第7回 ライフステージに応じた仕事のしかた

通訳者のキャリア形成2018.03.27

「ライフステージに応じた」というのは、通訳者においては女性が圧倒的に多いという現状から、このテーマについて取り上げてみました。

80年代以降、通訳者の8割は女性

実は、日本で通訳エージェントが誕生した1960年代に、職業として通訳に従事しているのはほとんど男性でした。大きな国際会議や政府の会議において女性通訳を提案しても、女性には任せられないと断られた逸話があるくらいで、現在では考えられない状況でした。
私が通訳業界で仕事を始めたのは1980年代後半で、その頃はすでに通訳として活躍されている方々の男女比率は圧倒的に女性が多く、8割以上と記憶しています。なぜこれほどまで女性比率が多いのだろうかと考えたとき、はたと思い当たる節がありました。

それは自分自身の就職活動にヒントがありました。男女雇用機会均等法以前のことで、4年制大学の女子の就職は大変な時代でした。まず男子学生には山ほど入る説明会の案内すら無い、自分で問い合わせても「女子は採用枠はありません」「短大卒のみ対象です」の答え。
やっと面接に漕ぎ着けても「お父様のご職業と勤務先は」「当社にお知り合いは」という質問で、唖然としたことを覚えてます。友人もある面接で「当社の男性社員の配偶者候補として相応しいかどうか」というニュアンスの質問に憤慨して帰ったと聞きました。つまり当時のいわゆる大手企業は、女性を戦力としては期待していなかったということです。

日本の高度成長期において、知的好奇心に溢れた留学経験者や帰国子女の女性達が能力を発揮する場が少なく、男性は引く手あまたでした。その後の不況期においてはなおさら女性の就業は厳しく、男性にとってはフリーランスという不安定な状況ではなく、安定的に保証される道を選択する方が多かった。そのためフリーランスを基本としていた通訳従事者は、女性が圧倒的に多くなったのだと思います。

女性はライフステージの変化に合わせることが必要

1986年4月に「男女雇用機会均等法」が施行されましたが、実態としての多くの女性の職務内容は限定的な状況が続き、2007年の改定までは、女性にとって結婚はともかく、出産は大きなハードルとなっていました。現在でも現場においてはそのハードルがまったく無いこともなく、さらに介護の問題も手付かずです。
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フリーランスとしての通訳の女性達は、このハードルに挑戦し続けてきました。一見、毎日定時に出勤しなければならない会社員と異なり、有利に思われる方がいるかもしれませんが、逆に業務時間が不規則で時間変更が多く、出張も多い仕事ですので大変です。当日子どもが熱を出しても、代わりの方がいなければ休めない責任重大な仕事です。
では先輩達はどのように乗り越えてきたのでしょうか
ポイントは、エージェント・クライアント・通訳者仲間・家族、すべての関係性を良好にしておくことだと思います。
出産だけでなく、いろいろなライフステージの変化において休業期間は必要です。そのハードルを超えて復帰するには、それまでにクライアントやエージェントから復帰してほしいと思われる実績と、信頼関係を作っておく必要があります。復帰後は家族などのバックアップ体制と通訳仲間の協力関係が欠かせません。特に同業の先輩でハードルを経験してきた方のアドバイスやさまざまな情報はありがたいものです。

変化したときには無理をしない、焦らない

私が今までいろいろとご相談を受けた時に申し上げたことは、ライフステージが変化したときに無理をしない、焦らないで欲しいということです。あえてブレーキを踏む期間として認識し、アクセルを踏めるようになるまで、自分でできる仕事を慎重に選んで、選んだ後は全力ですることだと思います。そして仕事のリズムを作って、自分と家族の体調管理に留意することが重要になります。
復帰後すぐに前と同じペースで頑張って仕事をして体調を壊したり、穴を空けたりすればクライアント・エージェント・通訳仲間に多大な迷惑をかけることになります。
逆に仕事の頻度を落とし短時間の仕事しか出来なくても、時間制限があっても引き受けた仕事は完遂することがエージェントやクライアントの信頼を生んでいきます。人によっては派遣という形態、放送通訳やコールセンター通訳、通訳スクールの講師など時間や場所があらかじめ固定している形態も選択肢にあるでしょう。

通訳という仕事に定年はありません。引退を決めるのは自分です。ライフステージといっても100人100様です。常に関係者との信頼関係を構築していくことが、長くこの仕事を継続していくコツだと思います。

次回は人工知能と今後の通訳についてをテーマとしたいと思います。