第100回(最終回) この連載で伝えたかったこと

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しかし、たまにこういうカテゴリーのどれにも当てはまらない人間が、こちらの人生に入ってくることがある。長い年月の中、妙な間隔でトランプから飛び出してくるジョーカーであり、ちょくちょく危機的状況の一瞬に現れる。映画では、この種のキャラクターは、「結果として自分をあるべき所に落ち着けてくれる第5の男」または「変化を促す男」と言われている。彼が画面に登場するときには、シナリオライターがその部分を強調するので、この男だとわかる。だが、誰が我々の人生のシナリオを書いているのだろう?
<コメント>「こちら」だったら「自分の」とか。at odd intervalsは成句。「一瞬」ではなくて「瞬間」。「映画では~」のところは少し説明的になりすぎです。「彼」は避けたいかな。シナリオライターは特に強調はしていません。そこに配置したからですね。
<余談>いろいろなアプローチで処理できるので、他の方の訳文も見てみてくださいね。

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だが時には、どれにも当てはまらない人が登場する。ジョーカーのような人物で、何年か経って不意に現れるのだが、それはたいてい困っている時だ。映画では、5番目の人または変化を進める人というキャラクターとして知られる。彼らが映画に登場するのは脚本家がそうさせるからだが、私たちの人生の脚本はだれが書いているのか?
<コメント>「人物」の方がいいかな。ジョーカーの部分は少し楽しすぎ。「私たちの」の前に「では」を入れた方がいいかな。
<余談>変化も必要ですよね。僕にとっても皆さんにとっても。どうぞ精進してください。今までありがとうございました。

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しかし時に、これら範疇のどれにも当てはまらない人物が君の人生に入り込んでくることがある。こやつこそ、ジョーカー。長い歳月の中、思いもかけない間合いをぬって登場し、顔を突き出す。往々にして危機を迎える場面であることが多い。こうした人間は、映画の中では陰の人物、あるいは触媒役、として知られている。映画にそいつが出てきたら、それはシナリオライターがそこに書き入れたのだと、あなたにはわかるだろう。だが、我々の人生のシナリオを書いているのはいったい誰なのか。
<コメント>「こやつ」はさすがにちょっと古いかな。ジョーカーのところは少し楽をしすぎです。「間合い」もちょっと違う感じになってますね。「陰の人物」は少し原意から離れすぎ。「そいつ」もちょっと荒っぽいです。書き手はスティーヴン・キングなので。
<余談>はいご苦労様でした。MVP良かったですね。またどこかでお会いしましょう。

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しかし時にこれらのカテゴリーに当てはまらない人物が人生に現れる。この人物はジョーカー。人生においてしかも大抵ピンチの時に急に現れる存在。映画ではこの種の登場人物は5番目の男、すなわち変化をもたらすものとして知られている。彼が映画に登場すると、シナリオライターがそうさせたのだとわかる。では私達の人生のシナリオを書いているの誰なのだろう。
<コメント>ジョーカーのところはもう少していねいに。over yearsは訳出したいですね。「長い人生において」とか。「私たち」かな。「のは誰なのだろう」です。
<余談>自分で向上したことが感じられるのであれば、とても良かったですね。地道に努力を続けてください。またいつかどこかで。

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しかし、ときには、どの部類にも当てはまらない人間が、自分の人生に関わってくることがある。その登場は、長年にわたり不定期かつ予測不可能なことで、しかも、しばしば、危機に瀕しているときにである。映画の中では、こうした人物は、仲介屋、あるいは触媒役と呼ばれている。ふいに姿を現すのは、脚本家がその場面で登場させるからだ。しかし、我々の人生という脚本を執筆しているのはだれであろうか?
<コメント>「不定期かつ予測不可能」は少し硬いかな。後半はいい感じです。
<余談>こちらこそどうもありがとうございました。

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だが、時にはこうした分類にまったく当てはまらない人物が人生に現れる。これは、年月のあいだに間隔を定めず、一組のトランプから飛び出してくるジョーカーなのだ。危機のさなかに立ち現れることが多い。映画なら、この種の登場人物は、ヒーローでもヒロインでも善人でも悪人でもないさしずめ第五の役者、つまりは意識改革者ということになる。スクリーンにそうした人物が登場すると、脚本家がそこに配置したからそこにいるのだとわかる。とすれば、われわれの人生の脚本を書いているのは誰なのだ?
<コメント>「間隔を定めず」はちょっと違うかな。「現れる」でもいいかなあ。「役者」はちょっと違うと思います。「意識改革」ではないです。「では」の方がいいかな。
<余談>がんばってください。震災以前からというとずいぶんになりますが、長い人生、またどこで出会うことがあるやも知れません。またその時に。

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しかし時には、こうした分類のいずれにも当てはまらない登場人物が、人生に顔を出すこともある。トランプの束から不意に飛び出すジョーカーのように、この人物は、長い不思議な間隔を挟みつつ、しばしば危機のただ中で姿を現す。この種の役柄は、映画では「第五役」、「転機の人」として知られている。映画であれば、彼がそこにいるのは、脚本家がそう書いたからだ。しかし人生の脚本は、誰が書いているのだろうか。
<コメント>at odd intervalsは成句です。その後は一つの考え方としてはあり。「しかし」でつなぐより「では」のようにつないだ方が良いと思います。
<余談>こちらこそどうもありがとうございました。またどこかでお会いするかも知れません。その時を愉しみに。

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<コメント>訳文が間に合わないのは仕方ないです。こちらこそどうもありがとうございました。

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しかし、時折これらの枠をはみ出る人物が出てくる。数年に一度の思いもよらぬタイミングで、しばし危機的状況の内に、突然変異の如く現れる切り札だ。映画では、このようなキャラは、五番目の男やチェンジ・エージェントとして知られている。そのような人物が映画に出てくる時、脚本家がその場面にその人物を登場させたのだということをあなたは知っている。しかし、誰が我々の人生の脚本を書いているというのだ?
<コメント>「数年に一度」とは限らないんじゃないかな。「突然変異」はちょっとやり過ぎ。「あなたは知っている」は少しくどいかな「がわかる」くらいで。
<余談>どうもありがとうございました。またどこかで。

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