第2回 過去のミスは過去のもの

通訳現場の重圧のすごさ

通訳はメンタルの要素がとても大きい職業です。私はこれまで、優れた通訳技術または通訳者として高い潜在能力を持ちながらも現場の重圧に耐えられずに脱落していった若手を数多く見てきました。そういう私自身も、駆け出しの頃はブース内に座って業務開始を待っているだけでとても緊張しましたし、小さなミスを引きずって訳がボロボロになることもありました。どんな些細なディテールであっても、一つも取りこぼしてはいけないという強迫観念的な何かがあったのかもしれません。

アスリート時代はコーチに「自分の弱点は他の誰よりも知っておけ」と言われていたので、当時は自分のパフォーマンスを細かく分析し、思考の流れを可視化しようとしました。それでミスを未然に防ごう、ゼロにしようとしていたのです。しかし、ミスはなかなか減らず、現場に出るたびに自分に失望していました。いま思えば、基本的な考え方から間違っていたと思います。

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大御所でもミスはある

棋士の羽生善治氏は『結果を出し続けるために』(日本実業出版)で、「ミスをしない対局は一年に一回くらい」と書いています。「今日はノーミスで、100点満点だった」と思える対局はめったになく、せいぜい一年か二年に一回で、ほとんどが修正や反省を要する対局ばかりだそうです。通訳も同じで、もちろんコミュニケーションが破綻するような致命的なミスはしませんが、本質とは離れたところで微細なミスは毎回あります(“ミス”をどう定義するかで解釈は異なりますが)。新人でも、いわゆる“大御所”の通訳者でも。心から満足する現場はほとんどありません。いつも反省ばかりです。

それに通訳の現場ではどう訳しても勝てない状況が存在します。たとえば私の最近の例でいえば、「(中国による東シナ海の資源開発について)ダメよ~ダメダメ」や「(社内プロジェクトの進捗について)安心してください、やってますよ」などがあります。チェスでは自ら状況が悪化する手を指さざるを得ない状況を「ツークツワンク」と呼んでいますが、通訳でもツークツワンク的な状況はあります。それでも何かを口にしないとならないのは本当につらいですし、特に聴衆は「通訳さんはこれをどう訳すんだろうなあ」という気持ちで聞きますから、もう公開処刑を覚悟で突撃するような感じです。

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