
第6回 「家族ほったらかし」批判に徹底反論!
ノマドは家族を不幸にする?
日本全国旅から旅へという日々を送っていると、物をなくすこともある。青森では大事にしていた腕時計を置き忘れてしまった。竜飛岬の近くで入った温泉の脱衣場。あそこしか考えられない。気付いてすぐ電話をかけたが、届いていないという。僕の県民好感度ランキングで青森県は急落した。しばらくして自宅で車を掃除していると、シートの下から時計が出てきた。
妹一家を越後湯沢のマンションに招待した際は「財布をレストランに置き忘れた。絶対あの店なのに届いてないと言われた。店員の目が泳いでた!」と妹が犯人を決めつけていたら、帰宅後に幼児のスキー服から出てきた。青森県の皆さまと店員さんには兄妹で本当に申し訳なく思う。だがしょせん人の評価など、かように理不尽なものだ。公正にも自分の思い通りにもなりっこない。気にするだけ無駄だし、そんなものに振り回される人生はご免だ。それは僕が会社を辞めた理由の一つでもある。
だからこのコラムを読んでいただいた方に、どう思われようが構わない。ただ、どうしても言っておきたいことが一つある。これまでの回をお読みいただいた皆さんはこう思われているに違いない。「家族ほったらかしで遊び歩いて、なんて身勝手な人なの!」と。実際よく言われる。自分の親にも言われた。しかし、それはとんでもない誤解だと。
(青森の十二湖、青池)
空気を読もう
家族のために少しでも早く仕事を終わらせ、家に帰ろうとするお父さん。それが理想的な父親だと人は言う。本当にそうだろうか? 新婚のうち、子どもが小さいうちはそうかもしれない。でも同居して10年、20年と経ち、子どもたちも難しい年頃になったら? 僕は思う。配偶者だろうが子どもだろうが、相手の立場で考えることは常に大事だと。こちらが一緒にいたくても、相手もそう思っているとは限らない。Googleの検索ボックスに「夫」と入れれば、おぞましい関連ワードがあとに続くのがわかる。それが現実なのだ。
自宅で働くフリーランスならなおさらだ。なにしろ一日中家にいるのだ。僕自身は特にイヤじゃないが、朝から晩まで密着マークされる妻はたまったもんじゃないだろう。子どもだってそうだ。朝起きたら、学校から帰って来たら、徹夜仕事で疲れ切った親父がソファーでいびきをかいて寝ている。そんなことが続いたらイヤになるに違いない。
その一方で近くに長く居すぎると、いろいろ目について何か言いたくなるものだ。両方の親からガミガミ言われてはたまらないだろうと、僕は年に1回ほど雷を落とすにとどめてきた。しかし子どもが進学するにつれて「いつまでもゲームしてないで勉強しろ!」などと、頻度が増えてきてしまった。3LDKの狭苦しい家で、口うるさい親父が年中家にいたら物理的にも精神的にも息苦しいに違いない。
(桜島を眺めながら)
ノマドで時間調整
そんなわけで僕は家族と一緒にいる時間を調整することにした。ノマド(旅をしながら仕事)とマルハ(自宅と別の拠点で仕事)はそのための手段でもある。
長く一緒にいればいいってもんじゃない。例えば「いいかげんに勉強しろ!」と言ったところで、(本当かどうかはともかく)「今やろうとしてたのに!」という反発心を招くだけだ。だからそんなことは言いたくない。言いたくないが、年中家にいて、サボりすぎているように見える子どもが目に入ると言いたくなってしまう。ならば目に入らないようにあえて距離を置き、離れた場所から信じてやろう。
それに子どもの成長は、ある程度離れた方が分かりやすい。成長過程を見逃すまいと近づきすぎると、逆に見逃してしまうものだ。毎日接していると声変わりにも気づかないものらしい。少し間を置くことで、声が低くなった、母親への態度が少し変わった、といった微妙な変化を察知できる。
そして「会えない時間が愛を育てる」のだと、Hiromi Goも言っているではないか。実際、僕は見知らぬ土地をひとり歩いている時、越後湯沢のマンションで愛犬ベックと身を寄せ合って寝ようと目を閉じているときに、ふと家族のありがたみを改めて感じたりする。どうしてあんな言い方をしてしまったんだろうと反省したりする。家族に会いたくなる。帰宅すると、妻や子どもたちにいつも以上に優しく接することができる。少なくとも3日ぐらいは。

(湯沢中央公園)
毎月のように旅行し、湯沢のマンションで数週間を過ごしているが、それでも家族と一緒にいる時間は平均的なサラリーマンに比べれば多いと思う。長すぎず、短すぎず。そんな理想を実現できている気がする。
そして旅先でも湯沢でもテレビは一切観ない。だから帰って来て数週間ぶりにテレビを観ると、くだらない番組でも子どもたちと一緒にゲラゲラ笑って楽しむことができる。家族がテレビを楽しんでいる横でいちいちケチをつける父親が多いという。「最近のテレビはつまらん」と。それはあなたがテレビを見すぎているからじゃないかという気がする。
ノマドで下見
結論として、ノマドは家族を不幸にするどころか幸せにする。僕はそう信じている。ついでにいえば、ノマドは「家族旅行の下見」を兼ねている。「この景色を家族に見せてあげたい」。そう感じた場所に家族を連れて再訪することも多い。
(家族・義父母と富良野へ)
僕は今、片道1980円の飛行機(こういうのを利用できるのもフリーランスの特権)で沖縄に来ている。やはりFacebookでは「自分ばっかり楽しんじゃって!」とバッシングを浴びているが、これも実は家族のため。PC片手に現地調査に出向き、良かった点、悪かった点を帰って家族に報告する。それをもとに、僕以外の3人で夏の家族旅行の行き先を沖縄にするか、または別の候補にするか決めるのだ。
まあどう思われても構わないが、「ノマドは自分だけのためならず、家族のためなり」とだけ言っておきたい。そして最後に。フリーランスというのは子どもに背中を見せやすい。会社にも行かず好き勝手に旅立ち、雲のように自由に生きる親父。そうなりたければ誰にも負けない力を身に着けろと、背中から語りかけているつもりである。
(宜野湾トロピカルビーチ)