第2回 過去のミスは過去のもの

ミスは必ず起きるもの

同時通訳者として本格的に活動するようになってからは、あまり結果を意識せずに、目の前の現場、セッションにだけ集中するように努めるようになりました。そして、今ではミスは必ず起きるもの、と割り切っています。実際そうなのですから。ただし、ミスは必ず起きるものだからあまり準備しなくてもいい、ではなく、準備をしてもミスは必ず起きるものだから、引きずることはない、と考えています。昔と違って、ミスを通訳の一部と位置づけ、積極的に受け入れるような意識です。羽生善治氏のように、朝から晩まで考えることを仕事にしている人間が「ノーミスと思える対局はめったになく、せいぜい一年か二年に一回」と考えているのに、通訳者が毎日の現場をノーミスでこなせるわけがありません。特に将棋は完全情報ゲーム(すべての意思決定点において、これまでにとられた行動や実現した状態に関する情報がすべて与えられているゲーム)であり、通訳は不完全情報ゲームですから、ミスが発生する確率は将棋とは比較できないほど高いと考えられます。

通訳者の原不二子氏は『通訳という仕事』(ジャパンタイムズ)で「一回目に分からないことばであっても恥ではありませんが、二度同じことがわからなければ恥です」と書いています。これはすべての通訳者がもつべき基本姿勢だと私は思います。

ミスは成長に必要な“傷”

繰り返しますが、今の私は、ミスはミスとして真摯に受け止めるけれども、それを決して引きずらず、むしろさらなる高みを目指すためには必要不可欠な”傷”だと考えています。トレーニングでは筋肉をイジメないと超回復はできません。それと同じだと思います。

大半のプロアスリートやマインドスポーツ選手は、30代後半から、遅くても40歳あたりから身体能力が衰え始めます。通訳者も例外ではありません。ではベテラン通訳者が“上手い”と言われるのはなぜでしょうか。それは身体能力が衰えても、イメージ記憶の蓄積があるからです。わかりやすく表現すると、長年の経験から専門用語や話の流れのイメージの絶対的蓄積量があるので、新人通訳者よりずっと先になにが来るのか分かるし、それが分かるからこそ心に余裕をもって文章を構築することができる。このイメージ記憶には過去の自分のミスも含みます。第一線で活躍するベテラン通訳者は例外なく体に無数の傷を負っているはずです。たとえば前述の『通訳という仕事』では、原不二子氏の母親である相馬雪香氏の誤訳エピソードが紹介されています。

聞き違いの極めつけは、母(相馬雪香)がアジア国会議員連合の通訳をしていてタイの議員が“we Thais like omen”と発音したのを“we Thais like women”と通訳してしまったことでしょう。「タイ人は、縁起を担ぎます」というようなことだったのでしょうが「タイ人は女が好きです」と訳してしまったのです。会場が大笑いになったことはいうまでもありません。

いま通訳を学んでいる方に言いたいのは、あまりミスを気にすることはない、ということです。むしろたくさんミスをしたほうがいい。たくさん練習して、そして実際の現場で通訳する機会があれば怖がらずに飛び込んでいったほうがいい。3回の授業より3時間の現場のほうが学ぶことが多いです。

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