来た船には乗ってみる すべては好奇心から

リレーエッセイ2015.01.17

典型的なデモシカ翻訳者、それが私である。バブルが弾けた直後に就活という世代に属しているうえ、当時は病の父を母と交代で介護する日々を送っていた。一般に女性はマルチタスク型と言われるが、今も昔も完全なるシングルタスク型の私に、介護と就活の両立などできる筈もなかった。

父が天に帰った時、私は25歳になっていた。職歴なしの25歳。自分がやりたい事ではなく、他者が自分に期待する(であろう)事に焦点をあてた方が得策だ。ブエノスアイレスで生まれ、南米と日本を行き来して育った帰国子女の私に、他者が期待することは何か? まず間違いなく語学だろう。通訳または翻訳。どちらの道を行くべきか考えた時、通訳は自分の身をその場に運ばねばならないという至極当然の事実に思い至った。あぁ、これは致命的だ。即座に通訳の道を諦めた。私は異常に三半規管が弱いのだ。車での移動とか、絶対無理!

そんなわけで、翻訳の道を目指すことにした。分野はやっぱリーガルかなぁ。一応法学部卒だし…などとパラパラ翻訳雑誌をめくっていると、某翻訳学校が翻訳支援ソフトを習得するための講座を開講しているのが目に入った。翻訳支援ソフトって何だろう? ちょっと面白そう。よし、行ってみるか。このようにして好奇心から受講した講座から、すべてが始まることになろうとは、思ってもいなかった。

翻訳支援ソフト講座からスタート

実際、授業は面白かった。ポチポチと訳文を入力すると、それが翻訳メモリとして蓄積されてゆく。翻訳の現場においてこのメモリが有効に活用されている様子に、ワクワクしたものだ。今となっては当然すぎて1ミリも心が動かないような事柄が、いちいち物珍しく、楽しかった。

講座も終了間近になった頃、実際のお仕事をやってみませんか? というお話があった。講師の先生が所属する会社の仕事である。PCと翻訳支援ソフトを自前で揃えることが条件だったが、翻訳支援ソフトを使っての翻訳に面白みを感じていた私は、虎の子の郵便貯金を下ろして機器を揃えた。こういう時は、思い切りが肝心なのだ。その講座を開講していた翻訳学校がエージェントとして間に入り、翻訳作業の場所を提供してくれていた。当時はデータを作業場から持ち出せなかったからである。

このようにして、私は翻訳者としての最初の一歩を踏み出した。専門分野はなし崩し的にIT系となり、そのうちにオンサイトからオフサイトで仕事をするようになって行った。そして21世紀に入って少し経った頃、一本の電話が掛かってきた。「青木さん、フランスに行きませんか?」同業の友人に紹介されたエージェントからだった。私は来た船にはとりあえず乗ってみる主義である。そうして私は南仏へと飛んだ。大手ローカライザーのフランス支社での仕事の幕開けだった。

結局2年連続でこの会社の仕事を受けて南仏へ飛ぶこととなるのだが、Japanese Language Specialist という扱いだったため、ありとあらゆる作業をこなさねばならなかった。QAやコーディネーター業務を皮切りに、SWのテスティング、音声QA、メモリのアラインメント…などなど。「日本語のローカリゼーションについて」のプレゼンを何時間もやらされた日には心底参ったが、振り返ってみれば全て私の血肉となっている。宝物のような日々だった。

目の前の仕事を一つ一つ大切に

このような経験を経て、デモシカ翻訳者であるところの私は今日も東京の片隅でひっそりと営業している。私のように会社勤めの経験がないまま、いきなり翻訳の世界に飛び込む人間はかなりレアな存在だろうが、私はどんな時も「人」に恵まれていたように思う。恥をかくのを恐れずに飛び込んで行けば、呆れながらも受け止めてくれる人は常にいる。あとは目の前の仕事をひとつひとつこなして行くだけだ。そうすれば、道はまたどこかへと通じて行くだろう。

何しろデモシカなので、しょっちゅう仕事にうんざりしてじっと手を見たりしているが、そんな私でも、今まで歩んで来た長く曲がりくねった道を振り返ってみると、その道はほんの少しだけキラキラと光って見えるような気がするのだ。

★『通訳・翻訳ジャーナル』2015年冬号掲載★