「あのセリフが好き」 いつか誰かの心に残る名訳を

リレーエッセイ2013.02.14

私が字幕翻訳を始めたきっかけは、ある翻訳学校主催の字幕翻訳オーディションでした。当時私は会社勤めをしながら、その学校の通信講座を受講しており(映像翻訳のコースではありませんでした)、昔から漠然と憧れていた字幕作りを体験できるというチャンスに惹かれ、オーディションに応募したのです。そして結果はギリギリのラインで最終審査に合格。ラッキーというか無謀というか、かくして私は字幕翻訳というスリリング(?)な世界に足を踏み入れることとなりました。

字幕作りに興味があったとはいえ専門知識を学んだ経験はなく、字幕特有のルールなどはオーディション応募時にすべて独学したものです。ただ昔から映画が好きで字幕をたくさん目にしていたという経験が、少なからずここで役立ってくれたのかなと思っています。初めて任されたのは視聴者参加型ゲーム番組の字幕でしたが、当然のごとく制作担当者からダメ出しの嵐。ドラマとは違う、セリフではない言葉のやり取りを訳すのが難しく、一枚の字幕が長すぎて流れが悪く印象がもたついたり、逆に短すぎて内容が伝え切れなかったりと、本当に苦労したのを覚えています。担当さんは私以上に大変だったと思いますが(笑)。

当時は、字幕のタイミングを決めるスポッティングという作業を行うため、夕方会社勤めを終えると制作会社へ向かい、機材を借りて終電まで作業し、その後家に帰って徹夜で翻訳作業…というなかなか過酷な日々を送っていました。相変わらずダメ出しをされ続ける苦しい日々でもあったけれど、とにかく字幕作りに携われることが楽しくて嬉しくて、それが原動力となり、今もこうして仕事を続けていられるのだと思っています。

自然な流れを作る
日本語力が物を言う

字幕翻訳の醍醐味とは、1秒4文字という制限の中に厳選されたエッセンスを凝縮し、セリフの核心を突いた字幕に仕上げていくことにあると私は思っています。まあそう簡単に名訳が浮かんでくることはなく、キャリア十数年の今も悪戦苦闘の毎日ですが、それでも時々そんな字幕が頭に「降りて」きたり、その字幕にお褒めの言葉をいただいたりすると、「よっしゃ!」と小さくガッツポーズを決めたくなるものです。「あの映画の、あのドラマのあのセリフが好き。うまい字幕がついててね…」なんて、自分の字幕をそんなふうに覚えていてもらえたら、私は思わず小躍りしたくなることでしょう。

無論、そういう良い字幕が作品中にポツポツあるだけでいいというわけではなく、何より重要なのは流れです。制限がある分、作品を見る人に必ず伝えなければならない情報を汲み取り、それを自然な日本語に置き換え、自然な流れで見せる力が求められます。翻訳では、日本語力が英語力以上に物を言い、きちんとした日本語を書けるということが大きな武器になりますが、最近は俗に言う「言葉の乱れ」が憂慮される中、字幕でも「ここまでイマドキ風でいいの?」と思うような表現を目にすることもあります。言葉は生き物ですし、それ自体日々変化していくのが常なのでしょう。それでも私は字幕翻訳という言葉を扱う仕事の一端を担う者として、昨今失われつつある正しく美しい日本語を残していくことの一助となれれば、などと生意気にも思ったりしています。

四年前、結婚を機に東京を離れ福島での生活となりましたが、距離が遠くなる分、仕事に支障も出るのでは…と最初は不安もあったものの、何とか以前と変わらないペースで続けることができています。昨年の震災の際は、一時仕事をするのが困難な状況にもなりましたが、制作会社の方々や同業者仲間の助けで何とか乗り越えることができました。フリーランスの仕事は、人との縁が何よりの宝。昨年は特に強くそのことを実感した一年でした。そして昼夜仕事部屋にこもる日も多い兼業主婦翻訳者の私にとって、何よりありがたいのは家族の理解と協力! これに尽きます。苦労も多い仕事ですが、「好き」を仕事にできている奇跡と周囲の支えに感謝しながら、これからも精進を続けていきます。誰かの心に残る名訳を生み出せる日を夢見て…。

★『通訳・翻訳ジャーナル』2013年夏号掲載★