第76回 外国人の興味をそそる神社のガイド

通訳ガイド行脚2014.02.16

梅のつぼみが寒さに負けずに膨らみほころびかける頃、湯島天神、北野天満宮、大宰府天満宮など…全国の天神様を祀る神社は合格祈願をかける受験生で賑わいます。寺社に外国人観光客をお連れする場合には、その特徴や、誰がどのような理由で祀られているのかを知っていただき、興味津々で喜んでいただきたいものですね。

菅原道真公が祀られる北野天満宮
そもそも天神様って誰の事なのでしょうか?
“通りゃんせ、通りゃんせ
ここはどこの細道じゃ
天神様の細道じゃ
ちょっと通してくだしゃんせ・・・”
「とおりゃんせ」のわらべ歌に出てくるほど人々に身近に感じられた天神様は、菅原道真公のこと。幼少の頃から才能を発揮し宇多天皇からの信頼も厚く、三代続けて文章博士の家柄での彼の出世は目覚ましいものでした。しかし、それを妬んだ藤原氏の謀略で無実の罪をきせられ、九州の大宰府へ左遷。大宰府への道中の国々には食料も馬も供出してはならぬとの厳命でした。現地での菅公は身の潔白や天皇への忠誠心を述べた歌を数多く残し903年死去しましたが、葬列の途中で牛が止まって動かなくなった場所が現在の大宰府天満宮となりました。誕生年845年は丑年、だから神使たる牛の像が境内にあるのです。誕生日でもあり命日でもある25日は、今でも毎月1000件以上の露店が並ぶ縁日です。そんな縁日には行ってみたくなりますね。

さて、菅原道真公が亡くなった後の都では、日蝕、旱魃、洪水、疫病などが相次ぎ、落雷、雷鳴、病気などで皇太子や公卿たちが次々と亡くなるなどの凶変が起こりました。菅公への同情と同時に、怨念を鎮めねばという神への恐怖心も強く広まりました。朝廷は菅公の怨霊を恐れて正一位左大臣、太政大臣を追贈し、北野天満宮を造営、一条天皇による勅祭によって菅公は北野天満宮天神と称されるようになりました。以来、天皇家、足利将軍など時の権力者たちは北野天満宮を崇敬し手厚い保護をして、民間では菅公は「学問の神様」として信仰されるようになったのです。

「神道」は外国人には新鮮な日本文化
これでなぜ菅公が天神様となったかがわかりましたが、平安時代に盛んであった怨霊 (vengeful spirit)信仰が、菅公の悲劇的な死と結びついた点に注目する必要があります。もともと日本土着の信仰である神道では、山、川、風、岩、など森羅万象に神が宿るとされ、功績があった人、敬愛された人、怨念を持って亡くなった人などが神として祀られることがあります。自然崇拝が基本となった神道がベースにあるために、菅公の怨霊が不吉な出来事を世の中にもたらせたと考えられて大きな影響力を持ったのですね。こういった部分は外国人観光客の興味をひくところです。

神社では、穢れた心を清めることが大切な目的であり儀式となります。心を清める為に神職者が参拝者の頭上で振る大麻(おおぬさ)streamers (white cut paper or linen) attached to a pole used for purification ceremonies は馴染深いお浄めの儀式ツールですが、あの白い紙は清い水を意味するとか。

人が亡くなるとそこには穢れが派生します。木が枯れる→穢れ。地位の高い人が亡くなれば穢れも甚大で、そのような宮殿にはもう住めない、都も移転をすべきだというところから、昔は天皇が即位するたびに遷都が行われました。

天神様の話から話が進んでしまいましたが、神道のあり方と日本の歴史は深いつながりがあるので、勉強して押さえておきたいポイントです。

神社にご案内する時には、そんな深い神道の話や歴史をどうコンパクトにガイドできるか?が、ガイドとしてはそれも勝負どころですね。