
最終回・第10回 敗北宣言
産業翻訳者として活躍しながら通訳ガイドの活動を開始。
さらに通訳の勉強も始めた村瀬さん。
さらに、この数年で映像翻訳と出版翻訳の仕事にも着手し、翻訳スクールでの講師も始めたとか。
いろいろと変化があった、この2~3年を振り返り、総括する、最終回です。
******************************
本当に無責任な男だ。僕はビーグル犬のベック。このコラムを書いていた飼い主は逃亡した。コラムを放り出したのは、これで2度目になる。
それだけじゃない。「数年以内に通訳業に進出する」という中年の夢を、彼はあきらめた。飼い犬としてお詫びするとともに、挫折の理由を僕に分かる範囲で説明したい。
能力的に厳しい
努力は相当していた。数字の聞き取りが弱いと悟ると、「そもそも瞬時にアウトプットできないからだ」と考え、ライトアップされた表参道の歩道橋から下を通る車のナンバーをぶつぶつ英語で読み、行き交う恋人たちにヤバい人扱いされたこともあったそうだ。
ただ、いかんせん、頭の回転は決してよろしくないし、もともと母語の滑舌にも問題があるなど、発話の難が一向に解消されない。やはり、犬にも人にも向き不向きがある。翻訳が長考を許される将棋なら、通訳は持ち時間なしの1分将棋。彼に向いているのは、明らかに前者だ(ただし将棋は僕より弱い)。
経済的に困難
努力が足りないだけだ、というご意見もあろうし、おっしゃる通りだと思う。ただ、状況が許さなかった面もある。
50代が近づいてさすがに健康に気をつかい始め、夜間シフトを伴うニュース関係の翻訳仕事から完全撤退した。同時に、機械翻訳の影響を受けにくい分野にシフトしようと、映像翻訳、出版翻訳の割合を高める方向に動いている。
とはいえ、出版翻訳はまだとても柱とは言えない状況。通訳ガイド業は訪日観光客が戻って来るまで再開できない。そのなかで、いつ収益化できるか見通せない通訳業を追うのは、事業バランス上あまりにも危険である。ましてや、中学3年生と浪人生の子どもたちが揃って私立学校に進学した日には…
価値観の変化
通訳訓練に限らず、フリーランスとして仕事時間以外のほぼすべてを能力開発に注ぐのは当たり前のことだと、彼は思っていた。特にノマド旅に出なくなってからは、それが顕著だった。一方、会社員は職場を離れれば、仕事を忘れて楽しむのが普通だ。しかし彼は、満員電車で通勤する人たちと自分を比べることはなかった。
ところが、リモートワークが普及し、自分と同じように自宅で働く人が仕事を終えるとゲームや趣味に興じるのを見て、彼は大いにうらやましがった。「どこでも働ける」というフリーランスの特権を享受しながらも、自由時間を楽しむとは!
それと同時に、加齢と今の社会状況のせいで死が身近になった。あくせく勉強せず、もっと人生を楽しむべきではないか。常に英語に触れ、訳語を考えていないと不安と罪の意識にさいなまれていた彼の考え方は変わり始めた。
といっても、今はお出掛けできないので、彼は僕と遊ぶ時間を増やしたほか、子どもの教育に時間を費やしている。浪人生の子どもにとって、ただの寄り道の一年にならないようにと、英字紙・雑誌のコラム記事を毎日1本選んで読ませ、質疑応答を毎晩繰り広げている。
大学教養課程の課題よりハードだが、正しいやり方だと思う。どうも、日本人は英語の勉強を目的化し、英語力を手段とする場合も進学・就職や限られた事務にしか使わず、宝の持ち腐れにしている。世界から情報を集め、多様な考え方に触れ、発信するために英語力を使えるようになったなら、「浪人してよかった」と思えることだろう。