初の仕事の達成感が今の仕事につながっている

リレーエッセイ2013.06.17

現在は仮にも英語を扱う仕事をしている身ではあるが、実は中学時代の私の英語の成績は、常に5段階の2と3を行き来しており、担任の英語教師からは卒業時に「お前は一生英語は出来るようにならない」と烙印を押される有様だった。

それが転機を迎えたのは、ひとえに中3の冬頃から夢中になり始めた洋楽と、高校入学後間もなく、英語の成績テコ入れのために親から半ば強制的に入れられた英会話学校のおかげである。教科書英語や詰め込み暗記から離れ、音声としての英語言語の言葉の連なりとリズムに馴れ、増やした語彙や情報が先生や仲間との生の会話の盛り上がりに直接つながっていった。そのうちに、辞書を引いたり調べ物をすることが苦でなくなり、その蓄積が学校の授業にも反映、という好循環につながったのだと思う。

恐らく私にとって良かったのは、親の思惑はともかく(笑)、自分の中ではそれが決して英語の成績を上げるための努力ではなく、「知りたいこと、楽しいことを追いかけていたらいつのまにか駆け抜けてしまった」道程だったことだろう。自分の好きな洋楽アーティストの歌やインタビューを聴きながら、そのイメージに合わせて自分なりの訳を考えたり、日本語の文章にすることが(誰に見せるアテもないのに!)、ただただ楽しかったのだ。やがてふと、「世の中にはこういうことを仕事にしている人がいるんだ、いつか自分もそうなりたい」と思うようになったのだ。英語圏で暮らした経験もない人間にとって、それはたいそう身の程知らずな夢に思われ、その時点では一体何をどうすれば辿り着けるのかもまるで見えない状況だったのだが。

取材テープ起こしが翻訳の原点

就職活動はいわゆるバブル期の終わり頃で、早々に数社から内定を戴いたが、高校時代から読んでいた音楽雑誌を出している出版社に行きたいという気持ちは消せなかった。狭き門は承知の上、運があれば道は拓ける、くらいの力の抜け具合で受けに行ったのが奏功したのかも知れない。第一次面接の時、愛読していた雑誌の編集長に、会社に入って何がやりたいかと問われ、「(インタビューの)テープ起こしがやりたいです」と応えたら、半笑いで「オマエ、バカじゃねえの?」と言われたが、おかしなことにその一言で、そこに私のやりたかった仕事が間違いなく存在することを確信できたのが何より嬉しかった。

入社後配属されたのは雑誌編集部ではなく、国際部という海外の音楽著作権を扱う部署だった。けれど、そこで知ることになった楽曲の権利の成り立ちや利益分配の方法、職業作家たちが作品ひとつひとつに込めた思い入れは、音楽に対する視点を大いに広げてくれた。また、ガンガン赤入れされながら実地で叩きこまれた英文ビジネス文書の書き方、海外との交渉における心構えと進め方、契約書の取り扱い方等々は、フリーになった今でも、仕事の受注幅を広げる上でたいそう助けになっている。

忘れもしない最初の仕事は、楽器系雑誌の編集部に配属された同期がこっそり回してくれた、ある海外バンドのギタリスト2人の取材テープ起こしだった。ギャラもなければクレジット(名前)も出ないことが前提、しかも昼間は会社の業務があるわけで、締切に間に合わせようとすれば睡眠時間を削らなければならない。それでも任せてもらえることが嬉しかったから、彼女の顔を潰さないよう、機材のこともわからないなりに精一杯力を尽くした。提出後、インタビュアーだったバイリンガルのライターさんが私の起こし原稿に目を通し、「この子は使えるから手放さないように」と彼女に言ってくれたと聞いた時には、まさに天にも昇る思いだった。学生時代、誰に見せるアテもなく闇雲に我流でやっていたことが、この上なく幸せな形で報われたのである。

かくして、読者の皆さんには何の参考にもならないかと思うと申し訳ないが、結局のところ私の現在の仕事に対するモチベーションは、この最初の仕事の達成感をそのまま引きずっているだけなのかも知れない。ひとつ仕事が来る度に得られる新たな学びと、クリアする度に味わう達成感。力不足で苦しむことも多いけれど、それでも私にとって翻訳は今も、かけがえのない満足感を与えてくれる仕事なのだ。

★『通訳・翻訳ジャーナル』2013年秋号掲載★