第5回 比喩・仕草・会話の訳し方

現代文学翻訳コンテスト2017.03.01

第3回課題文についての追記と訂正

 今回の訳文解説に入る前に、前回の解説について二つ質問をいただきましたので、それについて先に触れておきたいと思います。

 まず、第3回の課題文の締めくくりは、ハナが尻尾を手入れすることに関して、“She will care for it as only she can.”という文章でした。「ここでの助動詞“will”は、主語であるハナの意志を表すもの」だと僕は書きました。応募者の方から、意志の“will”という用法は特殊な場合にかぎられるのではないか、というご質問をいただいています。

 僕自身は、“will”が意志を表すのがあまり特殊なケースだと感じたことはないのですが、それは文学作品の「語り」に慣れているせいかもしれません。今回の場合ですと、語りは三人称なわけですから、客観的な描写に徹しているのだという立場を取るなら、“will”は未来についての予測「〜だろう」というほうが近いように見えます。ただし、それまでの文章において、語りの声はハナの心情と混ざり合っているような、一人称的な色合いを帯びていますから、その流れで考えるなら、最後の“will”はハナの心境を代弁しているもの、と解釈するほうが語りのトーンを一貫したものにすることができる、というのが僕の意見です。

 語りの視点をどう設定するのか、という点は、作家にとっては非常に悩ましい問題です。一人称で書くか三人称にするか、はたまた二人称にするか、三人称にするなら登場人物との距離感をどう設定するのか……。僕の知っている例ですと、藤野可織さんは芥川賞を受賞した『爪と目』を書く際、物語としてはだいたい完成が見えてきたところで、語りの視点が「なにか違う」と感じ、そこから編集者との連絡を一切絶ち、二年かけて原稿を書き直したという逸話の持ち主です。あるいは、アメリカの作家ダニエル・アラルコンも、『夜、僕らは輪になって歩く』の原稿を一人称の小説としてほぼ完成させた後、「ストーリーは正しいが、視点が違う」と感じ、別の語り手を導入して一から書き直した、と言っていました。翻訳者は、作家の数年間の試行錯誤の結果を預かるわけで、責任はなかなか重いものがあります。

 もう一つの質問は、あろうことか僕が誤訳していた箇所についてです。問題の部分は以下のとおりです。

 この箇所について、応募者の方より、原文は“back”ではあるものの、尻尾が生えている箇所から考えれば「お尻」のほうが近いのではないか、という指摘をいただきました。これはまったく正しい指摘ですので、「お尻から」と修正したく思います。どうも失礼いたしました。

 僕の誤訳から、多少なりとも参考情報的な話につなげるとすれば、今回の問題は、体の部位を言葉でどう線引きするのかについて、英語と日本語がややずれていることです。たとえばアメリカのスポーツ選手が故障で試合に出られないとき、原因として“back pain”が挙げられることがあります。これは「背中の痛み」ではなく、「腰痛」です。もう少し丁寧な表記だと“lower back pain”というものも目にしたことがありますが、英語では腰も“back”に含まれるケースがほとんどです。

 このあたりの体の部位に関する語彙は、第4回の課題文でも出てきますので、ちょっと注意して考えてみたいと思います。

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