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2023.03.28 UP

「マイナー言語」だからこそ生まれた
ポルトガル語の仕事の縁/木下眞穂さん

「マイナー言語」だからこそ生まれた<br>ポルトガル語の仕事の縁/木下眞穂さん

季刊誌『通訳翻訳ジャーナル』の連載、翻訳者リレーエッセイをWebでも公開しています!
さまざまな分野の翻訳者がデビューの経緯や翻訳の魅力をつづります。

ポルトガル語の話者数は世界第7位とはいえ、日本では依然として「マイナー言語」だろう。よって、翻訳学校もないし翻訳の師もいない。だが、マイナーであるがゆえに知人、友人を介していろいろな仕事が回ってきた。
翻訳の世界に入るには「メジャー言語」より垣根は低いのかもしれない。

初めての仕事はCDの歌詞対訳

初めて名前が出た仕事(CD歌詞訳)も大学の同級生が回してくれたものだ。それ以降、とにかくいろいろな仕事をした。観光用ガイド、個人の手紙、カタログ、映画字幕の監修等々。なかでも忘れがたいのが、1998年にポルトガルのジョゼ・サラマーゴがノーベル文学賞を取ったときのことだ。

当時は邦訳がなかったが、誰かと受賞を喜び合いたくて新聞に解説を寄せた東京外国語大学の岡村多希子先生に葉書を出したところ、NHKの特別番組の資料訳の仕事を紹介してくださった。まだ子どもが小さくて大変だったが、膨大な量の彼の日記と資料を夢中で読んで訳した。このとき、やはり文芸翻訳をやりたいと強く思うようになったのだが、学校もないし、手段がわからなかった。

小説の翻訳にも縁でたどりつく

それから約10年後、ブラジルの小説の翻訳に興味はあるかと知人から連絡が入り、突然、小説を訳すという夢が叶った。そのゲラに取り掛かっている最中に別の友人からパウロ・コエーリョ作品の翻訳者を探しているという話が舞いこんだ。世界的ベストセラー『アルケミスト』の著者である。一も二もなく手を挙げ、無事に訳者に選んでいただいた。

訳書が数冊出て、今度はポルトガルの作家を訳したいという思いが強くなってきた。コエーリョはブラジル作家で、私の縁が深いのはポルトガルなのである。ほとんど邦訳のないポルトガル現代文学、これはもう自分で訳すしかないという思いがふつふつと高まってきた。

野心が芽生えてくると同時に、きちんと翻訳の勉強をしていない自分のことが不安になった。訳書は数冊あるが、自分のこの日本語で本当にいいのか、客観的に知りたかった。

その頃、翻訳家の鴻巣友季子先生がフェイスブック上に翻訳者のための限定グループを開設されたと知った。面識はなかったが勇気を出して申請し、入れてもらった(現在は募集終了)。これを機に、先生が受け持つ某大学の授業を聴講させていただいたり、英語の翻訳教室、イベント、読書会にも顔を出したりするようになった。「翻訳仲間」ができて一気に世界が広がった。

2015年1月、かねてよりファンだったポルトガル作家が来日中という情報が入り、東京外大での特別講義を聴講させてもらった。すると「日本に自分の読者がいるとは」と向こうが驚き、「あなたの作品をいつか訳したい」という私の言葉を聞いて、帰国後に新刊を送ってくれた。その小説のあまりのおもしろさに衝撃を受け、「これは訳さねば」という使命までも感じた。「おもしろい本がある」という私の言葉に、鴻巣先生が「企画書を作って見せてごらんなさい」とお声をかけてくださった。早速作成して送ったところ、すぐ「これはいける」とお返事があり、新潮社のクレスト・ブックスの編集者をご紹介いただいた。

そうして出たのがジョゼ・ルイス・ペイショット著『ガルヴェイアスの犬』である。ポルトガル作家の本が訳せたというだけでも喜びなのに、さらには第五回日本翻訳大賞という大きなご褒美もいただいた。ポルトガルの小さな村の悲喜劇を描いたこの作品が刊行されて1年以上経つが、この本のおかげで私の世界は今も広がっている。

こうして振り返ると、どの仕事も人との縁から生まれたのだと、感謝の思いを新たにしている。学校がないからと翻訳をあきらめていたら今の私はなかった。マイナー言語の翻訳を目指している方にアドバイスがあるとすれば、「自分は翻訳をやっている」と周囲に伝え続けること、飛んできた球をいつでもキャッチできるよう準備を整えておくこと、だろうか。人が人と繋がりたいと願う場に必要なのが通訳、翻訳だ。思いもかけない所から仕事が生まれることもある。一つ一つの出会いを大事にしてほしい。

木下眞穂さんのインタビュー記事はこちら!
その他の言語の通訳者・翻訳者 第3回【ポルトガル語】翻訳者 木下眞穂さん

※ 『通訳翻訳ジャーナル』2020年冬号より転載

木下眞穂
木下眞穂Maho Kinoshita

ポルトガル語翻訳者。訳書にパウロ・コエーリョ『ブリーダ』『不倫』『ザ・スパイ』(以上、KADOKAWA)、ジョゼ・ルイス・ペイショット『ガルヴェイアスの犬』(新潮社)、ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ『忘却についての一般論』(白水社)など。マノエル・デ・オリヴェイラ、ペドロ・コスタなどポルトガル監督の映画字幕訳も担当。
*『通訳翻訳ジャーナル』2020年冬号・掲載当時*