第8回 軍事用語の比喩で表現された子どもの世界を訳す

現代文学翻訳コンテスト2017.06.01

 今回は56通のご応募をいただきました。どうもありがとうございます。今から振り返れば、何気ない一文やフレーズにも訳しどころの多い文章で、応募文を拝見していて新しい発見がいろいろとありました。

 第7回の文章で重要なポイントとしては、①語り口をどうするか、といういつもの問題のほかに、②比喩表現をどう翻訳するか、③行為の能動・受動をはっきりと区別する、④仕草やコミュニケーション関連の表現をうまく日本語に移し変える、といったあたりが挙げられると思います。まずは課題文を確認してから、個々の問題に入っていきたいと思います。

第7回課題文(再掲)

“War Stories”
by Lesley Nneka Arimah

  I resisted the urge to walk over to Anita and went instead to the cluster of girls who awaited my command. We sat in a circle looking at each other. I was seated on a crate that had once held soft drinks. Damaris Ndibe, who had installed herself as my second in command, dragged a smaller girl forward and stood her in front of me.
  “She lied about the job her older brother got.” It took me a minute to realize that I was supposed to get this right somehow. The incident with Anita made me the purveyor of vigilante schoolyard justice, but I’d lost my taste for truth.
  I stalled for time.
   “What’s your brother’s name?”
  “Emmanuel,” she whispered, and though it wasn’t my Emmanuel, something about the way she said his name, a trigger in her inflection, brought it rushing back. Emmanuel’s vigorous laughter, the way he ruffled my hair and pulled up my braids in a bid to make me taller. The way he bartered stories and wit with my father. His growing moroseness, his angry outbursts, the crying that followed. My mother would pull me away from where I eavesdropped and put me to bed. After Emmanuel left, I’d hear them argue, my mother’s raised voice saying, “It isn’t right, Azike, he isn’t right. I don’t want him here.” But the next week he’d be here again and sometimes he’d be okay and sometimes he wouldn’t, and sometimes he’d pull my braids and sometimes he wouldn’t, but he was always there. Until he wasn’t.
  Something pooled in my fist and it itched, then intensified to a stabbing pain I couldn’t shake off. I punched the lying girl’s face.
  Damaris was the first deserter. She led away the bleeding, shell-shocked girl, sneering over her shoulder. Others followed with rolled eyes and whispered insults. By the end of the day, I was a queen with no pawns.

解説

1:語り口に関して

 語り口をどうするのか悩んだ、というコメントをいくつかいただいています。確かに、会話だけでなく地の文でも12歳の女の子の口調を選ぶと、ややひらがな過多になって読みづらくなる可能性はありますし、そもそも12歳の女の子はどんなふうに語るものなのか、という問題も出てきます。

 今回の語り口の設定に関しては、冷静な大人の口調に近い語りがいいだろうと僕は考えています。その大きな理由としては、①語りが過去形で進行していること、②子供はあまり使わなさそうな単語が選ばれていること、の二つです。

 過去形で語っているということは、一人称の語りであっても、語られている自分と語っている自分の間にある程度の隔たりがあることを意味します。語られている自分が12歳であることは情報として提示されていますが、語っている自分は、それから何年後の時点から当時を振り返っているのか、あまり情報はありません。とはいえ、学校で自分が巻き起こした騒動の一幕を完全に客観視して、みずからをチェスの駒にたとえてみせるわけですから、それなりに精神的に成熟した視点からの語り手だと想定していいと思います。

 第二に、たとえば、“the purveyor of vigilante schoolyard justice”という言葉は、12歳の語り手を想定したときにはなかなか出てきません(ちなみに“purveyor”なんかは僕もあまり見ない単語だったので辞書を引いて確かめました)。本人たちは大真面目に秩序を守ろうとしている、でも大人になってから考えてみれば、ちょっと独善的だった、というギャップが、わざと仰々しい単語を使って表現されていることになるでしょうか。

 そうはいっても、後半部分で“sometimes he’d be okay and sometimes he wouldn’t”と言っているあたりは、簡単な語彙を前に出して、その当時の主人公が抱いていた感覚に近い雰囲気を出そうとしているとも思えるので、そのあたりには気を配る必要がありそうです。基本的にはやや大人びた冷静な口調で、でもときおりは当時の感覚を代弁する子供っぽい言葉が混じる、という語り口になるでしょうか。

 そうしますと、語り手の“I”をどうするのかという、英語にはない悩みに関しては、「わたし」が第一候補になるでしょうか。これがもし、過去形ではなく現在形の語りなら(つまりは、語っているのも12歳なら)、「あたし」が使われても全然おかしくはありません。

2:比喩表現を拾う

 今回の文章の特徴は、比喩として軍隊の用語がわりと頻繁に使われている点にあります。これは作品のタイトルが“War Stories”であって、主人公の父親もエマニュエルも兵役経験者であることを、語り口調にも反映しているものと思われます。

 たとえば冒頭の一文では、最後の“my command”が戦争用語を借用した例になっています。ですので、ここは「指示」というよりは「指令」あるいは「命令」という訳語をあてるほうが、原文の特徴をより生かすことができます。ダマリスという女の子を説明するときに出てくる“my second in command”も、その流れで出てくる用語です。軍事的なニュアンスを残すということであれば、ここは「副司令官」や「副官」あたりがよさそうです。

 そうした用語などの比喩が集中しているのが、最後の段落になります。まず、“Damaris was the first deserter.”という出だしです。これをみなさんがどう訳したのか、いくつか例を見てみます。

 ここでのポイントは、“deserter”を文字通り訳すべきか、それともその単語が意味する「グループを抜けた」というニュアンスのほうを拾うべきか、どちらを選択するのかという点になります。判断の材料としては、“command”という軍事用語が先に繰り返されていますから、ここもその特徴を重視して、「脱走兵」という語を使うべき箇所だろうと思います。

 続いて殴られた女の子を描写する形容詞“shell-shocked”も、第一次世界大戦後に大きな注目を浴びた兵士の「シェルショック」あるいは「砲弾ショック」という比喩を使っている箇所ですから、翻訳にもその表現をうまく使用できれば、より忠実な訳になっていくかと思います。

 女の子のグループを形容する“the purveyor of vigilante schoolyard justice”という表現も、なかなか独特です。なかなか堅い言葉がずらりと並んでいるわけですが、翻訳に際しては、直訳と意訳のどちらを選ぶべきでしょうか。みなさんから寄せられた案のいくつかを抜き出してみます。

短い意訳も直訳もあれば、長い意訳も直訳もありえるので、なかなか難しい箇所です。先ほど触れたように、子供たちが内輪で揉め事を解決しようとするときの真面目さをちょっと皮肉った言葉遣いなので、意訳にするにせよ直訳調を選ぶにせよ、堅い言葉遣いを保持して翻訳するほうが、原文の意図を汲み取れるだろうと僕は思います。

 ここの単語について言えば、“the purveyor”は「調達者」あるいは「御用達」といった訳語が辞書に載っていますが、どちらも、より上位の人に対して奉仕するというニュアンスを含みますから、裁きを任されている主人公の女の子とはちょっとかみ合いが悪そうです。そこだけは意訳に頼って「仕切り役」あたりが近いかなという気がします。

 もう一つ、“justice”は「正義」でも「裁判」でもありえます。この場面では、女の子たちが善悪の判断を自分たちでつけるための擬似法廷のような集会を開いている様子が描かれているわけですから、「法廷」という単語を使用するのもありではないかと思います。

 そうしますと、「校庭自警団法廷の仕切り役」といったあたりの表現が候補になるでしょうか。深刻なような、でも安っぽいような、どうにもちぐはぐな感じが出れば、原文の狙いはそれなりに生かせるでしょう。

 そのほかにも、最終段落は、“I was a queen with no pawns.”という、自分をチェスの駒に喩えた表現で締めくくられます。ここも、たとえば「手下のいない女王」とすると、実際の女王の話なのかチェスのクイーンの話なのかが見分けがつかなくなります。別の場面で主人公は父親と何度もチェスをしていますから、チェスのことだと理解してもらえるように、「ポーン」と「クイーン」という言葉は残しておくほうがいいだろうと僕は思っています。

 ちなみに、比喩であることを示すために「~みたいに」あるいは「~のように」という表現を加えて、「わたしは~のようだった」とする例もありました。ただし、「わたしはポーンのいないクイーンだった」という端的な表現でも比喩としての役割は十分に果たせていますし、比喩であることを翻訳がことさらに強調しないほうが、一見して唐突に出てきた表現を読み手がときほぐして味わってもらう余地が出るだろうと思います。

3:自発的行為と成り行きを区別する

 最初の段落には、主人公とダマリスの二人の行動が記述されています。この部分を翻訳する際には、一連の行動が自発的なものか、それとも成り行きで行動している受け身のものなのかを区別しておく必要があるかと思います。

 まずは、三つ目のセンテンスにあたる“I was seated on a crate that had once held soft drinks.”です。ここが“I sat on a crate ~”という形ではなく受動態になっているのは、「わたしが自分から木箱に座った」のではなく、「わたしには木箱が用意されていた」という、その場の成り行きを示すためだと思われます。みずから望んだわけではないのに、気がつけば女の子グループのリーダーになっていた、そんな展開に対する主人公の驚きがこめられていると言えます。

 したがって、翻訳では「座った」や「腰掛けた」とはちょっと違う方向性を考えてみる必要はありそうです。かといって、「座らされた」では、主人公が立場的に弱いような印象を与えてしまいかねないので、その中間くらいの表現で、「~がわたしの席だった」という形なんかが、すでに自分の場所(=地位)が決まっていたというニュアンスをうまく伝えてくれるかもしれません。

 続いて、“Damaris Ndibe, who had installed herself as my second in command”はどうでしょうか。ここでのダマリスは、グループの第二位という地位に「任命された」のではなく、直訳すれば「彼女自身を据え付けた」わけですから、主人公と違ってみずからその地位に収まったというニュアンスが、「他動詞+herself」という組み合わせで表現されています。せっかくですので、みなさんからどんな訳の候補が出されたのか、いくつかピックアップしてみます。

 この場面は、ダマリスという女の子が「わたしがナンバー2ね」と声に出して言ったわけではなく、気がつけばそれっぽく振る舞っている、という状況だと思われますから、ダマリスが勝手に動いている、という能動的なニュアンスを強める必要があります「なったつもり」や「収まった」や「買って出た」あたりの訳は、そのあたりの意味合いをうまく反映してくれています。

 そのダマリスが引っ張り出してきた女の子のついた「嘘」について、主人公の反応は、“It took me a minute to realize that I was supposed to get this right somehow.”と表現されています。ここでの“be supposed to”という受動態が使われていること自体は、さして珍しくはありません。ただし、成り行きに翻弄されているという主人公の状態を引き続き踏まえた訳であるほうが、彼女の戸惑いをうまく表現できるかと思います。そうしますと、「私は~ということになっていた」あたりが、本人の意思とは無関係に降って湧いた役に戸惑う感じが出るでしょうか。

4:仕草やコミュニケーションの表現

 今回は、エマニュエルの記憶を語る箇所など、ちょっとした仕草やコミュニケーションに関する表現がいくつか出てきています。応募されたみなさんの訳がわりあい分かれた箇所もありますので、そのあたりを中心に見ていきたいと思います。

 まず、“Emmanuel’s vigorous laughter, the way he ruffled my hair and pulled up my braids in a bid to make me taller.”というセンテンスについてです。これは名詞句が二つで一文となっていて、「主語+動詞」という形にはなっていませんから、特に後半の“the way…”のあたりをどうするのかも少し考えなければならない箇所です。実際に寄せていただいた訳文をいくつか見てみます。

 “The way…”という表現は、「~した仕草」でも「~したこと」でもありえます。ただ、三つ編みの髪を引っ張り上げる、ということが動作になると、エマニュエルの具体的な身体の動きにフォーカスがあるというよりは、エマニュエルからそれをしてもらったという「思い出」のほうが強く前に出ていると思われますから、「仕草」よりも「こと」や「ところ」という、ややぼんやりした形で受けるほうが、文意には近いかもしれません。

 同じことは、それに続く“The way he bartered stories and wit with my father.”という文にもあてはまります。前の文との続きで、ここも「~したこと」にすると、同じ表現の反復を効果的に残せるところです。直訳すると、「わたしの父さんと物語やウィットを交換していたこと」になるのですが、それだとちょっと意味がわかりづらいかもしれません。みなさんからは、「父とのウィットを交えての会話」や「お父さんといろいろな話や冗談を言い合っているところ」、あるいは「父とあることないこと語り合う」といった案が寄せられています。どれもなるほどなあと僕は納得しました。正解というよりは、それにもう一つ案を付け加えるというつもりで、僕は「父さんとの軽妙なやりとり」としてみました。

 もう一つ、“in a bid to…”というフレーズは、「~しようと試みて」という意味が通常の辞書に載っています。ここでも、「わたしの背を高くしようとして」という意味で間違いではないのですが、実際の場面を想像するに、エマニュエルが冗談半分に、主人公が背を高くなるようにと言って、三つ編みの髪を上に引っ張ってあげていた(つまりはそうすると身体が上に伸びるという論理)ことだと思われますから、「~しようとして」というよりも、「~してやるよと言って」など、冗談好きのエマニュエルの性格を反映した形にすると、一回り場面が生き生きとしてくると思います。

 場面は校庭に戻って、主人公はそんな喪失感に襲われて、どう対応していいのかわからず、目の前にいた女の子の鼻を殴ってしまいます。どんな判決が下されるかと思っていたら、まさかの暴力制裁だったわけで、それを目の当たりにした女の子たちが一気に離れていく様子は、(殴られた子には気の毒ですが)なかなかユーモラスです。その場面で、“Others followed with rolled eyes and whispered insults.”というセンテンスが登場するのですが、この“rolled eyes”はどう訳したものでしょうか。

 欧米の小説で仕草の表現として頻出する“roll one’s eyes”は、眼球をぐるりと回転させるという実際の動きをそのまま日本語に翻訳しても、どのような感情表現なのかが伝わりづらい一例として、よく議論に出てきます。これが“shrug”だったら、「肩をすくめる」でもそれなりに伝わるのですが、この目の動きは日本文化にはいまだに普及していませんので、別の表現を探すほかないと思います。ということで、応募者のみなさんからの案をいくつか見てみます。

 目は口ほどに物を言う、という通り、目にまつわる表現は日本語にもなかなか豊富です。場面を考えれば、「驚き」というよりは「呆れ」という感情がより正確だろうと思われますので、「あきれた目になって」あたりが第一候補になるでしょう。

5:その他の表現

 その他の特徴としては、反復の表現があちこちで使用されていることが挙げられます。一番代表的な例は、エマニュエルが家に来ていた頃のことを回想するくだりでの、“But the next week he’d be here again and sometimes he’d be okay and sometimes he wouldn’t, and sometimes he’d pull my braids and sometimes he wouldn’t, but he was always there.”という文です。特に、“sometimes he’d be okay and sometimes he wouldn’t”は、ほかの部分と比べてやや平易な単語が使用されていますし、“okay”にどの言葉をあてるのかが鍵になりそうです。みなさんからは、「大丈夫な時もあれば大丈夫じゃない時もあり」、「時には機嫌よく、また時にはそうでなく」、あるいは「調子がいいときもあればそうじゃないときもあった」といった案をいただいています。僕は小さな子がいろんな文脈で使う語として「大丈夫」がいいかなと思っています。

 この直後に、“Until he wasn’t.” という短い文が続きます。一貫して、思い出だけを語っている主人公の心情が、もっとも言葉の表面近くまでせり上がってきている箇所だと思われます。自分がなついていたエマニュエルという人を失ってしまった喪失のやるせなさが、この三単語にこめられているわけなので、翻訳では、それが透けて見えるように、でもあまりあからさまに感情を代弁しないように、バランスを考える必要があります。みなさんの訳をいくつか挙げさせてもらうと、以下のような感じです。

 「~まで」という形を選ばれていた人がほとんどでした。“Until”があるので当然と言えば当然ですが、僕はここは、「~まで」というニュアンスはやや弱いかと思います。「~まで」とすれば、「いなくなるまでそこにいた」という、後半部分の「そこにいた」という意味合いに比重が置かれ、喪失感がわずかに弱くなってしまう気がするからです。それよりは、たとえば「やがて~」や「そのうちに~」という形にするほうが、「かつてはいたのにやがていなくなった」という、不在のほうによりはっきりと焦点を当てることができると思います。そうしたことを踏まえ、僕の案では、“until”を逆説の接続詞として翻訳して、「でも、いなくなってしまった」としてみました。

 最後のセンテンスに出てくる“By the end of the day”というフレーズにも、ちょっとばかり注意が必要かもしれません。「その日の終わりには」あるいは「その日が終わる頃には」という訳が一番出やすいですし、それで間違いではありませんが、日本語の「日」と英語の“day”は、必ずしも同じ時間帯を指すわけではないからです(このあたりは、“evening”とは一日のいつごろを指すのかという問題ともリンクしています)。「その日の終わり」だと夜あたりがイメージされる可能性もありますが、原文の“the end of the day”が指しているのは、「日中の主な活動の終わりごろ」つまりは学校が終わるころです。ですから、そのあたりを厳密に汲み取るなら、「学校が終わるころには」あるいは「放課後になってみれば」あたりになるでしょうか。

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