第8回 軍事用語の比喩で表現された子どもの世界を訳す

現代文学翻訳コンテスト2017.06.01

いただいた質問に関して

 ここまでの解説ではカバーできなかったご質問が二つありますので、それについても簡単に触れられたらと思います。

 まず、「人名をカタカナ表記に翻訳するときは、どのように調べたらよいでしょうか?」というご質問をいただきました。NdibeにせよAzikeにせよ、どういった表記にすべきかは悩ましいところですね。たとえば英語からフランス語への翻訳であれば、名前はアルファベットそのままの表記で何の問題もないわけですから、仏訳者とか独訳者はいいよな、と思う瞬間は僕にもあります。そんな僕は、かつてフランス人の名前の一部を「テュ」と翻訳したところ、実は「トゥ」だったと後でわかったという恥ずかしい思いもしました。

 わりとよくある名前であれば、ネットでサンプルを拾ってくることはできます。親切なサイトであれば、発音の音声ファイルを再生できることもあります。それ以外では、同じ国・言語圏出身の有名人の名前から、ある種の表記の「パターン」を見つけて応用する、という手がありえるでしょうか。たとえば今回のNdibeであれば、ナイジェリアの作家でChimamanda Ngozi Adichieが「チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ」という表記ですから、Nは「ン」であり、おそらくはローマ字読みに近い表記がナイジェリアの人名としてふさわしいのだろうというところまでは判断できるだろうと思います。とはいえ“zi”が「ジ」ではなく「ズィ」ですから、Azikeという名前は「アジケ」より「アズィケ」の可能性が高いかもしれません。とはいえ、これも素人の推測でしかないので、最後には作家本人なりナイジェリア人の人に発音を確かめるという作業が必要になってきます。

 もう一つ、「原文の太字は同じように太字とすべきでしょうか」という質問をいただいています。原文が太字だったり斜体だったりして、そこを強調することで独特の意味合いを持たせようとしている場合、翻訳はどうすべきかという問題です。今回の課題ですと、“my Emmanuel”という表現がそれにあたります。

 僕はかつては傍点を使用していましたが、最近は傍点は使わないようにしています。理由としては、英語はわりと頻繁に強調を使用しますが、それに比べて日本語の文章は強調表現を使わないように感じるからです。あまり慣れない傍点を使って、あとは汲み取ってください、と読み手に任せてしまうよりは、強調が意味するところを少し解きほぐすように訳すほうがいいケースというのは多々あります。今回の“my Emmanuel”で言えば、「わたしのエマニュエル」として「わたしの」に傍点をふることも可能ですが、傍点なしで「わたしが知っているエマニュエル」と訳すほうが、文章としてはよりきれいなのではないかと思います。とはいえ、訳者があまり説明をしすぎると興ざめしてしまう危険もあるので、このあたりのさじ加減には僕はいつも頭を悩ませます。

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