第10回 イメージトレーニング

通訳者のメンタルトレーニング2016.09.02

予測して準備することの重要性

子供の頃、横山光輝の『三国志』にハマりました。読み始めたのは10歳から12歳くらいの頃だったと思いますが、個性豊かな武将や智将の活躍に心躍りました。その横山光輝つながりで『項羽と劉邦』も読んだのですが、とても印象に残ったのは、勇猛果敢な項羽が率いる軍は幾度となく戦を有利に展開するのですが、兵站不足で撤退を余儀なくされていたことです。文字通り、腹が減っては戦ができぬ、ですね。

通訳者は項羽の失敗から学ぶべきです。仕事の前にはパスタの大盛りを食べて、バッグの中にはチョコチップクッキーを……ではなくて、現場という戦いを有利に進めるためには、どのような展開になるのかをできる限り正確に予測し、それに基づいて適切な準備をしなければなりません。項羽は兵站が不足する可能性をあまり考慮していなかった、またはイメージできていなかった。だから時には単純に不適切な手配で兵站不足になることもあれば、敵軍に細く伸びた補給線を叩かれて窮地に陥ることもありました。通訳者は事前に資料を読んで、用語集を作成します。しかし、当日の流れを読んでイメージトレーニング(以下、イメトレ)を行う通訳者はどれほどいるのでしょうか?

イメトレは話者に“なりきる”作業

「ゾーン」または「フロー」という言葉があります。日本語で「没我」と訳されることがありますが、これはいま目の前にあることに我を忘れて取り組んでいる状態を表しています。好きなことをしていたら知らないうちに日が暮れていた、という経験はありませんか? それがゾーンです。通訳者がイメトレを行う究極的な目的は、雑念を排除し、話者の言葉が耳から入って流れるように口から訳として出てくるような状態を実現することです。プロスポーツの世界ではここ20年~30年くらいで特に注目されるようになりました。アスリートが実践しているゾーンの入り方に関する記事もあります。

当日使う資料からある程度は話の流れはわかります。ただ、そこでの自分はまだ第三者であり、傍観者です。それに対し、イメトレは内容を超えて話者に“なりきる”作業であり、話者本人になることです。事前に話の内容を可能な限り深く理解し、話者になりきって話すことができれば、実際に現場が始まったときに既視感を覚えても不思議ではありません。今でも覚えているのですが、ある現場で外国人が「~を作っても中身がなければ意味がない」というような発言をしました。その日の私のパートナーはとても調子が良かったらしく、現場に溶け込んで楽しんでいるようで、この発言を間髪入れずに「仏作って魂入れず」と訳しました。間違いなくフロー体験の中で通訳していたのでしょう。

話し方、息遣いも事前に把握する

“事前に話の内容を可能な限り深く理解する“と書きましたが、これは資料の内容に限りません。話者の話すクセ、スピード、リズム、アクセントや息遣いなども含みます。話者が世界的に有名な方であればYouTubeで素材が見つかるでしょうから、それを見ながら話者の息遣いや喋り方のクセを把握します。たとえばピーター・ティールの通訳をしたときに私は彼のインタビュー動画を観て準備したのですが、彼はとても情熱的な人間なのにスピーチにあまり抑揚がありません。あまり笑わないのでまじめな話しかしないのかと思いきや、忘れた頃に真顔でジョークを言ったりします。しかし緻密な論理構成に溢れる知性を感じる、そんな人です。私は訳者としてできる限りこの雰囲気を再現するように努めました。

では訳す相手がYouTube検索でヒットするほど有名ではない場合はどうするか。この場合は事前の(というか、だいたい直前の)打ち合わせがとても重要です。資料を単に読むだけでは限られた感覚(視覚)しか使っていません。内容をより深く理解するため、つまる自分のものにするためには複数の感覚(この場合は視覚に加えて聴覚や触覚、嗅覚など)を活用するのが理想的なのですが、話者を目の前にしてやりとりをすると自然とこれが実現し、内容の理解度がとても上がります。相手とのラポールを築くという意味もありますしね。

通訳は演技に似ている

プロの俳優のあいだでは、いい俳優の条件は“共感”を醸せることであると言われているそうです。そして私はつくづく、通訳は演技に似ていると思います。プロの通訳者ならわかると思いますが、情報を一つも漏らさずにきちんと訳す通訳者がクライアントから必ず高い評価を得ているわけではありません。むしろ一部のディテールを犠牲にしても、心に響く聞きやすい訳をする通訳者の方が好まれることが多いのが現実だと思います。通訳者の相馬雪香氏は某国際会議で、同時通訳者として現場に入っていた娘の訳に話者の感情が反映されてないと憤り、ブースから娘を引っ張り出して怒鳴りつけたというのは有名な話です。イタリアの女優エレオノーラ・ドゥーザは「私の中に300人の女性が住んでいる」と言ったそうですが、私は300人は無理でも、いずれは24人くらいは演じられるようになりたいですね。ビリー・ミリガンではないですが!