第69回 ハワイからお届け~創造力のヒント本&コジー・ミステリー

1.
もし、シートン・シニア氏の言うことが原理的に正しいとすればどうだろうか?自分の存在というありのままの事実のために人や物の世話になっているだろうか?そうだとすれば、誰のために、何の為に、何をしなくてはすべきなのだろうか?そして、どのように支払うべきなのだろうか?

<コメント>シニア氏はちょっと違和感があるかな。in principleは付け足す形で書かれていますから、もう少し軽くてもいいです。「自分の存在」だと少しぼやけるので、「自分が存在すること」みたいにすると分かりやすくなりますね。「世話になる」は少し分かりにくいかなあ。世話だったら御礼になるかな。「しなくてはすべきなのだろうか」はちょっと意味が分かりにくいです。もう一工夫。
<余談> はい、お久しぶり。意味は分かってもそれを他人がすっと読める文章にするためにはやっぱり字面だけではなくて、もう一歩踏み込む工夫と度胸が必要になりますね。

2.
-原則として-父が正しかったとしたら?存在という事実自体そのものに、誰かや何かに借りがあるのか?だとしたら、何を借りてるのか?で、どうやって返済すべきなのか?

<コメント>「-原則として-」を文頭に持ってくるのなら、普通に「原則として、」で良いのでは? 「父」なら「父親の方」とかかな。「存在という……」の行はちょっと分かりにくいです。字面をそのまま追ってしまっている感じで、もう少し意味にかえって訳してみる方がいいですね。

3.
仮に彼の言うことが原理的に正しいのだとしたら、我々はただ存在しているというまさにその事実のために、誰かや何かに対して何の借りを負っているというのだろう? 誰に、何に、何の借りを? そして、それはどのように返すべきなのか?

<コメント>うーん、悪くはないんですが、最初の行と次の行をつないでしまったことでかえって分かりにくくなっていますね。その次の行は前の行とダブる形になっていてちょっとしつこい感じを受けます。
<余談> 踊りの件もそうですが、結局、責任を取りたくないシステムなんですね。何かトラブルが起こると困るから禁止しておけばいい、そうすれば責任を取らなくて済む。そして社交ダンスとディスコダンスを分けると、線引きについて責任を求められるから、ダンスは全部禁止。二次元エロスも禁止。でも「クールジャパン」は推進しようとかね。要するに全体像がないところで、責任を取らないようにしているだけです。そういう政治家や官僚に投げっぱなしの国民が悪いんですよ。

4.
原理的に言えば、アーネストの父親の考え方が正しいのだとしたら?我々は存在しているという事実だけで、誰かに、あるいは何かに対して債務が発生してはいないか。もしそうだとすれば、何を誰に、どこに支払う義務があるのだろう。それをどんな方法で返済すべきだというのだろうか。

<コメント>「原理的に」よりは「基本的に」くらいでいいんじゃないかな。「我々は、自らが存在している」とかしないとちょっと分かりにくいかも。「何を誰に」ではなくてto whom or to what?だから「人間あるいはそれ以外の何に対して」。細かいところにも注意。
<余談> ああ、曾祖父が諏訪ですね。祖父の代には東京に移っていたようです。

5.
もし、シートンの父親が大筋で正しいとしたら、どういうことになるのだろうか。我々は自分自身が存在するという事実に対して、誰かや何かに債務を負っているのだろうか。もしそうだとしたら、どんな債務で誰や何に対してなのか。また、どうやってそれを返済するのだろうか。

<コメント>なかなか良いと思います。ただshouldですから「どうやってそれを返済するべきなのだろうか」ですね。

6.
仮に‐‐‐セトンの父親の考えが基本的には正しいのだとすると、どう考えればよいのだろうか。私たちは、今生きているというそのことだけで、誰かに、あるいは何かに借りがあるのだろうか。そうだとすると、それはどんな借りなのだろう。誰に対して、あるいは何に対してなのだろう。そして私たちはどのような形でその借りを返せばよいのだろうか。

<コメント>セトンではなくてシートンです。名前は調べましょうね。どう考えればよいのだろうかは少し冗漫かな。「正しいとしたら?」くらいで。「生きている」だと「living」でここは「存在」とした方がいいかな。全体に長くなりすぎでちょっともったいないです。

7.
シートンの父親が ― 理屈のうえでは ― 正しかったとしたら? 自分が存在するという事実そのもので、誰かに、あるいは何かに借りがあるのだろうか? そうだとすれば何を負っているのか、それは誰に、あるいは何に対して? そして、どうやって返せばよいのだ?

<コメント>「理屈のうえでは」という話ではないと思うんですね。前は変な人と思っていたけれども、言っていることが本当だとしたら?という自分の疑問から話を進めているわけです。なので「理屈の上では」というと否定的に響いてしまいます。「返すべき」かな。
<余談> キリスト教で言えば原罪みたいなものですかねえ。でも親や先生に対する恩は返せないんですよ。だから逆にその借りを子供たちに対して返すんでしょうね。

8.
もし、彼が原則として正しければどうだろうか?私たちは、存在しているという事実そのもののために、誰か、または何かに借りがあるのだろうか?もしそうなら、誰に、または何にどんな借りがあって、どうやって返せるのだろうか?

<コメント>おおむね良いと思うんですが、「そのもののために~借りがある」は少し分かりにくいかな。「そのものを理由として」とかするとすっきりするかな。あと「And how…」は別の行にしてもよかったかも。
<余談> 定義というのはとても大切なんですね。たとえば「TPP」しかり。何となく報道がいいことのように伝えればそれを鵜呑みにする。ペットの議論で、ロボットとリアルの違いが定義されなければというのは、実のところ生命とは何かという定義に他ならないわけです。翻訳の作業というのはそういう一つ一つ曖昧なままにしてきた言葉を再定義する作業でもあります。

9.
もし-建前上だが-彼が正しかったら?私たちはただ存在しているだけで誰かや何かに借りがあるのではないか?もしそうだとしたら私たちは何の借りがある?誰に?何を?それはどうやって払えばいいんだ?

<コメント>建前としてしまうと、否定的なニュアンスですよね。でもこの人はもともとシートン父のことを否定的に見ていたわけですから、それだと逆になってしまう。あと口調はもう少し丁寧でもいいかもしれませんね。著者は女性ですし。

10.
シートン氏の父親の行動が本質的に正しかったとしたら、私たちの存在でさえ債務の上に成り立っているということか。それは誰に対する何の債務で、どうやってそれを返済することが出来るのだろうか。

<コメント>「行動」は少し違うかなあ。「存在でさえ債務の上に」としてしまうとカネの話に見えてしまいます。「私たちが存在するという事実そのものが、私たちに債務を負わせていることになる」くらいかなあ。やっぱり「債務」はかなり工夫が要りますね。
<余談> debtは「借り」と考えればいいんですね。明石家さんまが娘に「生きてるだけで丸儲け」だからいまるとつけたのの逆で「生きてることがそのまま借りがあること」くらいに解釈すればいいんですね。debtなんて意味はぱっと分かるのに、いざ通じるように訳そうとすると難しいんですね。

11.
もしシートン氏の父親が――理屈の上での話だが――正しかったならどうだろう。ただ存在しているだけで、人は誰かや何かに借金をしているというのか。もしそうなら、何の代金を、誰から、何から借りているのか。どうやって返せばいいのか。

<コメント> 「理屈の上」という表現もやっぱりネガティブな印象を与えるんですね。そうじゃなくて、基本的にとか本質的にというニュアンス。だから「そもそも」でもいいかもしれない(やりすぎか?)あと借金としてしまうとカネの話に限定されてしまうんですね。そうではなくて、「借り」があるということなんです。話として、「誰かに借りがある状態」とは何であるのかを追求してみたいという。

12.
あくまでも理屈としては、シートンの父が正しかったのだとしたらどうだろうか。私たちはただ「生きている」というだけで、どこかの誰か、または何かに対して借りがあるのだろうか。もしそうなら、誰に、または何に、どんな借りがあるのだろう。そして、どうやって返せばいいのだろう。

<コメント>「理屈として」だとやっぱりネガティブな感じがするんですね。今まではシートン父が変なんだと思っていたんだけど、ひょっとして基本的に言ってることが正しいとしたら? という話です。それ以外はいい感じです。
<余談> debtというのはラテン語のdebeo=to oweからきてますから、借金とは限らないんですね。恩義もやっぱりdebtなんです。

13.
もしアーネストの父親が本質的に正しいとしたらどうだろう。人はこの世に存在しているというだけで、誰かに、または何かに対して負債をかかえているということになるのだろうか。仮にそうだとして、それはいったいどんな負債なのか、誰に対する、何に対する負債なのか。そしてその負債をどうやって返していけばよいのだろう。

<コメント>なかなかうまくまとめてあると思います。ただ「借り」くらいまで持っていった方がよかったかなとも。
<余談> ハワイです ヽ(゚Д゚)ノウェーイ 考えるほどにいかに自分が無知でアホかということが分かってくるんですね。昔エースをねらえ(w で読んだのは、人は穴の空いたバケツのようなもので、その穴をとにかくふさいでいくしかないと。それはそうだなと思うのですよ。

14.
もしこの父親が原則としては正しかったとしたらどうだろう? 私達は存在しているというそれだけのことで誰かに対して何らかの負債を負っているのだろうか? もしそうだとしたら、誰の何に対してどんな負債を 負っているのだろう? そしてどうやって返すべきなのか?

<コメント>素直に「存在しているというありのままの事実」、つまり「存在しているという事実自体によって」くらいにできるんじゃないかなあ。「誰」または「何」に対してですね。

15.
父親の考え方が(基本的に)正しいとしたらどうだろう。この世に生を受けることが誰かに、また何かに借金をするということなのか? もしそうならば、どれほどの額を誰に、何のために借りているのか? さらに、私たちはそれを返済すべきなのだろうか?

<コメント>借金としてしまうと意味がカネの話だけになってしまうんですね。そこはもっと広く取らないと難しくなる。「借り」とか。「何かに借金」もちょっとおかしく響きます。ですから金額ではなく、その借りとは何だろうという話ですね。「何のために」ではなく、「人」あるいはそれ以外のものに何です。
<余談> 「スピード感をもって」は文脈によりますね。たとえば、「開発をスピード感を持って」というのは分かりますが、クレーム処理で「スピード感を持って対処します」といわれたら腹立ちますし。

16.
原則的にシートンの父が正しいとしたらどうなるだろうか。人は存在しているという紛れもない事実ただそれだけで、誰かもしくは何かに借りがあるのだろうか。もしそうならば、誰にもしくは何に何を借りているのだろうか。そして、その借りはどうやって返せばいいのだろうか。

<コメント>だいたいいいんですが「何に何を」はちょっとわかりにくい、「誰に対して、あるいは何に対して、何を借りているのだろうか」くらいまで持っていきましょう。「返すべきだろうか」かな。

17.
もし彼の父親の言っていることが、理屈的にだけど、そのとおりだとしたらどうだろう。誰もがみんな、ただこうしてここにいられるのは、ほかの誰かの、何かのおかげってことなんだろうか。もしそうなら、いったい誰に、何に対してどんな借りがあるのか。で、どう返したらいいんだろう。

<コメント>「理屈的」とはあまり言わないかな。「理屈の上では」とか。まあここでは理屈は避けるべきですが。「ここにいるということが、誰かの……」ということになりますね。

18.
Seton Seniorが大筋正しかったならどうなるのだろう?私たち家族は私たちが存在する明らかな事実に対し誰かあるいは何かに借金を負うのだろうか?もしそうなら、私たちは誰にあるいは何に、何の借りがあるのだろう?そしてどうやって払うべきなのだろう?

<コメント>名前はきちんとカタカナに。家族はどこから出てきたのかな? 借金ということではないです。もっと広義のdebtですね。payは返すの方がいいかな。

19.
もしかしたら、セントン父の考え方は基本的には正しいのかもしれない。私たちは、生きているだけで誰かや何かに借りをつくっているのではないだろうか? もしそうなら、どんな借りがどこにあるのだろう? また、どのように返せばいいのだろう?

<コメント>セントンではなく、シートンですね。existenceは存在と硬く訳した方がいいかもしれません。to whom and to whatですから、人またはそれ以外の何かに対してというのをはっきり出した方がいいかも。
<余談> ただいまハワイです。暖かいです、というか暑いです。コツコツ粘り強くがんばってください。

20.
もしもこの父親が原則的に正しかったとしたらどうだろうか。我々はただ存在するというだけで、人やものごとに対して借りがあるのだろうか?だとすれば、それはどんなもので、誰に、もしくは何に対しての借りなのだろうか?そして、どのようにして返せばよいのだろうか?

<コメント> 少しまだぎくしゃくしている感じもありますが、今回のは良かったと思います。
<余談> 細切れの時間をうまく使わないとなかなか読書時間って取れないですよねえ。

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