第3回 移動オフィスで翻訳しよう!

車で旅に出始めたワケ

幼少期をその背中で過ごした母親は別格として、彼とはこの世の誰よりも、妻や子どもたちよりも長い時間を、物理的にすぐそばで過ごしてきた。相棒のビーグル犬ベックだ。
仕事している間も、深夜の散歩も、いつも一緒。家を10時間も離れようものなら、10年ぶりの再会かのように狂喜して迎えてくれる。PCを片手にノマド旅に出ると半月近く帰らないこともザラだが、そんな相棒と長く離れるのはしのびない。
そこで、車をオフィス代わりにして、一緒に全国ツアーに出るようになった。2013年は甲信越、2014年は近畿・四国、2015年は東北を巡業している。
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(青森の竜飛岬(上)と高知の桂浜(下)で哀愁を漂わせる筆者とベック)

車ノマド旅を始めたのには、もう一つ理由がある。うちの車はごく一般的なファミリーカーだが、諸々含めて300万円近くした。10年間走ってくれるとして、維持費(車検・点検・タイヤなど)は安く見積もっても80万円、税金・保険料は100万円といったところか。
合わせて480万円で、ひと月あたり4万円。我が家には駐車場があるが、車がなければ部屋を増やすなど別のことに使えたわけだから、駐車場代を1万円として加えると、月々5万円の固定費(まったく使わなくても発生する費用)という計算になる。
地方ならともかく、果たして都内で毎月5万円(もちろん使えばこれに加えてガソリン代や高速代がかかる)を負担して元が取れるほど、車を使うだろうか?

究極のどこでも翻訳

そもそも「元を取る」という考え方がしみったれていると思われるかもしれないが、しみったれた人間なのだからしょうがない。腹を壊す寸前までドリンクバーをお代わりして何が悪い。何が何でも月5万円の元を取ってやろう。そこで思いついたのが車のオフィス化だ。

やってみると意外と悪くない。いろいろ試してみて一番しっくりきたのが(7人乗りミニバンの場合)、後部座席を折りたたみ、一番後ろの補助シート出して、高さ調整可能な昇降式テーブルをスペースに置くという形だ。夕日が美しい秋田県男鹿半島の海辺でも、真夏も涼しい山梨県道志渓谷の林間でも、好きな場所に車を停めて翻訳に打ち込むことができる。
夜間は窓を目隠しした上で、キャンプ用の電池式ランプをハンガーに吊り下げて仕事する。目隠しなどせず、キーボードだけ照らして暗がりの中で作業したこともあったが、やめたほうがいい。ディスプレイで顔だけライトアップされて、車のそばを通る人を怖がらせてしまうから。
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(移動オフィスの内部)

気ままな車中泊

オフィスとして使うだけならマイカー所有の元を取れるかどうか心許ないが、ホテルとしても利用すればお釣りがくる。いわゆる車中泊というやつだ。ベックが一緒だと泊まれるホテルが限られ、高くつくので、車内をアレンジして寝袋で一緒に寝る。だから時期的には、車ノマド旅はエンジンを切り、窓を閉め切っても問題なく寝られる、春から初夏または秋に限られる。
停車場所は高速のサービスエリアや、一般道の道の駅。そんな所でちゃんと眠れるのかと思われるかもしれない。確かに、ほかに誰もいない平日の道の駅というのは、一人なら心細いだろう。しかし僕には頼もしい(?)相棒がいるので、どういうわけか自宅よりもぐっすり眠れてしまう。

そして早起きして見知らぬ土地を共に散策し、朝ご飯を一緒に食べてから翻訳仕事にとりかかる。一段落すると、PCを車のバッテリーに繋げて充電しながら移動。そして初訪問の場所をまた一緒に散歩し、腹ごしらえをしてから仕事……こんな感じで、僕は車ノマド旅に出ているときが一番規則正しく生活できている。

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(上:誰もいない高知県室戸岬付近の道の駅、下:ベック一押しの青森県八戸市にある芝生の海岸)

四十の手習い

キャンプ場で泊まることもある。僕は決して生粋のアウトドア野郎ではない。学生時代、よく仲間とバーベキューをした。でも積極的に火を起こしたりはしなかった。いや、やりたくなかったわけじゃない。そういう男らしい作業は女子にアピールする格好の機会だ。僕だっていいところを見せたかった。
だが、アピールしたがるほかの男子にいつも譲っていた。そして女子は、手際よく火を起こす男子をもてはやし、毎回譲っていたために何もできなくなってしまった僕を頼りない男とみなす。譲る優しさなんて見ようともしないで。

40を超えた今、僕はその失われた青春を取り戻そうとアウトドア翻訳に励んでいる。今さら火を起こしても女子はキャーキャー言ってくれないが、それでもいい。ベックがワンワン(「はやくニクをよこせ!」)言ってくれるから。

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