第3回 「目」の語りと「耳」の語り

現代文学翻訳コンテスト2017.01.01

 みなさま、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 今回は41通の応募をいただきました。12月の忙しい時期に取り組んでいただきまして、どうもありがとうございます。拙著を読んでいるというコメントまでいただきまして、自称カリスマ翻訳教師としては身の縮む思いでおります。今回も、いろいろと目を開かせてもらえるような翻訳の表現に出会えまして、楽しく読ませていただきました。

第2回課題文を確認

“Eyewall”

  My best laying hen was scraped from under the house and slid in a horrifying diagonal across the window. For a moment, we were eye to lizardy eye. I took a breath. The glass fogged, and when it cleared, my hen had blown away. Then the top layer of the lake seemed to rise in one great sheet and crush itself against the house. When the wind swept the water into the road, my garden became a pit in which a gar twisted and a baby alligator dug furiously into the mud. From behind the battered blueberries, a nightmare creature of mud stood and leaned against the wind. It showed itself to be a man only moments before the wind picked him up and slammed him into the door. I didn’t think before I ran and heaved it open so that the man tumbled in. I was blown off my feet, and had to clutch the doorknob to keep from flying. The wind seized a flowerpot and smashed it through the microwave. The man crawled and helped me push the door until at last it closed and the storm was banished, howling to find itself outside again.
  The man was mudstruck, naked, laughing. A gold curl emerged from the filth of his head, and I wiped his face with the hem of my dress until I saw that he was my college boyfriend. I sat down on the floor beside him, scrabbling the dirt from him with my fingernails until I could make him out in his entirety.
  Oh! he shouted when he could speak. He’d always been a jovial boy, garrulous and loving. He clutched my face between his hands and said, You’re old! You’re old! You should wear the bottom of your trousers rolled.

翻訳のポイント

1:口調をどうするか

 今回の課題文のポイントとしては、まずは全体の口調をどうするのか、という点が挙げられるでしょうか。みなさんの訳文でも、やや劇的なもの、コミカルなリズムのものなど、面白い工夫がされていました。

 口調に関して言えば、今回は女性が語り手であるわけですが、どちらかと言えば自分の目の前に起きているハリケーン襲来という出来事を「観察」しているようなトーンが中心になります。

 これが映画であれば、主人公の恐怖の表情をクローズアップして、叫び声を上げて家のなかを逃げ惑う演出もして……となりそうですが、作者グロフの選んだ語りは、むしろ出来事を映すカメラのような冷静さを保ちつつ、ところどころに感情がのぞく、そんな口調のようです。ですので、わりあい淡々とした雰囲気を保ってもらうほうが合うかと思います。

 擬音語を使うべきか、使うならどこまで使うべきか、という点も、これに関連してきます。何しろ暴風あり、大量に流れてくる湖の水あり、家のなかでも壊されてしまう品あり、という状況なので、これまた映画であれば、効果音満載の場面です。みなさんからも、風が「ヒューヒュー」あるいは「ゴーゴー」と吹き、植木鉢が「ガシャーン」と砕ける、といった音の表現を採用している訳がいくつか寄せられています。

 今回の文章は、「耳」よりは「目」に重点が置かれていると考えられます(これは文学作品にありがちな傾向かもしれません)。湖の水が家にぶつかってくるかというときも、泥男が家にたどり着くときも、彼女が目撃する視覚的情報のほうがはるかに多く書かれているので、音が前面に出ないほうがいいかと思います。

 淡々とした語り口調でもありますから、カタカナで擬音語を採用すると、それがかえって目立ってしまいます。ですので、カタカナの擬音語はなるだけ使用を控えて間接的に表現する、というのが僕の提案です。それによって、泥男改め大学時代の恋人が、“Oh!”ですとか“You’re old!”と発言するときに、周囲の騒音よりも、その言葉がより際立つ形で読者には感じられる、という効果も期待できるかもしれません。

 「視覚的」という要素は、今回の課題文全体のカギでもあります。ニワトリから始まって各種動物の様子、泥男まで、嵐の描写がさまざまな形で続いていきますから、構文も含めたそれらの表現をどう日本語に移し変えるのか、いろんな工夫がありえます。以下、いくつかの場面を見ていきましょう。

 まずは、“best laying hen”ですが、”laying”は“lay eggs“のことを指しています。一番たくさん卵を産んでくれる雌鶏は、床下に避難していたのですが、風によって外に引きずり出されてしまいました。ここでは“dragged”ではなく、わざわざ“scraped”という単語が使われていますから、手を伸ばしてきた風に「かき出された」などの表現が合うかもしれません(電子レンジのくだりでも、風がなかば擬人化されて植木鉢を「つかむ」という表現になっています)。

 普通であれば、窓の外で対角線を描くようにして何かが動くときは、上から下へ、という方向になるものです。落ち葉や舞う雪なんかがそうですよね。今回は、強風に煽られたニワトリが床下から飛ばされているので、“horrifying”は下から上へ、という「ありえなさ」を表していると考えられます。

 最後の“we were eye to lizardy eye”は、とても面白い表現ですね。通常であれば“we were eye to eye”で「私たちは目が合った」になりますが、今回は相手がニワトリで、その目が“lizardy”、つまりはトカゲのようだと表現されています。確かに、クローズアップでニワトリの目元を見れば、トカゲっぽいかも……と、僕も近所の小学校にある鶏舎に行って確かめてきました。

 ということで、「目が合った」とするだけでなく、「私」の人間の目と、ニワトリの目を区別して訳す必要があります。応募のなかからいくつか挙げます。

 ちなみに、応募された方のなかで、ニワトリを飼っておられる人から、「鶏には、爬虫類っぽい目のタイプと、我が家の子たちのように、黒目がちで子犬のような目のタイプ、双方がおります」というご指摘をいただきました。このあたり、一言でニワトリといっても、種類によって描写に差が出そうですね。

 ここは「イメージはできるのに、言葉にするのは難しい」という代表例のような箇所でしょうか。それにしても、湖から水が迫ってくる場面を、こうやって言葉にできる作家はほんとうにすごいな、と僕も舌を巻きます。このあたりの描写力を含めて、グロフの作風には“poetry”があるとおっしゃっている応募者の方もおられました。

 先に構文を押さえておきますと、“seemed to”つまりは「~に思えた」「~のように見えた」という表現が、“rise”と“crush”の二つの動詞にかかっています。あくまで「~のように」ですから、湖からの波が一気に押し寄せてきても、家そのものには直撃しておらず、家を直撃しそうに思えたという「勢い」を表していることになります(実際に家にぶつかったのなら“crushed”になるはずです)。

 その波の様子を表すのが“rise in one great sheet”なのですが……難しいですね。そもそも“sheet”はどう表現すればいいでしょうか? 日本語で言えば「シーツ」や「布」も、「一枚の紙」も、木や金属の「板」も指す単語だけに、頭の痛いところです。そこから選ぶとすれば、水のような流線の形を取りうる「布」が近いようにも思えます。みなさんの訳文からいくつか紹介しますと、以下のような案が出されています。

ここに挙げた以外でも、みなさん非常に気を遣って丁寧に訳されていました。

 もうひとつの選択肢として、ある程度思い切って意訳してみるという手もあります。その場合は、「湖の表面がふわりと持ち上がり」となるのかな、と思いつきました。ただし、これだとちょっと迫力不足かもしれません。

 いよいよ、真打ち登場というくだりです。どれだけの数のブルーベリーが植わっているのか、ヒントは文中にありませんが、複数であることと、家庭菜園らしいということを考え合わせるなら、「茂み」くらいが妥当でしょうか。ちなみに僕の家で育てているブルーベリーは全然元気がなくて、茂みというより、数本突っ立っている茎に葉っぱがちらほらついているだけですが……。

  “a nightmare creature of mud”をどう訳すかは、これまた多彩な訳が寄せられました。「泥まみれの不気味な生き物」「泥の怪物」「恐ろしい泥の化け物」「この世のものとは思えぬ泥人形のようなもの」などです。

 まずは“creature”のニュアンスですが、この語は「生き物」と同時に、“monster”とほぼ同じ意味で用いられることが多く、たとえば『フランケンシュタイン』で作り出された怪物は“creature”と呼ばれることがよくあります。今回は泥に覆われていて、最初は正体不明ですので、そのニュアンスを優先するなら「化け物」「怪物」あたりでしょうか。形容詞として登場する“nightmare”は、端的に「悪夢のような」ということですが、僕は光景を考えてもうひと捻りして、「得体の知れない」としてみました。

 次に“leaned against the wind”という動作は、マンガなどで見るような、強風の際に歩こうとするとき、前のほうに体を傾ける姿勢を指していると考えられます。そうすると、「もたれる」は後ろ方向に体が傾くというニュアンスも含みますから、「風に向かって体をかがめる」あたりでしょうか。

2:出来事や動作の順番を崩さずに訳す

 前回の課題文と同じく、今回の文章でも、複数の出来事や動作が時系列の順番に描写されるという場面がいくつか出てきました。今回も、鉄則としては「動作の順番を崩さずに前から訳していく」というポリシーで解説をしてみます。

 ①泥の化け物が「男性」だと分かった(“man”は「人間」か「男」か、という質問をいただきましたが、同じ文の後半で“him”と性別を特定していますから、「男性」という意味だと思われます)→②風にさらわれる、という順番ですので、その二つをつなぐ “only moments before”を、そのまま「~の直前に」「~のすぐ前に」とするのではなく、「~の直後」や「~と思ったのもつかのま」などの表現にすると、原文の出来事の順番を崩さずに訳すことができます。

  “I didn’t think before I ran”は、これまた訳し方がいろいろ分かれました。

 どれがいいかを話し合うだけで一時間くらいはかかりそうですね(それが翻訳を持ち寄る醍醐味でもあります)。僕は「思わず」という表現を選んでいます。

 このすぐ後にも、同じ形で“until”を含む文が出てきます。ここも、①彼の顔を拭ってあげた→②大学時代の恋人だと分かった、という順番は崩すべきではありませんから、“until”は、「~するまで」とするよりも、「Aをしていると、そのうちBになった」という形で、「そのうち」「やがて」という表現がうまくはまる箇所だと思います。

 ちょっとした名詞ではありますが、“dress”は「ワンピース」のほうが近いかと思います。日本語で「ドレス」というとよそ行きの華やかな印象がありますが、ここでの語り手は自分の家にいて、特に着飾る場面でもありませんので、「ワンピース」のほうが文脈には合うことになります。

3:“Oh!”をどう訳すか

 さて、その元カレの第一声は“Oh!”です。僕が苦手なだけかもしれませんが、これまた訳しにくい一言ですね。“Wow!”とか“Jesus!”ならまだしも、“Oh!”はちょっと悩んでしまいます。みなさんの訳を拝見したところでは、「おお!」が一番多く、「ああ!」や「やあ!」「うわっ!」「なんと!」といった案をいただいています。

 ちなみに、“oh”の翻訳で僕の記憶に一番残っているのは、『赤毛のアン』村岡花子訳です。そこでのアンがよく口にする“Oh Marilla”は、確か「おおマリラ」と訳されていたと思います。意味としては「あら」でもいいかもしれませんが、日常のささいな出来事のひとつひとつを真剣に、時に深刻に受け止めるアンのキャラクターが、「おお」によってよく伝わってきます。

 でも、グロフの作品に出てくる陽気な元カレの場合は、久しぶりに再会した主人公が老けていることに対する驚きを表していますから、「おお」だとちょっとずれてしまうかもしれません。若くてお調子者のようなキャラクターの男性が、ちょっと驚いたという感情を拾うとすれば「うわ」かなという気がします。「うわ!」だとネガティヴな感情を含んでしまうかもしれませんから、「うわぁ」にすれば、ちょっとだけしみじみした雰囲気にできるかなと思います。

4:詩の引用と翻訳者の介入

 最後の最後、“Your’re old! Your’re old! You should wear the bottom of your trousers rolled”は、何人かの方からご指摘いただいたように、T.S.エリオットの詩「J・アルフレッド・プルーフロックの恋歌」の一節“I grow old… I grow old…/I shall wear the bottoms of my trousers rolled.”の引用です。僕も最初まったく気がつきませんでしたので、みなさんの知識にはひれ伏す思いです。英語の読者がすぐにエリオットだと気づくかというと、これもちょっと怪しいですね。

 この引用がどういった働きをしているのかについては、二通りの可能性があるかと思います。ひとつに、学生時代にふたりの恋人が、一緒に受けていた授業などでお互いに知っていた詩であること。だから再会したときに、昔を懐かしむ合図のようにして口にされるのかもしれません。

 もうひとつは、詩のテーマがグロフの短編とどこかで繋がっているなど、その詩を使うこと自体にもう少し深い意味が込められている可能性です。どちらにしても、せっかくの引用ですから、翻訳者がちょっとだけ介入して、エリオットの詩とある程度表現を揃えると同時に、詩人の名前を出すくらいはいいかと思います。

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