第2回 原文の語順をどこまで尊重するか

現代文学翻訳コンテスト2016.12.01

 第1回は83通もご応募をいただきました。どうもありがとうございます。20~30通くらいなら、一つ一つにコメントをつけてお返しする目論見でしたが、どうやらそれは無理そうです。申し訳ありません。とはいえ、みなさんの訳文には「あ、そう訳せばいいのか」という発見が次々にあって、個人的にはとても楽しく読ませていただきました。

 さっそく、“What the Cat Said”の翻訳をするにあたってのポイントをいくつか僕なりにご紹介したいと思います。

まずは第1回課題文を確認

“What the Cat Said”(Karen E. Bender)

  It was two in the morning when the cat spoke. It was raining again, great pale thunderclouds moving like ships through the sky. The bedroom flashed with white light. The children, earlier that evening, had tried, for the first time, to run away.
  Now the cat was pacing the room. He was full of anguish. We were all trying to sleep. That was, in itself, a joke. No one slept very deeply, ever. Our boy was up the most. “My blanket fell off,” he said. “It’s hot.” He stood by the bed. “I need only to find my Yankee card.” He paused. “Now.”
  He did not want to leave the day even after it had left him. It was a touching sentiment, though, for us, tiring. It was the gray hour of the morning when nothing seemed alive, the hazy moment before the march through our lives started again, before the sun was up and the dreary race continued, to eat, to be educated, to fill the wallet.
    “I love you,” the cat said.
  The words sounded almost choked, as though the cat had been holding this in a long time.
  I thought my husband had said it, or our son. The cat looked at me. The room whitened with lightning, then went black again.

翻訳する際のポイント

 まず文章全体について確認しておきたいのは、口語的表現も少なく、主人公の心情が前に押し出されることもない、淡々とした語り口だということです。「ですます」調ほど丁寧ではなく、とはいえ一人称ですから「~である」とまで固くはならない範囲になるでしょうか。ことさらに漢字が多いとかひらがなが多いといった特徴もない、シンプルな語り口が合うのではないか、と僕は思っています。

1:出だしの文章をどうするか

  “It was two in the morning when the cat spoke.”これが出だしの一文です。強調構文を使うことで、“two in the morning”という情報を一回り際立たせている仕掛けになっています。英語ですと強調したい情報が文の前のほうに来ますが、日本語は逆に、強調する語句は文の後ろに出てくる傾向があります。なので、訳文の順番としては、「猫が喋った」→「午前二時だった」とするのが良さそうです。

 次に、“spoke”をどう訳すのか。みなさんから出していただいた原稿でも、「口を開いた」か「喋った」か「言葉を発した」か「口をきいた」か、表現は分かれました。最初の一文なので、“spoke”がどこまでの情報を含むのかはまだ未確定ですが、“speak”には「声を出す」以上に、意味のある言葉を発するというニュアンスも含んでいるので、それも込みですと「喋った」か「口をきいた」あたりが近いように思います。

2:時間の表現をどう処理するか

 第一段落の最後の文は、深夜という設定からもう少し時を遡り、数時間前の出来事を語っています。“The children, earlier that evening, had tried, for the first time, to run away.”それがゆえに過去完了の時制が使われているのですが、さてこれはどう訳したものでしょうか。

 「~していた」という形で過去のさらに前だと示すという手もあります。あるいは、“earlier that evening”という情報がしっかりと示されていれば、文章全体では過去形でも、深夜からさらに前だとわかってもらえそうです。今回は、後者のほうが比較的自然な日本語になるでしょうか。

 とはいえ、“evening”とは何時ごろかという問題も残っています。冒頭の一文でも、午前二時が“two in the morning”と書かれていましたが、日本語ではその時刻は「深夜」であって「朝」とは言いませんよね。このあたり、一日の時間帯をどう区切るのか、文化の間で微妙にずれが生じる場面です。同じことが、“evening”と“night”の区別にもあります。日本語では日が落ちて暗くなれば「夜」ですが、午後九時になっても、英語では“evening”を使うことがよくあります。はっきりとした基準があるのかどうか、僕は知りませんが、だいたい、日没~食事~その後の団欒までは“evening”、寝る時刻になれば“night”となると思われます。今回はあまり時刻を限定してしまわず、「夜」あるいは「暗くなってから」とかが無難なところでしょうか。

 この文は非常にコンマが多いですが、英語では挿入句が複数あるのは珍しくはなく、自然な文章の範囲内ですので、日本語でも「、」を多用する必要はなく、あくまで日本語としての自然さを優先して訳していい箇所です。

3:短い文の連続をどう訳すか

 第二段落は、短い文が続いていきます。“Now the cat was pacing the room. He was full of anguish. We were all trying to sleep. That was, in itself, a joke. No one slept very deeply, ever.”一般的に、英語の小説では、段落始めの文は比較的長くなりますし、日本語では段落の最初は短めの文が好まれます。ここまで短い文が連続するのは、「異例」とまではいきませんが、ちょっと珍しいケースです。ですので、ややぶつ切りの印象を英語でも与える箇所ですから、日本語でもそれにならって、二つの文を一文につなぐなどの工夫をあえてする必要はないかもしれません。

 それにしても、猫の代名詞が“he”ですからオスだと分かりますが、これも訳しづらいところですね。「彼」と訳してくれた文章もありました。ただ、日本語の彼・彼女はやはり人を指すという色彩が濃いので、それを使わないとすると、1)性別は明示しない、2)「雄猫」としてみる、のどちらかでしょうか。後で猫が喋る言葉を、語り手の女性は夫か息子の言葉かと思うわけですから、性別は示しておいたほうが良さそうです。となると後者になるでしょうか。

 眠ろうとしていたが、それは「ジョーク」だった、という文も訳しづらいところです。文脈では、眠ろうとはしていたが、眠れるわけがなかった、という意味だと思われるので、「そんなの無理」というニュアンスが伝わればベストです。この箇所については、「無理な話だった」、「馬鹿げたことだった」、「笑い話だ」、「できっこない」など、実にいい案がみなさんから寄せられました。

  “No one slept very deeply, ever.”という文は、ちょっと解釈が分かれそうです。普通に考えれば、子供たちが家出しかけたわけで、その晩は本人たち=興奮気味、両親=気持ちが落ち着かずに寝付きが悪い、という意味になりそうですが、それだと“No one could sleep deeply.”でもいいわけで、原文が単純な過去形であるうえに“ever”までついているわけですから、その晩だけのことではなさそうです。となると、家族はそれぞれに何かの悩み事があって、なかなかぐっすりとは眠れない、という事情が仄めかされています。あとになれば、子供たちは学校で人間関係がうまくいっていない、あるいは親は仕事がそれほど好きではない、ということがなんとなく分かる表現が出てきます。それを踏まえるなら、「誰も深く眠れたためしはなかった」といった文章になるでしょうか。

4:英語特有の表現をどう日本語にするか

 この文章には、いかにも英語らしい表現が頻出します。特に面白いのは、He did not want to leave the day even after it had left him.”という文です。分かるような、でも分からないような……という箇所で、実際みなさんの訳文もかなり多様でした。

 直訳するなら「一日が息子の元を去った後でも、彼は一日を去りたくないと思っている」というあたりです(翻訳としてはひどい出来ですが)。意味を優先するなら、「もう一日は終わったのに、息子はまだ余韻に浸っている」などでしょうか。英語の構文をそのまま日本語に移すわけにはいかないですが、文の前半と後半がペアで似た形になっていることは活かしたい気がします。日本語では、文を「、」で前後に分けることが予想されるので、両方に「終わった」あたりの表現を共通して使うことで、原文の表現の形を少し残して訳せそうです。

5:語順をどこまで尊重し、どこまで変えるか

 続いての箇所も難物です(難しいところばかりですみません)。“It was the gray hour of the morning when nothing seemed alive, the hazy moment before the march through our lives started again, before the sun was up and the dreary race continued, to eat, to be educated, to fill the wallet.”ですが、ここで重要になるのは、語順をどうするのか、という点です。日本語に訳すときにまず思いつく形としては、「~する前の・・・という時間だった」という形でしょうか。そうすると、語順としては、原文では最初に来る箇所を後ろに回すことになります。

 ですが、僕はこの箇所ではあまり語順を変えないほうがいいと思っています。なぜかといえば、「時間の経過」という要素が含まれているからです。①深夜という今→②夜が明ければ再開する生活、という順番は崩さず、つまりは英語が提示する情報の順にのっとって訳していくほうが、ここは分かりやすい訳文になります。

 そのためには、原文では“before”とあるところを一工夫、ということになります。英語では“A before B“という形で、A→Bという時間の流れを示せますが、そこに「~の前」という日本語を使うと、「Bの前のA」となり、時系列が逆になるからです。ここで「前」ではなく、「後」を示す日本語を使うと、「Aの後にはB」となって、時間の流れをそのままの形で保つことができます。具体的な形としては、「Aの瞬間を過ぎればB」などの形でしょうか。一文でずっと続けていくにはやや難しい箇所でもあるので、この文に関しては、複数の文に分けてもいいと思います。

 少し比喩的な表現の多い文ですが、“the march through our lives”も“the dreary race”も、日常生活の「歩み」のことを指していると思われます。また朝になれば、朝ごはんを食べて、子供は学校に行き、自分たちは仕事に行かねばならない、そんな日常が待っている、けれども嫌だという思いが込められた一文です(熟睡できない原因でもあるかもしれません)。それも踏まえれば、文末の“to eat, to be educated, to fill the wallet”は、「~するため」というよりも「~するという」の意味がより近いでしょう。

6:“I love you.”の訳し方

 さて、こうして家族をめぐる状況が一通り示された後で、改めて猫のセリフが紹介されます。“I love you.”これをどう訳すべきか、みなさんから様々な案が出ています。「愛している」「君を愛してる」「大好きだよ」「アイラブユー」「アイシテル」「みんにゃー、大好き」など。たった三単語で、ここまで違いが出てくるわけですから、やっぱり翻訳は面白いですね。

 最初は夫か息子の言葉だと思った、と主人公は言うわけですから、男性のセリフでも違和感のない言葉がまずは第一条件でしょう。「大好き」はやや幼さがある(と僕は思っている)ので、「愛してる」あたりでしょうか。さらに、“you”が誰を指しているのか、という点については、語り手の女性かもしれないし、家族みんなかもしれません。英語の“you”は単数も複数もありますので、どちらかの可能性を閉ざしてしまわないように、シンプルに「愛してる」だけが良さそうです。ちなみに、動物による発話ですから「アイシテル」とカタカナ表記にするという案もありました。僕も最初それで訳していたのですが、考えてみれば、「アイシテル」により近いのは、“I luv U”などの、音に特化した書き方かもしれません。

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