第1回 メンタルが通訳者のパフォーマンスを左右する

通訳は一種のメンタルスポーツ

私は通訳者として、キャリアの早い段階から通訳を一種のメンタルスポーツとして考えるようになりました。もともと中学、高校、大学とスポーツ漬けの毎日を過ごしていたので、身体の疲労と回復のメカニズムについては基礎的な知識をもっていたのですが、通訳を仕事として始めてから「これはアスリート時代に学習・実践してきたがことが応用できるのではないか」と考えたのです。

長時間の難しい案件を終えたあとは脳が完全に疲弊していることがわかりましたし、十分に回復できないと翌日も後頭部にもやもやが残りました。学生時代は毎日、毎週のように脳を酷使することがなかったのでとても新鮮な驚きがあったのと同時に、学生時代に実践したメンタルトレーニングを再開しなければならないな、と思いました。

最高のパフォーマンスを引き出すためにメンタルの要素が重要な役割を果たすのは前からわかっていました。社会人になってから囲碁、将棋、チェス、ポーカーなどに興味を持つようになったのですが(チェスと囲碁はワールドマインドスポーツゲームズ、いわゆる頭脳スポーツのオリンピックの正式競技でもあります)、いずれも上級レベルで勝ち続けるためには高度なメンタルコントロールを必要とします。そして高度な読みを長時間にわたり安定的に実践するには、強いメンタルが不可欠なのです。圧倒的有利に展開していたはずの対局がたった一つの悪手で形勢不明になり(だいたいは集中力の欠如が原因)、それでも気持ちを切り替えて対応すれば勝ちきれた可能性があったのに、動揺を抑えることができずに総崩れになってしまった。囲碁や将棋の経験者なら誰でも身に覚えがあるはずです。
0114

勝ち続けるプロアスリートやマインドスポーツの競技者は、例外なくメンタルが強い。だから私は、基礎的な通訳技術は当たり前のこととして、さらに上のパフォーマンスを発揮するためにはプロアスリート同様、メンタルの部分にもっと重点を置く必要があるのではないかと考えたわけです。もっと言えば、私はメンタルの部分で他の通訳者と差別化できるのではないかな、とも思いました。

メンタルの弱さをトレーニングで改善

今の私を知る人にとっては信じられないかもしれませんが、高校生までの私はメンタルが弱い方でした。平均以下どころか、ぶっちぎりで弱かった。何事にも集中できないし、人前で話すのが大の苦手。私が通っていた高校では毎年、全校生徒がエントリーするパブリックスピーキング大会があったのですが、私は予選会、といっても普通の英語の授業なのですが、これを2年連続で正当な理由なく欠席して、2年目は停学処分を受けました。人前で話すなんて、たとえそれが10人だったとしてもありえない、当時はそんな感じでした。
バスケットボールが大好きだったのですが、試合のここぞという場面では手足が震えて失敗するイメージしか頭に浮かばず、大事な試合でフリースローをエアボール(リングにも当たらない)してチームが負けたこともはっきりと覚えています。普段からそんなにポジティブな思考をしていなかったのに、ここぞという場面でポジティブになれるはずがありません。むしろ底なしのネガティブ沼にずぶずぶと沈んでいくような感じでした。これが本格的に改善したのは大学に進学してからです。

今では問題なく人前で話すことができますし、脳の疲労も以前よりはずっとコントロールできるようになりました。集中力、読み、判断力もレベルアップしたと思います。ただ、これは自然とそうなったのではなく、メンタルトレーニングを意識的に行った結果だと考えています。

メンタルの手綱を握る方法を知ろう

1年ほど前のある夜、通訳仲間2人と恵比寿で会食しました。そこで私は、「普段は自分を客観的に評価するように努めているし、自分より実力が上の通訳者がいるのはちゃんとわかっている。でも、いざブースの中に入ったら、俺が世界一の通訳者だと思っているし、俺にしか訳せないと思っている。それを本気で信じている」というような話をしました。通訳者Aは「私もそうだ」と頷き、もう1人の通訳者Bは「私はそう考えたことはない」と言いました。

私は通訳者Bと話すたびに、どこか昔の私を思い出します。いつもだいたいネガティブなのですが、時にはあまりのネガティブさに「あー、また伝統芸能ね」と最近ではネタにしているくらいです。でも、通訳者Bのような人は決して少なくはないと思います。そんな人には考えてほしい。オリンピック競技のファイナルに出場したアスリートで、始まる前からはっきりと敗北を意識している人はいるのか、と。いや、むしろ全員「俺が勝つ」、「最高のパフォーマンスをしてやる」と考えているに違いありません。
0113

通訳は常に重圧との戦いです。資料が揃っていなければ竹やりを抱えて戦場に突撃するようなものですから、メンタルが強くなければ絶対にパフォーマンスに響きます。本連載では、メンタルの手綱をしっかり握る方法を知ることで、安定的なパフォーマンスを引き出す方法について紹介していきたいと思います。