米国でソフトウェアのローカライズに従事

リレーエッセイ2014.06.17

米国でソフトウェアのローカライズに従事

「ボストン大学のカレッジ・オブ・コミュニケーションの大学院を卒業して、ボストンで仕事を探していたある日、ボストン・グローブ紙の求人欄にあった広告に目が留まった。あるソフトウェアの会社で日本語プロジェクトのエンジニアを募集していたのだ。自分の経歴は、エンジニアリングとは無縁だが、もしかしたら今後、その日本語プロジェクトで何か自分に合った仕事があるかもしれないと思い、手紙を書いて履歴書を郵送した。しばらくして、その会社の人事部から葉書が届き、現在該当する仕事はないが、今後状況が変われば連絡するとのことだった。そりゃあ、そんなに簡単にうまく行くはずはないよね、と自分に言い聞かせた。

ところがそれからひと月ぐらいして、その会社のインターナショナル・ドキュメンテーション・マネージャーから突然電話をもらい、日本市場向けの製品のマニュアルの社内エディターを探しているので面接に来ないかとのことだった。もちろん翌日駆けつけて、そのマネージャーに会った瞬間に、この人の下で働いてみたいと思った。彼女のグループはそれまでヨーロッパ向けのローカライズを行っていたが、日本向けの製品の開発が始まり、私の就職が決まった。

日本では日大芸術学部文芸学科を卒業し、アメリカの大学ではコミュニケーションを学び、ものを書くのは好きだったが、やはり運が良かったと思う。技術的な面で学ぶことも多かったし、周りの人にも恵まれた。頭が切れてクリエイティブな人達が多く、仕事が楽しかった。社内でフリーランスの翻訳者を何人も雇い、チームを作成してプロジェクトを進めた。出張で日本の翻訳会社や製品の大手クライアントを訪れる機会もあり、仕事の全体像を把握するのに役立った。そのうちに、プロジェクト管理に従事するよりも、翻訳や編集を続けたいという自分の今後の方向性が見えてきた。

その後ニューヨークのソフトウェアの会社に転職し、自分の仕事は本質的には好きだったが、会社を辞めてフリーランスで仕事をしたいという気持ちが徐々に大きくなっていった。大企業だったが、上司が短期間で入れ替わり、セールスやマーケティングの経験が豊富でも翻訳やローカリゼーションは未知の世界という人が突然上司になったリ、アメリカの本社と日本の現地法人の意向が大きく違っていたし、なんだか自分が部外者であるように思えることが多くなっていった。突然アメリカ人の上司に、大学で日本語を勉強した人を上海のオフィスで雇って、あるソフトウェア製品の翻訳をさせたから明日までにレビューして評価レポートを書くように頼まれるなど、予想外のことがあった。

そんなある日、ボストンのITリクルーターから3カ月契約の編集の仕事の話が舞い込み、ついに会社を辞めて自宅で仕事を始めた。先のことはわからなかったが、このチャンスを逃したくなかったのだ。

3カ月後にその仕事が終わる頃、大手IT企業の翻訳のコントラクターにならないかという打診があり、テストを受けて、その仕事を始めることになり、他の会社のフリーランスの仕事も手がけるようになっていった。

情報は即座に入手 常に時間との戦い

フリーランスになってみると、正社員時代にいろいろな製品の翻訳や編集を手がけたことがありがたい経験となっていた。正社員時代に比べて、フリーランスは時間との戦いである。できるだけすぐに、製品の概念や機能を把握して、必要な情報は即座に入手しないと仕事にならないし、生計が立たない。ある程度、感も必要だ。やはり、数をこなしていくと、いろいろなことが自然に身についていく。

実は、ボストン大学のESLに通っていたときは、英語のヒアリングやスピーキングに比べて読解力が劣っていて、担任の先生の好意で特別に宿題をもらって勉強した。あの時にあきらめていたら、今の仕事はありえなかった。

IT以外にも自分の興味がある分野の仕事をすることがあり、ホテルやアパレルなども担当している。昔から、できるだけ正確で読みやすいものを届けたいと思っている。

フリーランスは体が資本だ。仕事の合間にヨガのクラスに出かけ、心身ともにリフレッシュするのが生活の一部になっている。Life is too short……ポジティブに生きていきたい。

★『通訳・翻訳ジャーナル』2014年夏号掲載★