第100回(最終回) この連載で伝えたかったこと

一行翻訳コンテスト2015.12.18

「歳月人を待たず」と言いますが、齢を重ねるごとに、一年がとても短く感じられるようになりました。この連載もとうとう最終回。ちょうど100回目で終わりになります。最初の原稿を書いたのが2007年4月で、その頃は本当に1行だけの課題文だったのが、いつの間にか増えに増えて、1パラグラフくらいになっていました。でもその方が勉強になってみんなには良かったかな。

この連載を通じて僕が言いたかったことを改めて整理しておくと、それは色気のある文章をということでした。もう少しわかりやすく言えば、読み手にとって魅力のある文章と言ってもいいかも知れません。どうしても意味を理解するのに汲々となったり、意味はわかっても独りよがりの訳文を作ったりと、なかなか魅力的な訳文を作るのは(自分自身を含めて)難しいわけですが、一つ大切なことは、「読者の立場から訳す」ということです。あるいは訳し終わってから、読者として自分の訳文に向き合うでもいい。できれば訳文を作ってから少し時間を空けてみるといいです。僕は(あとで推敲を重ねるのではなく)訳しながら完成品を目指すアプローチをとるのですが、勉強中はやはり推敲を重ねた方が間違いないでしょう。特に若い人は決定的に語彙が不足していたり、経験不足だったりする場合が多いので、類語辞典が必須です。ネット上にもいくらでも存在していますから、ぜひ活用して下さい。

もう一つこの連載を通じて伝えたかったことは、考える事です。政治しかり、経済しかり、科学しかり。どのようなものであっても、すべて翻訳の世界はもちろん、リアルの自分たちの生活、子供たちの未来といったあらゆるものにつながっています。皆さんがノンフィクションを目指しているのか、ミステリーを訳したいのか、あるいは恋愛小説の翻訳を手がけてみたいのか、それは一人一人違うと思います。でもどのような小説にも様々な分野が絡まってくるわけで、たとえばイラク戦争で引き裂かれた男女を描く恋愛小説であれば、当時の国際情勢や経済情勢といった知識から、武器や兵器に関する語彙、あるいはイスラム教やキリスト教についての情報も必要になってくるでしょう。国際謀略を描くスパイ小説を訳すのであっても、俗語やアメリカの日常生活、あるいはラテン語の知識が求められるかも知れません。恐れるべきことは「自らの無知」です。経験を積むほどに、わかってくるのは自分がいかに無知で、無教養で、愚かであるかと言うことです。いわゆる「無知の知」なんですが、ただそのことを自覚すれば、調べものをしていても、テレビやネットなどに氾濫している誤った情報や操作された情報に引っかかることも少なくなるはずです。自分が翻訳を始めた頃は、まだネットも発達しておらず、機械の情報を得るために展示会に出向いたり、国立国会図書館まで調べ物に行ったり、海外に出かけたときに、カタログを集めて回ったりといった努力が必要でした。いまは欲しいカタログは、ネットから簡単にダウンロードすることができます。その意味で、翻訳の七割以上を占めると言われる調べものにかける時間はずっと減らせるようになったはずです。でも逆に調べない人も増えたと思います。ありがたみがわからないんでしょうね。

昔、翻訳者何人かで、翻訳者になるためのスターティング・ポイントに立つ条件は何かと話し合ったことがあります。ある程度、一致したのは、ペーパーバックを50冊読んで、原稿用紙2500枚分訳すこと。たぶん前者はクリアしている人も少なくないと思いますが、後者はほとんどいないんじゃないかな。とりあえず一つの目安として挑戦してみて下さい。

僕は、今はFacebookで主に活動しています(主に風景写真と翻訳と音楽、特にBABYMETAL、それに政治経済)。何かききたいこととかあれば、そちらから問い合わせてください。

オススメの一冊 その1

『Rewriting the Rules of the American Economy: An Agenda for Growth and Shared Prosperity』(Joseph E. Stiglitz 著/Norton)

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では今月の1冊目。Joseph E. Stiglitzの『ReWriting the Rules of the American Economy』。持てる者と持たざる者の差が極端に開いてしまったアメリカでは、さすがにフリードリヒ・ハイエク以来の新自由主義経済学に対する批判がだいぶ出てきています。先月に続き登場のスティグリッツによるこの本は、米国のいまを改めて問うた本です。

The American economy no longer works for most Americans. We pride ourselves on being the land of opportunity and creating the first middle-class society, yet profound and largely overlooked changes have put the middle-class life increasingly out of reach for the majority of Americans. At the same time, we have enabled a small percentage of the population to take home the lion’s share of economic gains.

The rapidly rising inequality in the United States over the past generation disturbs and baffles economists and politicians because it is unlike anything our economic models predict or our experience of the mid-20th century led us to expect.

What is causing this dysfunction? Economists have gone back to textbook models and examined reams of data to try to understand what is happening. Some point to technological change or globalization. Some posit that government has shackled the free enterprise system and hobbled business. Some say that our economy is simply rewarding the risk takers and job creators who have earned the riches coming their way. None of these arguments get right.

クルーグマンとかスティグリッツ、日本なら今こそ宇沢弘文あたりを読むべきじゃないかなあ。

オススメの一冊 その2

『Plot Boiler』(Ali Brandon 著/Berkley)

9780425261552

今月の2冊目&ラストは、Ali Brandonの『Plot Boiler』。Black Cat Bookshop Mysteryというシリーズの5作目。独立記念日が近づいて、ブルックリンの書店では、お客さんを集めようとブロック・パーティ(バンド名にもありますよね)を開くことにしますが、そこで殺人事件が起こり……みたいな話。

“I don’t know what they say here in Brooklyn, but back home in Texas, they call it crawfishing on a deal. Fine, I’ll be looking for it. Good-bye.”

Had she been talking on a landline, Darla Pettistone would have slammed down the telephone receiver with a satisfying crash. But the call had come in on her cell phone so she’d had to content herself with hitting the “end” key with more force than necessary. Then she slumped back in her vintage bistro chair and stared at her best friend, Jacqueline, aka Jake, Martelli, in dismay.

Jake raised a black eyebrow. “Crawfishing?”

“Crawfishing,” Darla confirmed. “It means going back on your word. Which is what Johnny Mack just did to me.”

“And Johnny Mack is―?”

“―the lead singer for Johnny Mack’s Electric Trombone Band. They’re the ones my planning committee hired for our Fourth of July block party on Friday.”

うまい書き出しです。では先月の課題文と解説です。

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