Vol.10 トライリンガルへの長い道のり(後編) /翻訳者・通訳者 丸岡英明さん

通訳者・翻訳者の子育て2018.03.26

英語圏で育つと
英語以外の言語への意欲が薄れがちに

長女が9歳のときに台湾からオーストラリアに移住したのに対し、7歳年下で現在13歳の次女は、2歳のときにオーストラリアに移住しました。移住当時はようやく言葉を話し始めたばかりで、日本語も中国語も片言しか話せませんでしたが、英語を速く習得させたいとの思いから、地元の保育園に毎日預けることにしました。そのお陰で、次女はすぐに英語が上達しました。長女のときと同様に、台湾人である母親が中国語で、日本人である私が日本語で次女にも話しかけるようにしたのですが、返事は英語で返ってくる事が次第に多くなり、今では100パーセント英語で返事が返ってくるようになってしまいました。長女と次女の会話も、オーストラリアに移住した当時は中国語だったのですが、長女の英語能力が上達するに従い英語で話すことが多くなり、今では完全に英語になってしまいました。

これは、子どもたちの性格の違いもあるでしょうが、台湾とオーストラリアという育った環境の違いも大きくあるのではないかと思います。どういうことかと言うと、英語は国際社会においてステータスが高く、広く使われている言葉であるため、英語圏で育つと英語以外の言語を学ぼうという意欲が削がれてしまうということです。私たちが住んでいるブリスベン市の南郊は、アジア系の移民が多く、両親はアジア言語を母語としているのにもかかわらず、子供たちは英語しか話すことができないという家庭が多くあります。

そのため、次女については、早い時期から教育方針を改めることにし(正確には、多くを期待することはやめ、諦めることにし)、中国語も日本語も強要せず、英語を母語として育てることに決めました。幸い、オーストラリアは、地理的な近さや国際貿易の重要性からアジア言語への関心が高く、中国語や日本語は比較的簡単に学習することができるので、もっと大きくなってから外国語として学んでもかまわないと考えるようになりました。次女が幼稚園の年長になったときに長女はまだ日本語補習校に通っていたため、次女も一緒に通わせましたが、長女が中学3年で補習校を卒業したのと同時に、次女も小学校3年でやめてしまいました(これには、送り迎えや当番などのボランティアを続けるのがあまりにも大変だという親側の事情も多くあったのですが…)。ちなみに、日本語補習校では日本の国語と算数の教科書を使って日本のカリキュラムに沿って教育を行っており、小学校の3年生頃になると覚えなければならない漢字の量がぐんと増えて勉強の内容も難しくなるので、この年齢を境に毎年生徒数が激減するようです。

次女はまず英語を母語として習得
外国語として日本語や中国語を勉強

私たちが住んでいるオーストラリアのクイーンズランド州では、小学校4年生から外国語が必須科目となっており、どの言語を学ぶのかは学校によって決まっています。うちの校区の小学校で教えている言語は中国語ですので、次女は小学校4年生から3年間中国語を外国語として勉強しました。中学に上がってからは、日本語を外国語として勉強しています。日本語補習校の幼稚部のときにひらがなとカタカナを習得したはずなのですが、すべて忘れてしまったようで、自分の名前もひらがなでまともに書けない状態でのほぼゼロからの再スタートです。

中学に入って日本語を一からやりなおしする次女。

中学に入って日本語を一からやりなおしする次女。

私たち夫婦の心境も、長女を育てたときとはかなり違ったものになっています。第1子のときは、何から何まで始めてのことばかりで、失敗は許されないとばかりに、育児書を読んだり、インターネットで調べたり、先輩のパパママ友達のアドバイスを仰いだりしてきましたが、2人目のときには、放っておいても何とかなるだろうと、リラックスした心持ちで、楽しみながら子育てができるようになっていました。長女のときには、「しまじろう」や「赤ペン先生」などの教材をわざわざ日本から取り寄せて提出させていましたが、2人目のときにはそんなものは一切なしです。

そこまで落ち着いた気持ちで子育てができるようになった背景には、次女が生まれたときには私はすでに何年も翻訳や通訳の仕事をしていたため、日本語ネイティブ並みに日本語が堪能な数多くの英語ネイティブの翻訳者や通訳者の方々と仕事の関係で知り合いになり、皆さん、中学や高校に入ってから日本語と出会い、日本が好きになり、ここまで日本語を上達させることができたという状況を目の当たりにしたこともあります。彼らと話をしているうちに、彼らと同様に、次女も、まずは英語の力をしっかりとつけ、ある程度大きくなってから外国語として日本語や中国語を勉強する方が、どの言語の能力もより高いものにすることができるのではないかと次第に考えるようになりました。

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