世に余された僕は、何も知らぬまま翻訳業界に飛び込み、独学で仕事を始めた。だから翻訳の師匠や先輩はいない。わずらわしい上下関係はないし、気持ちだけでも自分がナンバーワンでいられる。半面、壁にぶつかったときなどに相談できる相手がいないのはやや心もとない。

元祖ノマド

一方でノマドの師匠はいる。「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」の『方丈記』でおなじみの鴨長明師匠だ。
鎌倉幕府が誕生する前後の激動期を生きた師匠の晩年の住まいは「方丈の庵(いおり)」。その原寸大模型が師匠ゆかりの社である京都の河合神社に展示されているが、なんと組立式で、解体すればリアカーで運べたという。世は無常。所を思い定めず、移動式の「すみか」で筆を動かす。まさにノマドである。

11-02

(下鴨神社の境内にある河合神社)

師いわく「さしも危ふき京中の家を作るとて、宝(たから)を費やし心を悩ますことは、すぐれてあぢきなくぞ侍る」。すなわち、「いつ災害が起こるか分らない都会に家を建て、住宅ローンの返済に身も心も追われる一生なんて、あまりにもくだらない」。
どこかで聞いた話だと思ったら、自分のことだった。もう少し早く方丈記を読んでおけばよかった。ちなみに方丈というのは約5.5畳。僕の自宅の仕事場も5.5畳である。
11-5方丈の翻訳部屋
(方丈の庵と方丈の翻訳部屋)

京都の奥山にて

今回、いつも訪れる河合神社だけでなく、師匠が晩年にこもっていたという伏見方面の日野山を登ってみた。その登り口からしばらく歩くと巨石が見えてくる。この上に庵を結んだと伝えられていることから、「方丈石」と呼ばれている。まるで僕が第二の仕事場にしている越後湯沢のリゾートマンション付近のごとく人の気配がなく、俗塵から隔離されている。よどみに浮かぶうたかた(泡)が消えては結ぶ、近くの小川のせせらぎをBGMにしながら、しばらく師匠と語り合った。
方丈石1方丈石2

(方丈石、その上で昨今のノマド事情を師匠に報告する筆者)

ちなみにこの山、ハイキング程度に考えていたが運動不足の翻訳者にはスーパーハードであった。そこから多少迷いながら1時間半ほどかけて京の空を望める場所に出て、コンビニのおにぎりを食べた。祇園辺りのお上品な懐石料理なんかよりもずっとおいしく、いとをかしだった。懐石料理は食べたことないけど。

日野山頂上

(師匠も見たであろう頂上付近からの眺め)

師匠も大人世界というものに馴染めなかったらしい。僕と同じように世に余されて山にこもり、近所に住む子供の相手をしていたそうな。それを聞いて思い出したのが『The Catcher in the Rye』のサリンジャー先輩だ。先輩も掘っ立て小屋にこもり、子供たちとだけ交流していたと聞く。
大人になりきれず、それでもなお社会への未練を残しつつ偉大な名作を生んだ師匠と先輩。「世にしたがへば、身苦し。したがはねば、狂せるに似たり」。お二人、そして僭越ながらこのノマド翻訳者は、「ライ麦畑の管理人」にあこがれたホールデン少年のその後なのかもしれない。僕もうつせみの世で少しでも名を残せるよう、ノマド翻訳道を極めたいものだ。

実家

(帰りに寄った実家でウルトラマン遊びとおままごとを同時にこなす筆者)