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2024.03.27 UP

第6回 通訳は緊張との戦いー 通訳者の「ホーム」と「アウェイ」

第6回 通訳は緊張との戦いー 通訳者の「ホーム」と「アウェイ」

会議通訳者、兼、スポーツ通訳者として活躍されている、平井美樹さんによる連載コラム!
日本スケート連盟の通訳者として数多くのフィギュアスケートの大会で通訳を務めるほか、五輪やサッカーW杯、ラグビーW杯にも通訳として関わる平井さんが、フィギュアをはじめとするスポーツの通訳の仕事について語ります。
(※隔月更新予定)

通訳者のとっての「ホーム」「アウェイ」とは

アスリートの姿勢から学ぶもの

毎日朝から晩まで、苦しい練習を重ねる。痛みも我慢する。できる準備は全部した。それでもまだやっていない準備があるのでは? と不安になる。色々なことを考えながら寝ようとしてもあまり眠られないまま。胃をキリキリさせながら本番会場に向かう。カメラや色々な人の目がずっと自分を追う。周りが実力以上を発揮していく。もしくは残念な結果に終わるのを目にしながら、自分の出番を待ち、集中力を高めていく。会場には沢山の観客(聴衆)。
さあ、自分の実力を全て出し切ろう!

フィギュアスケート選手はこんな気持ちで本番にのぞんでいるようです。

残念ながらフリーランス通訳者の場合、力を発揮する仕事の現場は基本的に「アウェイ」の世界です。初めてのお客様の場合はさらに完璧アウェイ。
自分の知らない世界に、素人は自分だけ、そこでどんな癖があるかもわからない、初対面のお客様の発言を聴衆がわかってくれるように通訳していきます。もちろん、慣れ親しんだテーマやお客様、業界などのお仕事では「ホームゲーム」のように背中を押されたり、メンタルブロックからも解放されて、安定した状態で通訳に挑めたりすることもあります。

アスリートの皆様からは、一緒にしてくれるな! とお叱りを受けるかもしれませんが、通訳者はトップアスリートから学べることが多いと思います。これはどんなお仕事でもそうですが、アスリートの試合へのメンタルの整え方は、皆さんが体験する何らかの“本番”への準備につながるのではないでしょうか。

国際会議の本番前、通訳ブースで緊張している筆者。

チーム付き通訳者の「ホーム」の通訳

サッカーや野球など、チーム・球団付きの通訳者の方のお仕事を見る機会があると、まるで選手が「憑依」したような通訳をされていることがあり、感嘆します。
まさに通訳者にとっての「ホームゲーム」のようなお仕事です。これがチーム付きのスポーツ通訳の醍醐味でもあります。チームに所属して、選手や監督の専属通訳者として長い時間を共にするからこそ成しえる技だと思います。もちろんそのことに加え、競技や球団のありとあらゆる側面、選手のアスリートとしての課題や状況、さらに人となりもすべて把握しているからこそ、すばらしい通訳ができるのでしょう。

私も何名かの財界人、政治家の専属通訳を務めていると、その方の発想の仕方などがある程度読めるようになるので、そこまでリテンション(※)の必要がない場合があります。その際はすんなり訳出ができるものです。話者との信頼関係が深いからこそ、完全に任せていただけるのです。
また、その信頼に応えるために責任感を持って意訳することもあります。私のクライアント様には英語が堪能な方もいて、私の訳を聞いて、たまに「いや、そうじゃなくて」と訂正が入ることも最初はありました。その度に落ち込んだものですが、それでも、なぜ違うのかをその方からご説明いただき、次回はもっと改善してみせると、次へ繋げる糧にしてきました。

※リテンション:話者の発話内容を記憶すること。通訳の基礎訓練では「リテンション&リプロダクション」という、聞いた内容を正確に記憶して繰り返す練習が欠かせない。

「緊張」とうまく付き合うには

通訳者は毎日本番がある場合も多く、繁忙期は1日に3つの案件をこなす「トリプルヘッダー」の場合もあります。どの案件もプロとしての準備、しっかりとしたパフォーマンス、そして終了後の反省・改善をすることは当たり前。バレリーナがバーレッスンを一日休むとリカバリーにもっと時間を要するというのと同じです。また、ケガをした時に休むのが大事なように、ただ根性論で練習を重ねれば良いわけでもありません。自分なりのやり方を皆さん持っているかと思います。

同じように緊張感との闘い方も人それぞれです。

フィギュアスケートの大会では、陸上でのウォームアップ、氷上での6分間練習、そして自分の滑走順までの時間をどう過ごすかがカギになります。通訳者も日々のコンディションを整えることから、当日の本番前の過ごし方、現場入りしてからの打ち合わせ・準備など、緊張に押しつぶされるような時間があります。

私はコンディション重視のタイプなので、前日はなるべく早く睡眠を取れるようにします。といっても、翌日の会議資料やスピーチ原稿が夜遅くに届くこともあるので、思うようにいかないことの方が多いです。あまりにも内容が頭に入らないときは翌朝早く起きて自分を追い込みます。これが意外と上手くいくこともあります。短期決戦ですから覚える方も必死です。
現場入りすると、クライアントや会議の参加者といった「チーム」との化学反応が良ければ実力以上の力を発揮しますし、そうでないときも「自分の今の状態で出せるベストは?」と、その日の基準を決めてのぞみます。最初の声を発するまで心拍数も上昇していきます。
フィギュアの選手はあんなに大きい会場で天井の方までお客様がいらして、皆さんが最高の演技を期待なさって応援してくださる中で、自分との孤独な闘いをしているのだろうなと、そんなことを想像すると、メンタルを整えるイメージトレーニングになります。

実際、本番で「滑り出しは好調、良い波に乗れた!」という日もあれば、出だしからぐらつき、「どうやってリカバリーさせるか?」を必死に考えながら通訳することもあります。
そんなときに、フィギュアの選手やコーチがよくおっしゃる言葉 ”You just pick yourself up and start over again.” を大切にしています。私も小さい頃スケートの練習中にジャンプで転倒ばかりして、リンクの上に座り込んで不貞腐れていたときにコーチによく言われました。リンクに叩きつけられるように転ぶとがっかりしますが、そこから痛みを感じつつも自分をpick upして頑張るのです!
現在は緊張に負けそうなとき、失敗してもまた立ち上がって一からやり直せばいいのだから、と自分に言い聞かせ、落ち着くおまじないになっています。

ホームとアウェイによって緊張感は違います。仕事のたびに、毎回新しい緊張感に襲われます。それでもその先に待っている自分なりの勝利や敗北、自分との戦いで得られる手応えがあるから、緊張感をも味方にして自分の力にしていこうと思えます。

米ジャーナリストからのアドバイス

メンタルのことばかり書きましたが、それに絡めて、フィギュアスケートの大会で記者会見後にアメリカの重鎮ジャーナリストから受けた、英語表現についてのアドバイスをご紹介しておきます。
当時はまだまだスケートの通訳を始めたばかりで、こちらの緊張が皆様にも伝わっていたのだと思います。日本人選手がよく使う言葉、“コンディション”についての指摘でした。私も、ほかの通訳者も“condition”とそのまま訳していましたが、英語的には “I’m in better shape / bad shape”の方がしっくりくるよと教えてくださいました。簡単だけどなかなか出てこない、指摘されないと気が付かないという表現の例です。
そして誰しも、どんなshapeであろうが、本番は待ってはくれません。

フィギュアスケートの大会で選手が必ずおっしゃるのが、観客の皆様の応援や手拍子、拍手に力をもらったことへの感謝。一方、我々の主戦場では、通訳席から会場を見渡すと、「どれどれ聞いてみるか?」という方や、「わかっていることを通訳でもう一度聞かなきゃいけないのかあ」という方、「通訳の内容しかわからないから、しっかり聞かせて!」という方など、色々な聴衆がいらっしゃいます。

フィギュアスケートの大会や記者会見場では、締切に追われている緊張感もあります。そんな中でも、たとえば会議や大会の主催者様や企業の担当者と通訳者がワンチームになれていると、その会議・大会の成功という目的に向けて力を合わせられるので、通訳者としてもパワーを頂けます。これも「ホーム」といえます。
アウェイの場合は、主催者やお客様から、通訳者はただ機械的に訳すことを求められ、その場限りで終わるような現場になりがちです。ですがそんなアウェイの環境でも、期待されていなくても、しっかり自分のプロとしてのお仕事を出して、「おお! この通訳者誰だ? 名前は? 次も頼もう」と思っていただけるように、挑戦者としてのぞむようにしています。もちろん、常に良い結果は出ませんが、自分が納得できるところまで力を出し切っていれば、ああ、相性が合わなかっただけだ、とか、このクライアント様とはご縁がなかっただけだとスッキリ切り替えできます。

プロ野球やサッカーとは比べられないかもしれませんが、やはり「チームの勝利=会議やビジネスの成功」に不可欠な通訳者と思ってもらえるように日々精進だなと思います。

【原文&平井さんによる英語訳を紹介!】
2023年NHK杯 鍵山優真選手のキス&クライでのインタビュー

今回は、NHK杯で鍵山優真選手が最終滑走での「緊張感」について触れたインタビューの原文と英語訳を紹介します。
鍵山選手が日本語で答えたものを、国際放送用に英語に訳したものです。生放送(国内)だったので、尺を意識しながら訳出しました。インタビュアーの質問の言葉は割愛しています。

鍵山選手の回答①(質問:大会の結果について)
そうですね。まあ、終わるまで結果は気にしてなくて、とにかく今日は自分のやるべきことにしっかり集中してやろうと思っていたので、まあ、アクセル転んでしまったのはすごく悔しいのですけれども、それ以外の要素は落ちついて出来たと思うので、まあ、また次に向けて頑張りたいと思います。

平井さんによる英訳①
Until I was done, I didn’t really think about the outcome. I just needed to focus on what I needed to do on the ice today. Of course, the fall on the axel was a disappointment but I was able to calmly execute all the other elements. So, I’ll just focus and do much better in the next competition.

 

鍵山選手の回答②(質問:僅差で追われる身での最終滑走について)
そうですね。まあ、あの、この大きな大会での最終滑走はすごく緊張していたんですが、まあ、今までネイサン選手の次とか滑っていたので、メンタル的には全然大丈夫だったんですけど、あの、今日はとにかく自分に集中してやることができたので、あの、まあ、また宇野選手と一緒に滑ることができて楽しくて、嬉しかったですけど、またファイナルで一緒に滑れるのが楽しみです。

平井さんによる英訳②
It’s such a large competition and skating last makes you nervous but I’ve been skating after Nathan as well, so mentally I was OK. Today, I just focused on everything I needed to do and I was able to do all that. It’s just so much fun and a pleasure to be skating with Shoma at the same competition and I get to do that again at the Grand Prix Final so I’m looking forward to it.

 

鍵山選手の回答③(質問:初のGPFについて)
そうですね。ファイナルももっともっとレベルアップして今度こそはショート、フリー、パーフェクトで行けるように、そして、前大会中止になってしまった悔しさも含めて全てのエネルギーを使っていけるように頑張ります。

平井さんによる英訳③
Well, it’s going to be a really great Final. I hope to improve much more than today. I hope to put on a perfect… both Short Program and Free Skating. There was so much disappointment when the last one got cancelled so I want to put all my energy into it.

★前回(第5回)の記事はこちら

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平井美樹
平井美樹Miki Hirai

会議通訳者兼スポーツ通訳者、 日本スケート連盟通訳者。学生時代にESPN Sports Centerを翻訳するアルバイトから通訳の道に入る。NHKの大リーグ、NBA、NFL放送の通訳スタッフ、広告代理店の社内通訳を経て、現在はニュース、国際関係、安全保障、企業買収からエンタメ、相撲の英語放送までをこなす放送・会議通訳者。五輪やサッカーW杯、ラグビーW杯にも通訳として関わるほか、日本スケート連盟の通訳者でもあり、数多くのフィギュアスケートの大会で通訳を務める。日本から海外へのPR、エグゼキュティブ向けグローバルコミュニケーションコンサルタント、企業からアスリートまでのメディアトレーニングも手がける。