第6回 父親がバッハのメロディに乗せて歌った歌詞を訳す

現代文学翻訳コンテスト2017.04.01

 今回は76通のご応募をいただきました。どうもありがとうございました。みなさんの作っていただいた応募文を読みながら、僕の頭のなかではひたすらあのメヌエットが流れていました。あの曲を76通分、“DA-da-da”のところと“THIS is the way…”のところで合計152回脳内再生したわけで、今はかなりの満腹気分です。

 「この曲には思い出があって」というコメントも、みなさんからいくつか寄せていただいています。実は僕にも、かつてピアノを習っていた時期がありました。今は楽譜を見ても、指がまったく動いてくれませんが……。バッハのメヌエットが課題だったかどうかは記憶の彼方なのですが、七歳のころの僕も一所懸命に指を動かしていたわけですから、ちょっと懐かしい気分になる文章でもあります。

 それにしても、バッハが十日間ピアノのなかにいてから出てくるというのは、ちょっとやそっとでは考えつかない展開ですね。さすがは作家です。

 まずは、課題文をもう一度確認しておきます。

第5回課題文(再掲)

“Couple of Lovers on a Red Background”(Rebecca Makkai)より抜粋

  He doesn’t seem to remember living in the piano. He never lifts the lid to look inside, which I would certainly do if I’d lived there ten days. The morning he came, I was in my sweats playing his Minuet in G – the one you know if you ever took lessons, the first “real” piece you learned by a serious composer: DA-da-da-da-da-DA-da-da. I was remembering that the day I learned to play it was the same day my father, the journalist who wished he were an opera baritone, first took interest in my lessons. I was seven. He would stand behind me and beat time on his palm. He even made up a little song for it, when I wasn’t getting the rhythm right: “THIS is the way that BACH wrote it, THIS is the way that BACH wrote it, THIS is the merry, THIS is the merry, THIS is the merry tune!” I’d keep playing even though it panicked me, and I’d think of the picture from my cartoon book about Beethoven, the one where his father stood behind the piano with dollar signs in his eyes. I wasn’t gifted enough that my father was thinking of money. Maybe he wanted me to entertain at his dinner parties, or just to be better than he was. Treble clefs in his eyes.

 多くの方からコメントと質問をいただいているように、今回重要になると思われるポイントは、①一文が長いときに翻訳もそれを尊重すべきかどうか、②音や記号といった情報をどう訳すのか、という二点になると思います。

1:全体の口調をどう決めるか

 まずは訳文のトーンを決めるという作業について考えてみたいと思います。ここでも、原文のセンテンスの長さがちょっと関係してきます。

 一般的に言えば、口調を考えるにあたって考慮すべきはまず、語り手の性別です。英語と違って日本語には性別の違いが文字としてはっきり出てきますから、性別でトーンも大きく左右されてきます。そのことを意識して、はっきりと女性言葉を使用された方や、「~してた」と「い」を抜く話し言葉調を選ばれた方、ですます調を採用している方も、みなさんのなかにはおられます。

 ですが、僕は今回の文章では、あまり女性的な面は出さず、中性的で冷静な口調が合うのではないかと思っています。その理由は二つあります。①原文が文法的にかなり整然としていること、②センテンスが長いこと、です。

 たとえば課題文で二つ目のセンテンスにあたる、“He never lifts the lid to look inside, which I would certainly do if I’d lived there ten days.”という文は、もう一回り話し言葉に近い語りであれば、二つのセンテンスに分けて、“He never lifts the lid and look inside. I would certainly do it if I’d lived there ten days.”と書くことも可能です。しかし実際は、前半は“He never lifts the lid to look inside”と「to+不定詞」を使用して書かれ、そして後半は“which”を使った関係代名詞節として一文にまとめられていることからも、話し言葉のライブ感よりも、文法的な正確さがはっきりと出された、情報整理といった趣の文章であるということが示されています。

 もう一点、課題文ではすでに述べた名詞を改めて説明するときに、“the one”が二回使われています。これは作者マカーイの癖でもありますが、先行する情報を“it”などで受けるよりも、“the one”で受けるほうが、一回り冷静さが増しますから、あまり話し言葉に近づけないという判断が妥当なのではないかと思います。

 ちなみに、“I”を「わたし」とすべきか、「私」か「あたし」か、という点も、口調を決める過程で判断することになります。今回は、年齢的には三十代後半の語り手ですから「私」か「わたし」、その口調の冷静さを考慮して、「私」とする方向で僕は考えています。

2:長い文は切るべきか、切らざるべきか

 マカーイのセンテンスは、わりと長めになる傾向があります。先ほど述べたような、文法的にしっかりした構成も含めて、起きている出来事に対しては冷静でジャーナリスティックに接している、そんな文章の書き方を好む作家です(ちなみに、僕の勝手な印象では、同じ作家がフィクションとノンフィクションを書くと、ノンフィクションのほうが一文が長くなるような気がしています)。

 それを翻訳する際には、途中でいったん切って、複数のセンテンスに分けていいものかどうか、それとも一文は一文で翻訳するべきかを判断せねばなりません。以前にも触れたことのあるポイントですが、おおまかな判断基準があるとすると何だろう、と僕のほうで少し考えてみました。

①長い文を(なるだけ)切らないほうがいい場合

 作者の「文体」として、長い文が重要な要素である場合です。書き手にとって、文体とは試行錯誤の末に編み出した自分の個性ですから、翻訳でも、なるだけそれを尊重する必要があります。文が長いことにその作家の個性がある場合は、翻訳の日本語も一文を長くするということが優先されます。

 僕が出会ったなかでは、ラウィ・ハージというレバノン生まれの作家が書いたデビュー小説『デニーロ・ゲーム』のなかで、語り手である主人公の想像が次々に膨らんで、イメージが連なっていく一文が7~8行にわたって続く、というケースがありました。これを自然な日本語で再現するのは無理なのですが、あくまで原文の形を保つべく、一文で訳しました。

②原文の一文を複数の文に分けてもいい場合

 そもそも、英語と日本語では、一文はどれくらいの長さが「自然」であるのかについての感覚が異なります。概して言えば、英語のほうが少し長めになると僕は思っています。ですので、英語では一文でも、日本語では二文として翻訳してもいいケースというのは、わりと多くあります。

 それを考えてもいい典型的な例は、「主語+動詞」の独立節が二つ、“A, and B”という形で接続されているケースです。AとBで主語が変わるケースは、わりと英語ではよく見られますが、日本語は、一文のなかで主語の入れ替わりはそれほどない言語ですから、AとBをそれぞれ一文で分けることも選択肢になります。

 上のようなケースも含めて、英語のコンマ「,」が、日本語の「、」と「。」の中間くらいの使い方をされているケースは頻繁に見られます。翻訳のときは、それを「、」にすべきか「。」にすべきかを判断することになります。

 それに加えて、今回のマカーイの文章は、句読点の種類からして、英語と日本語はちょっと違うことが問題になります。課題文に出てくるダッシュ記号「––」は、ここ二十年くらいで翻訳の文章でわりと使われるようになりましたが、コロン「:」はまだ日本語で使うことはできません(セミコロン「;」も同様です)。そこを「。」にするかどうか、これも、語りのトーンなどとの兼ね合いで決めていく必要があります。

 以上のことを合わせて考えますと、ややセンテンス数が多めの翻訳になっても許容範囲だというのが僕の考えです。ダッシュにせよコロンにせよ、日本語の訳文では、しかるべき「間」ができていれば「。」で対応することはできるかと思います

3:音の情報をどう訳すべきか

 これは今回のハイライトと言うべき問題ですね。まずは曲の音を説明する“DA-da-da-da-da-DA-da-da”がありますし、次には語り手の父親のつけた歌が控えています。僕はこの手の表現を何日も考えるのが大好きで、語呂合わせ一つの訳に三日かかったこともあります。

 メヌエットの弾き始めの音で、高音でやや長い拍になる音が大文字、それ以外は小文字で表記されています。読んでしばらくしてから、あ、あの曲だ、と思い当たった方が多いようです。

 バッハのメヌエットにもト長調とト短調の二種類あるのですが(ピアノを習っていたはずの僕もすっかり忘れていました)、二つの点から、今回はト長調だと考えるのがふさわしいと思います。一つには、ピアノを習い始めたとおぼしき年齢で挑戦するとすれば、ト長調のほうが弾きやすいと考えられること。もう一つは、応募者の方からコメントでもいただいていますが、後で出てくる“merry tune”という表現には、長調のほうが合うことです。

 ちなみに、この曲についてはバッハの作ではないという説も出ている、と応募者の方から教えていただきました。どうもありがとうございます(僕は知りませんでした)。そうすると、“his Minuet in G”をどう訳すかという問題が生じるのですが、ここは“his”を使っている以上、語り手の女性はそのメヌエットがバッハ作の曲であると見なしているわけですから、「彼が作った」あるいは「彼が作曲した」とすべきかと思います。もちろん、その真偽が実はあやふやだという点は、バッハがそこにいることの非現実性にも関わる、物語上の仕掛けの一部なのかもしれません。

 さて、“DA-da-da-da-da-DA-da-da”に戻って、みなさんから寄せられた訳を見てみることにしましょう。

 音と音の間で半角スペースを空けているという案も出ましたが、僕の見るところ、日本語の翻訳ではスペースを空けるということはまだ許容されていないようです。

 ちょっと意外なことに、実際の音階を使った翻訳はお一人だけでした。ちなみにその方はト短調の音階を採用しています。

 今回は音階を表記するほうがいいかなと僕は思っています。“DA-da”のように、英語では大文字と小文字で音の強弱や高低を示すことが、日本語ではできません。字を大きくする、太字にするという手は最終手段だと思います。それらの手は使わずに、「あ、あの曲か」と分かってもらうためには、もう一回り分かりやすくするほうがいいかなとも思います。ということで、僕の案はト長調の音階です。

 そうすると、翻訳を原文よりも一回り分かりやすくしていいのかどうか、という問題にぶつかることになります。これもそのつど判断するほかないのかなと思いますが、今回は「あの曲だと分かってもらう」ことに重点がありますので、少し読み手に親切な方向を目指してみてもいいケースです。

 こちらのほうが翻訳の楽しさ(と難しさ)が倍くらいあるでしょうか。“DA”と大文字で表記されていた、拍の長い音に、今度は単語の“THIS”と“BACH”があてられています。単純そのものの歌詞ではありますが、確かに曲に合わせてちゃんと歌えるようになっていますから、日本語でも歌える歌詞を作らねばなりません。

 この場合はどのような翻訳のポリシーで臨むべきか、多くの質問をいただいています。つまり、英語の歌詞の意味を尊重すべきか、それとも脱線していいのか。今回の場合ですと、“this is the way that Bach wrote it”はともかく、“this is the merry tune”にはほとんど意味はなく、要するに節回しが成立していればいい、という即興の歌です。ですので、日本語の翻訳でも、「歌える」ことを最優先として、もともとの意味からは脱線してもOKだろうと僕は思います。

 とはいえ、実にさまざまな翻訳案を出していただいているので、それをいくつか見てみましょう。

 素晴らしい発想の数々です。「バッハッハ」なんて、僕には一生かけても思いつきません。こう並べてみると、原文の意味を保持しつつ日本語の歌を考えることもできるんだな、と気づかされます。

 とはいえ、一応僕も「脱線」を前提にちょっと考えたので、それを披露しようかと思います。一番重要なのは、原文が大文字になっている箇所に、日本語でも強めに発音できる音を当てるという作業で、無理に発音をいじらなくてもあのメロディに乗せることが可能な文章を作ることです。この形の翻訳の最高峰は、『アナと雪の女王』をはじめとするディズニーの歌詞吹き替えの数々で、毎回見事な訳詞が登場します。それにはかなうはずもありませんが、とりあえず僕が考えたものを……。

 あれだけ前振りしておいてこれか、と言われたら反論のしようもありませんが、思いついてしまったものは仕方がないので。ちょっと間を置くところは「、」での表記を選びました。前半は「バ」と「ぼ」が自然と強い発音になり、後半は「と」と「か」に強勢が置かれることになります。それなりに歌えるんじゃないかと思いますが……。

4:記号の情報をどう訳すべきか

 もう一つ、今回はドル記号とト音記号が、文章の後半でユーモラスな役割を果たしています。これも質問をいくつかいただいていますが、翻訳に際してはどう扱うべきでしょうか。

 特にドル記号については「$」がキーボードにもあるわけですから、実際に記号そのものを選んだ方もおられます。ト音記号はちょっと無理か、と思いきや、画像データのコピーを貼り付けて提出していただいた原稿もありました。

 記号の情報をどこまで翻訳すべきか、こちらも判断を迫られるところです。先ほど、音の情報については「一回り分かりやすく」と僕は述べましたが、今回の記号については、「$」とは明示しないほうがいいだろうと思います。理由は単純で、原文でも$と表記することは可能ですが、“dollar signs”と単語表記にすることを選んでいるからです(課題文では“dollar sings”と痛恨の誤植をやらかしてしまいました!申し訳ありません)。
※編集部より:読者の方よりご指摘いただき、3月2日に修正致しました。みなさんに修正の旨をお知らせしておらず、申し訳ございませんでした。なお、応募された方はみなさん、“signs”として訳されていました。

 もう一回り実験的な作家になると、ページ上に記号を多用することがあります。それに比べて、今回はもっとオーソドックスな語り口調ですから(起きている出来事はヘンなのですが)、あくまで文字情報で伝えるほうが、全体のトーンと相性がいいように思います。目に記号が浮かんだ「絵」は、あくまで読み手の頭のなかで想像してもらう、ということになります。

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