音楽業界を経て翻訳者に 音楽の世界に入り込んで訳す

リレーエッセイ2013.03.17

洋楽で育った私にとって、外国語(特に英語)は常に音とともにありました。幼い頃はヴォーカルの発語の響きそのものに惹かれていたせいか、歌詞の言わんとする内容に 関心が向かうようになったのは、ピンク・フロイドやU2といったバンドを聴くようになってからです。訳詞を真剣に読むようになり、その辺から初めて翻訳というものを意識しだしたのだと思います。『1973年のピンボール』(村上春樹著)を読んだときに、漠然と「翻訳って面白そうだ」と思いましたが、音楽業界に進んだ私は業務の一環やヘルプとして通訳・翻訳をすることはあっても、それを仕事にしようとは思っていませんでした。

それが、会社をやめて自転車で世界を放浪するという旅を終えたあと日本で主夫生活を始めると、子育てのかたわら家でできる仕事の選択肢として、翻訳が浮上したのです。とはいっても、東京を離れて暮らしていますから、手立てはネット上でのオーディション応募でした。その結果、エージェント会社さんからビートルズ伝記本のチェッカーの仕事をいただき、その後は音楽関連書籍の共訳や単独訳の仕事をするようになりました。

評伝ものは裏取りを徹底的に

共訳という形で最初に出したのは『ザ・ビートルズ・ブック』という書籍で、そのあとすぐに単独訳で『レディオヘッド─全曲解説シリーズ』というロックバンドの曲解説の本を出しました。自分の名前が訳者として本に載るというのは嬉しいのですが、それと同時に責任と恐れ多さを感じます。その後はロック・ミュージシャンの評伝本を中心に、ときおりはCDのライナーノート翻訳、映画俳優のインタビュー翻訳などもやっています。

最初の頃は私が「南米方式」と勝手に名付けている、「オファーされたら断らない」という方針で仕事を受けていたために、自分が一日どれくらい訳せるのかもわからないまま、1日20時間やって2万字という多いのか少ないのか(当時は)わからなかったペースで仕事をしていました。しかし案の定倒れてしまい、このペースは自分の限界以上なのだとわかってからは、朝3時から始めて夕方4時頃までには仕事を終えるというペースに落ち着いています(締め切り間際になるとそうも言っていられないのですが)。

音楽ものとはいえノンフィクションですから、原文の理解はもちろんのこと、徹底的な裏取りが必要になります。評伝という性格上、さまざまな関係者の証言などがあって、それが事実なのか思い込みなのかも一応調べます。ツアー日程などの記録も裏を取ります。そこで演奏された曲の記載があればセットリストを確認します。レコーディングやらライヴの楽屋裏風景、さらには機材の解説などはもともといた業界だけにすんなり頭に入るのですが、ネットがなかったらお手上げだったと思う調べ物が多いです。原書のタイポないしは著者の勘違いがわかったこともあります。1冊にかけられる3カ月ほどの作業期間で、その半分近くを調べ物に費やしたような書籍もあります。曲に関して説明、解説している文章になるととても観念的・抽象的な場合があり、しかもアレンジ・歌詞についても深く言及しているので、自分自身がその曲に入り込まないと訳文が出てこないことがたびたびです。過剰なロックンロール・ライフの描写(ドラッグやらパーティやら)になると、家族と食事中でもそのシーンが脳内でループしてしまい突然ヘラヘラ笑い出したりして不気味がられます。

ゲラ読みまで入れると約半年のあいだは一冊に集中して他のことがあまりできなくなるので、1本の仕事が終わると自分が干からびたスポンジになったような気分になります。なので次の仕事が来るまでは本・音楽・映画三昧の生活をして潤いを取り戻す、というのが理想ですが、実際には英語と日本語の勉強し直しをしていることが多いです。あと体力ですね。皆さんおっしゃると思いますが、翻訳するのにまず必要なのは体力だと年々痛感します。旅の身体からすっかり室内型の身体になってしまったので、体力維持はとても大切です。

これからも「混乱こそ我が墓碑銘」というある曲の歌詞の一節を胸に、「でもやるんだよ」精神でやっていきたいと思っています。

★『通訳・翻訳ジャーナル』2013年春号掲載★