第5回 物語の背景は? 作品に適した文体とは?

文芸翻訳コンテスト2016.08.29

今回も多数のご応募ありがとうございました。

第4回の課題文

 She was a Department of the Army civilian, a DAC, singing a daily quarter hour over the American Far East Network, in a slot between the ball-game transcription and the news. At five each evening the corporal who announced her program would say, “Now the Far East Network brings you the lovely Witch of Tokyo, Miss Sandra Tann,” and you would hear the whisper of velvet, the rich, vibrant voice.
 I saw her first on the broad street between Hibiya Park and the Imperial Hotel. Three men were trying to burn her to death.
 It happened fast. I was walking toward the street from the gardened courtyard of the Imperial. A group of men, twenty or so, some in the white cottons of laborers and three or four in the black uniforms of university students, were clustered around a speaker on the sidewalk that borders Hibiya Park across the street.

Tokyo Doll(John McPartland 著)

翻訳のポイント

課題のポイントは、①舞台が過去の東京であること、②アメリカン・クライム・ストーリーらしいハードボイルド調の文体で書かれていること、その二点にあります。

まず、歴史のおさらいをしておくと、戦争に敗れた日本は1945年から52年まで連合国に占領されていました。占領軍はアメリカ兵が中心で、アメリカの民間人も協力していました。その民間人が、課題文の最初に出てくる Department of the Army civilian(『リーダーズ』の訳語では「陸軍民間部」)に属する人たちです。

その連合国軍の本部(略称GHQ)があったのは有楽町の第一生命ビルだそうですが、帝国ホテルもGHQに接収されていました。この話で主人公(米軍関係者)が帝国ホテルから出てくるのはそのためです。

ヒロインのサンドラ・タン(Sandra Tann)は陸軍民間部の所属で、歌手です。Far East Network で歌をうたっています。Far East Network はある年齢以上の英語好きにはFENという略称で知られ、私も「FENで英語を学ぼう」という趣旨のコラムを英語雑誌に連載していたことがあります(もう三十年前か)。1997年からは American Forces Network と改名されていますので、若い人は知らないわけですね(FENに訳注をつけている方がいらっしゃいました)。

サンドラ・タンは lovely Witch of Tokyo と呼ばれています。直訳すれば、「愛らしい東京の魔女」です。歌手を「魔女」と呼ぶのに抵抗があったのか、「魅惑の東京娘」「美魔女」などという訳がありましたが、この「魔女」はとんがり帽子に黒マントというハロウィーンの仮装でよく見かける魔女ではなく、歌声で男どもを迷わせる魔女(ローレライも魔女の仲間です)なので、「歌姫」と訳してもかまわないわけですが、すぐあとに「Three men were trying to burn her to death(三人の男が彼女を焼き殺そうとしていた)」とあります。これは実際に焼き殺そうとしたわけではなく、襲撃されたことを、魔女という言葉に引っかけてこう表現しているので、やはり「東京の魔女」と訳す以外にありません。

主人公(一人称「I」の無難な訳し方は「私」です)が帝国ホテルを出ると、そこには広い通り(日比谷通り)があります。それを横断すると日比谷公園ですが、公園前の歩道に人が集まっています。

A group of men, twenty or so… とありますが、twentyを年齢と解釈している人がけっこういました。正しくは「二十人ほどの男の集団」ですよね。その集団には労働者(laborers)と学生(university students)が混じっている。

彼らは何をしているのでしょうか? GHQの占領政策やアメリカ兵の乱暴狼藉に抗議しているんですよね。そこに speaker という言葉が出てきます。これはいわゆるオーディオ的な意味の「スピーカー」でしょうか。それなら loudspeaker と書いてあるはずです。これは話す人、つまり「演説者」と解釈しないと意味が通りません。「占領軍の悪行をゆるすな!」とアジテーションの演説をしている男がいて、そのまわりに二十人ほどが集まって、息巻いている、という光景です。

帝国ホテルの gardened courtyard というのが訳しづらかったと思います。直訳すれば、「庭園になった中庭」ですが、日本語で「中庭」といえば庭のイメージが浮かびますので、「帝国ホテルの中庭」だけでいいと思います。こういう文体は、説明的になりすぎないように気をつけて、ぼきぼきと音がしそうな文体で不人情に訳すのが一番です。gardened を丁寧に訳すと、どうしても間延びした、説明的な文になりますね。

最優秀賞

内容と文体のバランスがよく取れていたのは、イトウさん(65歳)の訳文でしたので、最優秀作とします。

「大通りの上」や「庭園風中庭テラス」という表現がまずいですが、「労務者風の白いダボシャツとズボン姿」という訳が秀抜です。当時の labourer はそんなイメージですよね。

宮脇孝雄さんの訳例

ページ: 1 2 3 4