第8回 軍事用語の比喩で表現された子どもの世界を訳す

現代文学翻訳コンテスト2017.06.01

第8回課題文 発表

 それでは次回の課題文を発表したいと思います。取り上げようかどうしようか、とここまで数か月迷ってきましたが、いつかは通る道ということで、アンソニー・ドーアの短編「深み」(“The Deep”)から出題します。

 ドーアは1973年アメリカのオハイオ州生まれの作家ですから、今年で44歳の中堅作家ということになります。日本では短編集『シェル・コレクター』『メモリー・ウォール』が岩本正恵さんの翻訳で出たあと、長編『すべての見えない光』は僕が翻訳することになりました。

 「深み」は2011年に発表された短編で、時期的には『すべての見えない光』の執筆と重なっています。そのせいもあって、少年と少女の出会い、厳しい社会情勢という設定など、二つの作品には重なり合う要素がいくつも見られます。

 『すべての見えない光』は、1930年代から第二次世界大戦下のヨーロッパを舞台にしていましたが、「深み」は1910年代から1930年代のアメリカ合衆国、デトロイトの岩塩採掘鉱近くに設定されています。主人公となる少年トムは、先天性の心臓欠陥を抱えており、寿命は16年程度、運が良ければ18歳まで生きられると医師から告げられています。心臓に負担がかからないように、とにかく興奮しないことと言われ、母親からもそのことを繰り返し戒められて生きています。

 12歳のとき、彼は学校でルビー・ホーナデイという同級生に出会います。海のなかの色鮮やかな世界について書いてある赤い本を持ったルビーが、海についてクラスで発表すると、その言葉に興奮したトムは意識を失います。もう学校には行かないほうがいいと診断され、家でじっとするほかない日々が続きますが、用事で近所に行くことは認めてもらえます。

 トムがそうして日常を過ごして15歳になったある日、ルビーがふたたび彼の前に現れて、近所の野原の探検に彼を連れ出します。自分の心臓に悪いのではないか、母親の言いつけに背いていいのか、そんな思いはありつつも、トムはルビーの魅力に抗えずについていきます。課題の文章は、そうして二人が世界を共有していくくだりです。

課題文

  The following Tuesday Ruby meets him at the end of the lane. And the Tuesday after that. They hop the fence, cross the field; she leads him places he’s never dreamed existed. Places where the structures of the saltworks become white mirages on the horizon, places where sunlight washes through groves of maples and makes the ground quiver with leaf-shadow. They peer into a foundry where men in masks pour molten iron from one vat into another; they climb the tailings pile where a lone sapling grows like a single hand thrust up from the underworld. Tom knows he’s risking everything – his freedom, Mother’s trust, even his life – but how can he stop? How can he say no? To say no to Ruby Hornaday would be to say no to the world.
  Some Tuesdays Ruby brings along her red book with its images of corals and jellies and underwater volcanoes. She tells him that when she grows up she’ll go to parties where hostesses row guests offshore and everyone puts on special helmets to go for strolls along the sea bottom. She tells him she’ll be a diver who sinks herself a half mile into the sea in a steel ball with one window. In the basement of the ocean, she says, she’ll find a separate universe, a place made of lights: schools of fish glowing green, living galaxies wheeling through the black.
  In the ocean, says Ruby, half the rocks are alive. Half the plants are animals.
  They hold hands; they chew Indian gum. She stuffs his mind full of kelp forests and seascapes and dolphins. When I grow up, says Ruby. When I grow up . . .

 ドーアのこれまでの作品同様、この作品もすべて現在形で書かれているほか、具体的な風景描写と、未知の世界を夢見る幻想性が混ざり合った、とてもドーアらしい文章だと思います。とはいえ、訳しづらい箇所だらけなので、みなさんからヒントをなるだけもらえたらと思います。ご応募をお待ちしております。

 

現代文学翻訳コンテスト バックナンバー

第1回 翻訳とは嘔吐である

第2回 原文の語順をどこまで尊重するか

第3回 「目」の語りと「耳」の語り

第4回 現在形で書かれた原文を訳すには

第5回 比喩・仕草・会話の訳し方

第6回 父親がバッハのメロディに乗せて歌った歌詞を訳す

第7回 いかにもアメリカ的なスモールタウンの風景を訳す

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