第10回 冗長さと簡潔さ、語りの出し入れを調整する

現代文学翻訳コンテスト2017.08.01

 今回は51通のご応募をいただきました。正確な訳文を多く寄せていただき、改めてこの企画のレベルの高さを実感しております。どうもありがとうございます。本連載は全12回で終わりとなりますので、残り回数もわずかになってきたのが早くも名残惜しい気分です。

 課題文の作者サックスは、人を食ったユーモアが持ち味の作家です。ちなみに、デビュー作となる短篇集Inherited Disordersが出版されたあとにインタビューに答えているのですが、執筆の動機については「本を書いて有名になりたいから」、父と息子という全体のテーマは「消去法で決めた」と語るなど、どこまでが本気なのかわからないサックス・ワールドを本の外でも披露していました。どこか無頼漢めいた彼の雰囲気は、一読者としては非常に頼もしいのですが、翻訳するとなると、またいろいろと考えねばなりません。まずは課題文のほうを確認しましょう。

第9回課題文(再掲)

“Concerto for a Corpse”
by Adam Ehrlich Sachs

  Just months after debuting to great acclaim with his father’s Concerto in B Minor, Hronek lost the pinky finger of his right hand in what he described as an eating incident at a Prague restaurant. Critics declared his career over; Hronek himself announced his retirement. Yet less than a year later he made a glorious return with his father’s Concerto for Nine Fingers.
  His fame now was even greater than before. He crisscrossed the continent, played before kings and prime ministers. But in 1911, at a Parisian brasserie, he suffered another eating incident and lost the index finger of his left hand.
  There is no coming back from this one, critics said.
  “I am done!” Hronek bellowed at the journalists who crowded in the stairwell of his apartment building. “I am finished! Leave me alone!”
  The very next year, of course, came his stunning performance of the Concerto for Eight Fingers, composed by his father.
Soon World War I loomed. With his mutilated hands and his cultural prestige, Hronek was clearly of more use to the Austro-Hungarian Empire in concert halls than on battlefields. Not only was he not drafted, he was actively discouraged from enlisting. But for reasons that musicologists continue to debate, Hronek insisted on joining the army anyway.
  At the Battle of Galicia, one of the first of the war, Hronek’s left arm was shot by a Russian sniper and had to be amputated at the elbow. His commander later recalled that Hronek kept kind of accidentally lifting both of his arms above the lip of the trench. “Hronek!” he would bark. “Keep your arms down!” And Hronek would lower his arms. But a couple of minutes later the arms would drift up above the parapet again. “Hronek!” the commander would bark. “Don’t you want to play piano again?” And Hronek would say yes and lower his arms again, but only temporarily. Finally, his left arm was shot and amputated.
  His father began composing the Concerto for the Right Hand almost immediately. Hronek’s wartime performance of the piece with the Vienna Philharmonic is considered by many aficionados to be one of the greatest piano performances of the last century.

 何度読んでも、いくらなんでもそりゃないだろう、と突っ込みたくなる箇所が満載なのですが、ともあれ忠実に訳していかねばなりません。そのうえでポイントになるのは、①原文の簡潔さと饒舌さをどう再現するか、②語る・語らないという区別を話法でどう調整するか、という二点だろうと思います。

解説

1:語り口調について

 全体のトーンについて、文章の特徴をざっと見ておきたいと思います。基本的には、この短篇はルポルタージュに近いような(さらにいえば辞書の項目にも通じるような)硬めの文体で書かれています。それがわかるのは、たとえば第一段落での“in what he described as an eating incident”という言い回しです。もう少しくだけた文章であれば、そこは“in an eating incident, as he called it,”などの形でも意味は通じますが、あえて“what he described as”というフレーズを使っていますから、その分ものものしい効果を狙っていると考えてよさそうです。さらに、“The very next year, of course, came …”という倒置の形が用いられていることも、その文章としての硬さの表れだと考えられるでしょう。

 ですので、今回は「である」調がときどき混ざるくらいの仰々しい訳文で対応し、説明されている出来事の馬鹿ばかしさとのギャップを狙う、というあたりの口調で綴っていくのがちょうどよさそうです。実際、応募された方のかなりの数は、そうしたものものしいトーンを選ばれていました。

 ただし、主人公が発する科白“I am done!” そして“I am finished! Leave me alone!”については、若者の生き生きした口調を目指す必要がありそうです。“I am done!”と“I am finished!”は自分の破滅を述べるという意味はほぼ同じですが、単語が違う分、「終わり」と「おしまい」などで表現を少し変えてみるべきかと思われます。

2:人名と曲名の表記について

 続いて、人名など固有名詞の表記についてです。まず主人公の名前はどう表記するのが正しいのでしょうか。ここはチェコ語の達人に聞くことができないという前提で書きますと(僕の身の回りにもいません)、たとえばインターネットでの検索で“Hronek pronounce”と打ち込むと、どのような音なのか、発音表記を見せてくれたり、実際の音声再生ができるウェブサイトが出てきます。ただし、今回それを調べてみても、最初の“H”の音を発音するか発音しないのか、どちらのバージョンも出てきてしまいます。加えて、インターネット上の発音ガイドは英語での発音を標準にしているケースもあったりして、どこまであてにしていいものか迷います。

 少し近いパターンの人を探してみますと、たとえばチェコ生まれの大作家でボフミル・フラバルという人がいて、「フラバル」が“Hrabal”ですから、“Hronek”もそれに準じると考えれば、「フロネク」か「フローネク」あたりが候補になるでしょうか。それにしても、“H”は「フ」と「ハ」のどちらにも近いように聞こえますから、なかなか厄介です。今回は「フローネク」ということで話を進めていきます。

 曲名の表記についても、さまざまな可能性があります。最初に登場する “Concerto in B Minor”について、みなさんから寄せられたものをいくつか挙げてみます。

 まずは「協奏曲」とすべきか「コンチェルト」とすべきか、という問題ですが、現在日本で発売されているクラシック音楽のタイトルを見たところでは、「協奏曲」、かつ楽器も明記して「ピアノ協奏曲」とするのがもっとも一般的な形になりそうです。ショパンなりラフマニノフなりといった大作曲家であれば「第二番」といった呼び方が定着しているようなのですが、今回は架空かつ匿名の父親による作曲ですから、それは使えず、「ロ短調」とするべきでしょう。ちなみに、科白部分や本のタイトルと区別する意味で、〈 〉を使用するという案に僕も賛成です。

 それらを合わせますと、〈ピアノ協奏曲 ロ短調〉が第一候補なのかなと思います。そのあとに出てくる曲名、たとえば“Concerto for Nine Fingers”は、応募文を見てみますと、「九本指のための協奏曲」あるいは「九本指の協奏曲」という表記もありました。それですと、一本失って九本の指になったということか、生まれつき指が九本であるということなのか、やや判断がつきづらいので、今回の場合は「九本の指のための」がいいのかなと僕は思っています。ちなみに僕は、生まれつき指が十一本あるピアニストのための幻想曲(架空の曲です)に題材にしてベン・ファウンテンという作家が書いた「十一本の指のための幻想曲」という短篇を翻訳したことがあります。

 もう一つ、地名として出てくる“Galicia”は、第一次世界大戦の初期という史実を踏まえ、東欧の「ガリツィア」が正しい表記です。「ガリシア」とすると(僕も最初は字面に騙されて「ガリシア」かと思いました)、スペインの北西の地域を指してしまいますから、ちょっと要注意です。

3:冗長さと簡潔さ

 サックスの語り口が仰々しいものであるという点と関連しているのですが、訳文でも冗長であるべき部分と簡潔であるべき部分を区別します。たとえば、出だしの文章を見てみましょう。

 応募訳文を見ますと、この文章を二つの文に分けて訳した方と、やや長い一文で訳したという方の両方がおられました(後者がやや多かったでしょうか)。僕としては、ここは長い一文で訳すという方針に賛成です。「~してから数か月後、フローネクは……した」という形にするほうが、科学的な説明文のような調子で訳せ、仰々しい感覚をうまく出せるだろうと思うからです。

二つの文に分けるときとの違いを確認してみましょう。

 文を二つに分けるほうが、ややすっきりとした印象にはなります。ただ、原文が硬めの口調を選んでいるわけですから、ややごちゃっとした一文のほうがその感覚は伝わりそうです。

 そんななかにも、簡潔さを心がけるべき箇所があります。それは“eating incident”をどう訳すのかという問題です。ここはみなさん頭を悩ませたというコメントをいくつかいただいていて、実際、さまざまな案が寄せられました。

 考えだせばいくらでも候補が出てきそうな気がしますが、ある程度訳語のイメージを絞るために、ここでは何が起きたのかという「内容」と、それをどう言葉にしているかという「表現」の双方を確認する必要があります。

 内容面について言えば、ここではレストランで指を一本切断してしまったわけですから、もっともありうるのは、肉か何かをナイフで切ろうとしているときに自分の指も切ってしまった、という事故かと思われます。とはいえ、「誤食」あるいは「噛み切り」にあるような、自分の歯で指を噛み切ったという可能性も捨て切れません。ですので、どちらかに決めてしまうのではなく、可能性をなるだけ多く含むような訳語を選ぶべきでしょう。そうなると、「食事の」「食事中の」あたりが無難でしょうか。

 将来有望なピアニストにとっては世界が終わったに等しいような悲劇なのですが、それをフローネク本人はオブラートに包むように、“eating incident”というたった二単語でまとめています。故意か偶然かも含めて、あまり詳しく語りたくないという心理でしょうか。ですから、日本語の訳でもあまり長くならず、漢字二、三文字の単語を二つペアリングするのが、原文の簡潔さをうまく反映させられると思われます。「事故」とすると偶然の要素が強くなりますから、故意とも偶然とも取れる「出来事」あたりがいいでしょうか。ということで、「食事中の出来事」が、真相が曖昧なままあっさり片付けられるという荒業的側面も含めて、しっくりくるのかなと僕が考える次第です。

 故意か偶然か、という点は、この作家の作風、さらにはユダヤ系作家による文学にもつながる問題です。ユダヤ系文学の伝統において、父と息子の関係は、神と人との関係にも重ね合わされ、息子が父の重圧にもがくというドラマを生み出してきました。たとえばポール・オースターの『孤独の発明』の第一部など、その典型と言ってもいい物語です。

 サックスの作品においては、フローネクがユダヤ系であるかどうかは語られていません。ですが、協奏曲を作曲する、すなわち創造する父と、それを演奏する、つまりは父の創造した世界のなかで生きる息子、という図式は、創造主である神と、その被創造物である世界に生きる人間という、ユダヤ的な伝統に直結しています。

 父親の定めに従って生きることへの葛藤なり反発なりをフローネクは抱えていて、ひょっとすると自分でも気がつかないうちに、自らのピアニスト人生を絶つ行動をなかば故意にしてしまうのかもしれません。しかし、指を何本失ったとしても、父親はフローネクが退場することを許してくれないわけですが……。そんな親子のドラマが、ナンセンスなユーモアによって表現されていると考えることは可能でしょう。

 それが直接訳語に影響してくるのが、従軍した主人公が左腕を撃たれるときの行動です。指揮官の回想を通して、その様子はこう書かれています。

 ここでのフローネクは、自分のピアニスト人生を終わらせるためにわざと撃たれようとしていたとしか思えない行動を取っています。こうなると故意だろうと言いたくなるところですが、それは指揮官に言わせれば“kind of accidentally”だとのこと。さて、この部分はどう訳すのがいいでしょうか。いつものように、みなさんの訳をいくつか挙げてみます。

 これまた実にヴァリエーション豊かです。ここで気をつけるべきは、フレーズが二つの要素、つまりは“kind of”(ある種の)と“accidentally”(偶然に)に分かれていることで、偶然のように見える行動ですが、“kind of”があることで、偶然だとは言い切れないよね、と保留がつけられています。故意か偶然か、ちょっととぼけたような語り口にすべき箇所でもありますから、そうしたことを加味すると、たとえば「どういうわけか」なんていうフレーズは案外近いのではないかと思います。

4:語るのは誰か

 会話文として登場するのは、フローネク自身の「もうおしまいだ!」という叫びと、戦場で指揮官が「腕を下げろ!」と叫ぶ場面の科白です。それ以外にも、音楽の批評家たち、あるいは戦場での様子を指揮官の回想に託して語るところにも、科白的な要素はありますし、フローネクの悲劇に際しての批評家たちの反応も、科白のように訳すことは可能でしょう。そしてその背後に、一度も姿を見せず、何も言わない父親の不気味な存在があります。

 この短篇の翻訳では、科白のように訳す言葉と、あえて科白的側面を抑える言葉の区別は、しっかりとつけておくべきかと思われます。なぜなら、全体としての出来事の馬鹿ばかしさと、それを大真面目に記述する語り口は、匿名の三人称の語りによって最後までコントロールされているからです。その意味では、登場人物に語らせすぎず、あくまで語り手に操られているという側面を強調するほうが、うまく原文のトーンに近づけそうです。

 そう考えれば、明白に科白として提示されているもの以外は、基本的に説明的な語りの一部としてのトーンを貫くことで、全体の語り口調を統一することができると思います。具体的には、批評家たちによる反応を語る“There is no coming back from this one, critics said.”という文は、あまり話し言葉に近づけずに突き放したような口調、たとえば「今回こそは復帰は無理だろう、と批評家たちは言った」などと訳して匿名性と距離感を保ちます。あるいは、戦場での主人公の様子を指揮官が回想するくだりでは、「~したものさ」などの語り口調は慎み、あくまで叙述に徹する、という方針が第一候補となるでしょうか。

5:時制の問題

 基本的には過去の出来事を記述する形式で進むこの短篇ですが、ひょっこりと現在形が顔を出す箇所が、課題文のなかにも二つあります。そのひとつ目で、応募文のみなさんの訳はかなり分かれましたので、そちらを見ておきたいと思います。

 問題の箇所は、フローネクが軍に入隊しないように言われているにも関わらず入隊すると言い張ったくだりです。

 前半が現在形、後半は過去形となっています。

 この時制の区別を踏まえるなら、前半は「音楽の学者たちが今でも議論を続けている理由により」となり、後半は「フローネクは結局軍に入ると言い張った」という意味になります。つまり、フローネクは何としてでも軍に入隊を希望したのだが、それがどういう理由であるのかについては、それから一世紀経った現在でも諸説あって決着はついていない、という意味になります。

 とはいえ、ここまで来ると、フローネクにある種の自滅願望があったのでは、という可能性は何となく察しがつくのですが、それでも理由はわからないととぼけてみせるあたりがサックスの持ち味でしょうか。

 それとは少し異なりますが、今回の課題では多くの方から“would”の訳し方に悩んだとコメントをいただいています。戦場で腕を上げ、注意されては下ろすもののまた上げてしまう、そんなフローネクの「奇行」を描写する際に、“would”は何度も登場しています。確かにここはどう訳すべきか悩みどころです。

 ここは、習慣をはじめとして、過去に何度もあった行為や出来事を述べるときに“would”が使われるという典型的なケースだと言えます。それを翻訳する際の一つの選択肢に、過去のことだが現在形で訳すことで反復性を示す、という手段があり、今回の場合にはそれが有効だろうという気がします。たとえば、こんな具合になるでしょうか。

6:文法と単語の問題

 硬質な文体で書かれている文章ですから、おのずと文法や単語の選択も、ちょっと小難しいものが多めになっています。それに関して、いくつか質問をいただいているので、僕なりの考えを述べてみたいと思います。

 一つ目は、“Not only was he not drafted, he was actively discouraged from enlisting.”というセンテンスです。文法的には、“not only ~ but also …”の形を少し簡略化したものになっていて、「~だけでなく…」というなじみの形です。主人公は「徴兵されなかった」だけでなく、「入隊しないように強く勧められた」という意味になります。

 単語として面白いのは、第一次世界大戦が近くなったときの“loomed”という動詞でしょうか。一単語ではありますが、何かが不気味に姿を現しつつあるときに使われる言葉で、これまた実に多様な訳案をいただいています。

 この段階では、戦争が近い気配は充満していますが、まだ始まってはいません(「勃発した」であれば“broke out”などが単語として選ばれます)。その段階でフローネクは入隊し、いざ大戦が始まると、いの一番で負傷したという流れになります。ですので、「足音が迫ってきた」などの、緊迫しつつあることを示す表現が近いのではないかと思います。

 それ以外にも、ガリツィアの戦いを“one of the first of the war”と説明している表現は、直訳で「大戦の初期の戦闘の一つ」とするとやや不器用な印象がありますから、もう少しこなれていて簡潔な訳語を考える必要がありそうです。「大戦初期に戦場となった」や、「皮切りの一つである」といった案も寄せていただいていますが、ここは「緒戦」という便利な単語が日本語にありますから、それを使えば簡潔にまとめることができそうです。

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