第6回 父親がバッハのメロディに乗せて歌った歌詞を訳す

現代文学翻訳コンテスト2017.04.01

5:個々の表現について

 あとはいくつか、みなさんの訳が分かれた表現を中心に見ていきたいと思います。

 これを服装の表現と取るべきか、「汗いっぱいに」という一所懸命さの表現と取るべきか、ちょうど半々くらいでした。ここは服装の表現だと思っていいところです。「汗」に関しては、“in a sweat”なり“covered in sweat”といった慣用表現がありますが、“my sweats”となると、上下ともにスウェットを着ていると考えるほうが自然です。

 とはいえ、「スウェットの上下」にすべきか、「トレーナー姿」にすべきか、はたまた「ジャージの上下」にすべきか、服装にしてもいろいろな案を出していただいています。リラックスした(気合の入っていない)格好であることを日本語で如実に表してくれるのは「ジャージ」です、イメージしやすく原文の文脈に近いのは「トレーナー」かなと思います。

 これは表現云々というよりも、日本語でうまく語感を作るのが難しい箇所です。直訳に近い形にすると、次のようになるでしょうか。

 「真剣な」作曲家といっても、ちょっとニュアンスが伝わりづらいですし、「最初の」「本物の」と続くあたりを、もうちょっと工夫したくなる箇所です。少しばかり意訳を交えて、こう訳してくれた方がいます。

 全体の口調は解説的なトーンで、と僕は先に述べましたので、この文章をちょっと冷静なトーンで調整すると、ちょうどいい形になるかもしれません。

 まず、冒頭の“I was remembering”は、ピアノを弾いていたときの語り手が、演奏しながら七歳のときのことを思い出していた、ということを意味します。「覚えている」とすると、語っている現在の時点での記憶になってしまいますから、ちょっと注意が必要な箇所です。

 もう一つ、ここは語順の問題が出がちな箇所です。原文に忠実に、一文の形を守って訳すとすると、次のような訳がありうるでしょうか。

 ここでの問題は、①一文のなかで人称が「私は」「父が」「私の」と三回出てきてしまう、②文の主語である「私」と、動詞である「思い出していた」が離れすぎてしまう、という二点です、特に後者は文章の読みやすさに大きな影響を与えがちですから、できれば避けたいところです。

 解決策としては、文を二つに分けるという選択肢があります。じゃあどこで分けるのかが問題ですが、僕は“I was remembering”で分けることを選びます。文の形としては次のようなものです。

 こうすると、主語と動詞の距離は解決できて、かつ、次のセンテンスで「父」と「私」という人称が混在するという問題も、文の書き出しで「私」を省略しても大丈夫になりますから、かなりすっきりできるのではないかと思います。

 ちなみに、“father”の訳し方について迷うという質問もいただいています。冷静な語り口なら「父」、大文字を使用している“Father”という表記なら「父さん」、“Dad”や“Daddy”なら「パパ」が第一候補、ということになるでしょうか。ベートーベンの“father”については、他人ですのでニュートラルな「父親」がいいのかな、というのが僕の考えです。

 まずは“would”をどう訳したものかが難しいという方もおられました。この場合、父親が歌って拍子をとってくれることが何度もあり、そのたびに私はパニックになった、という、「過去に繰り返しあったこと」を指しているために“would”が使用されていると考えられます。

 翻訳の表現にはいくつか選択肢があります。「~したものだ」という表現は、やや固い印象を与えるかもしれません。「私はきまって~した」というふうに、少しほぐすような訳し方でもいいと思います。それ以外では、僕はよく現在形で訳すことを選んでいます。過去の話だという了解があるうえで「私は~する」と訳すと、いつもそういうことが起きたのだというニュアンスを伝えられるのでは、と期待してのことです。あるいは、「そうしたとき」といった語句を挿入したうえで普通の過去形で訳すというやり方もあり、今回の僕はそれを選んでいます。

 後半の“it panicked me”も、いろいろな案を出していただきました。ヴァリエーションがかなり豊かだったので、いくつか紹介します。

 パニックにもいろいろあるんだな、と改めて感心します。僕が選んだのは、最後に挙げた「頭が真っ白に」という表現です。指をちゃんと動かさなければいけないのに、そばで父親が歌ってくるのも聞かないといけなくて、もうどうすればいいの? という子どものいっぱいいっぱいな感じが伝わればいいのかなと思います。

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