演劇から翻訳の世界へ ――日本語を発見する旅

リレーエッセイ2016.02.26

外国語を翻訳することは、日本語の発見につながる――翻訳に興味を持ったきっかけは、大学在学中から始めた演劇の世界で言われたこの言葉でした。小劇場で右往左往しながら、劇作・演出家を目指して舞台に明け暮れる日々。その中で、日本語の表現を増やすために、少しずつ翻訳を勉強し始めたのが最初の一歩です。

そんなとき、それを聞きつけたある劇団から戯曲の翻訳を依頼されました。それが最初のお仕事です。しかも、演劇で初めてギャラがもらえて有頂天! 「舞台の勉強にもなるし、生活費も稼げる! 一石二鳥だ!」と短絡的な発想で、映像翻訳学校の扉と叩きました。戯曲の翻訳に一番近いのが、映画やドラマの翻訳だと考えたんです。いずれ演劇でロンドンに留学したいと考え、英語の戯曲や脚本は読んでいたので、そこそこイケるかなと思っていたのですが、現実はそんな甘くはありませんでした。

翻訳学校では海外経験が長い方が多く、私などの英語レベルでは完全なる落ちこぼれ。周りと同じことをやっていたら、とうてい仕事にはありつけないぞと焦りました。そこで、俳優の底力となる演技力があるように、翻訳者にも翻訳力があるんじゃないか…と考えたんです。

俳優が役を作るよう翻訳者も訳を作る

訳作りと役作りは似ています。役作りでは、役の背景を想像し、台詞の意図を考え、感情の流れを作り、役の本質を見極め、観客に伝えるため最も効果的な表現を模索していきます。訳作りも台詞の意図を探る意味では同じ。そこで、演技力があれば、どんな役でも演じられるように、翻訳力があれば、どんな作品にも対応できるようになるはず。翻訳力という視点でやってみようと思ったんです。

そこで自分なりに考えた翻訳力の支えとなるのが――意図を読み解く「英語の読解力」、理解した内容をきっちり言葉に置き換えていく「日本語力」、そして作品をより深く理解するため、適切な日本語表現を探るための「リサーチ力」。この3本柱をしっかり立てないと底力は身につかない。いわば筋トレの段階です。そして、次の段階として、理解したものを加工する翻訳技法のステージがあると考えました。それが、字幕か、吹替か、書籍か、日本語を型に合わせて作っていく仕上げのテクニックになります。ルールを覚えても、ちゃんとした筋力がなければ、うまくプレイできないのと同じで、いきなり字幕や吹替の原稿ができるわけないと、自分を励ましながら、何とかクラスにかじりついていきました。

芝居をきっかけに翻訳の仕事を得る

初めて映像翻訳の仕事をいただいたのは、翻訳学校に通い始めてちょうど1年たった頃です。当時は、演出を学ぶため、俳優の訓練もしていたので、子ども向けアニメの声優のオーディションに行かされたのですが、まったく役につく見込みがありませんでした。そこで「芝居は下手なので、翻訳をやらせてください」と物は試しにアピールしてみたんです。それがきっかけで、お仕事をいただけることになりました。

最初は日本語台本のチェックから入り、そのうち吹替翻訳をレギュラーでやらせてもらえように。吹替や字幕のテクニックは、仕事の現場で吸収していきました。ルールは学校で教わっていたので、あとは実践あるのみで必死でしたね。その後は、通っていた翻訳学校でスタッフ兼講師として働き、5年後に独立。今に至ります。

翻訳学校で講義をしていたとき、「映像翻訳は、ラブレターを代筆するようなもの」と伝えていました。相手の想いに耳を傾け、受け取り、そして伝えるのが役目だと。作り手たちのラブレターを届ける仕事だと思うと、翻訳はただの言葉の置き換えではなく、メッセージになります。翻訳するときは、代筆屋を演じるような意識で訳作りをして、受け手に伝わらないのは片思いの翻訳、ちゃんと伝わったら両想いの翻訳、そんな風にたとえながら、作品と向きあうようにしています。伝わらないもどかしさに悩み、理解できない切なさに何度、胸を痛めたことか。

だけど、作品は一期一会。人の出会いと同じく、作品との出会いで、知らなかった世界を知ることができる。この仕事を通して、ずいぶん世界が広がりました。どんなに大変なことがあっても、こんなにロマンチックな仕事はないなと、10年以上たった今でもドキドキします。

『通訳・翻訳ジャーナル』2016年冬号から転載★