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2023.12.14 UP

会議通訳者 橋本美穂さん
~Interview with Professional~

会議通訳者 橋本美穂さん<br>~Interview with Professional~
※『通訳者・翻訳者になる本2020』(2019年1月発行)より転載。

「ピコ太郎」のギネス認定記者会見で、駄洒落をサラリと通訳して話題になった。
その「凄ワザ」は紛れもなくトッププロの証。
意外なきっかけで通訳者に転身した「これまで」を語ってもらった。

「絶対、あなたは通訳者に向いている」
この一言が私の人生を変えた

2018年5月にバラエティ番組に出演し、企画としてお笑い芸人「くっきー」の「疑似記者会見」を通訳した。独特のくっきー節をよどみなく英語に変換していく様子は、凛として第一線の通訳者そのもの。話者がリズムに乗せて「ア・イ・シ・テ・ル」と発すれば、「I-love-you-ho-ney!」と同じ拍数でまとめてみせる。かと思えば、一緒になっておちゃめなポーズを決めたり。

「もちろん、あれは“通訳業務”ではありません(笑)。でも一般の方が通訳に興味を持ってくださるのは、絶対にいいことだと思うんですよね」

日本外国特派員協会で「ふなっしー」や「ピコ太郎」が記者会見した際、その通訳を務めたことで一躍注目されるようになった。だが、通訳者としての主戦場はあくまでビジネスの現場。担当者レベルの社内ミーティングから、企業間交渉、大企業トップの記者会見まで、さまざまな現場に対応している。月平均の受注数は40件で、1カ月の休日は4日ほど。繁忙期には「請ける仕事より断る仕事が増えてしまう」という、キャリア13年目の売れっ子だ。


「会議通訳者・橋本美穂」が世に知られるきっかけとなったのが、日本外国特派員協会での通訳。当時人気絶頂の「ふなっしー」や「ピコ太郎」の記者会見で、アドリブや訳しにくいと思われる台詞を、ニュアンスを壊すことなく大胆に通訳する手腕に、注目が集まった。
(写真提供/公益社団法人 日本外国特派員協会)

大企業での成功をめざし
会社をやめるつもりはなかった

6歳から11歳までをアメリカで過ごした帰国子女。商社に勤め、国際舞台で活躍する父親に憧れて育った。その背中を追って商社に進むつもりだったが、父から「今はまだ男性社会。美穂の活躍は難しい」と諭され、大学卒業後は大手メーカーに就職した。

新製品のプロジェクトマネージャーを務め、日常的に米国の協力企業と英語で連絡を取り合う毎日。そんなある日、上司から各国の販売会社幹部が集う会議の通訳を頼まれた。自社の話だし、英語もできるから大丈夫。そう楽観的に考えて臨んだが――

「幹部が使う言葉にはなじみがなく、通訳の役割をまったく果たせませんでした。とても悔しかったし、申し訳なかったです」

通訳ができない理由を探ろうと、通訳学校に入学。そこで初めて『語学力≠通訳力』ということを知った。入門クラスから最上級クラスまで進級し、ほぼ最速の3年で卒業。プロとして通用する逐次・同時通訳のスキルを習得したが、「グローバル企業で力試しをしたい」という思いにブレはなかった。

だがいくら昇格試験に合格しても、なかなか責任ある仕事は任せてもらえない。フラストレーションがたまる中、「何か違うことをしてみたら?」と夫に言われるまま、翻訳コンテストに応募。優勝を果たしたことで翻訳がおもしろくなり、翻訳のアルバイトでもしてみようと、ネットで見つけた通訳・翻訳エージェントに面接を受けに行った。
 
ところが、応対した女性社長は履歴書を見るなり、「あなたはどう見ても通訳者でしょ。絶対に向いてる」。急きょスキルチェックを受け、サラサラと訳してみせると、「すぐに会社を辞めて通訳をしてほしい」と口説かれた。今ちょうど外資系飲料メーカーから社内通訳者の派遣要請が来ていて、ぜひあなたを推したい、と。

「会社を辞めるつもりはないとお断りしたんですが、『あなたなら絶対できるから』と一歩も引いてくれず(笑)」 

結局、9年勤めた企業の退職を決断。2006年4月に外資系飲料メーカーの社内通訳者になった。社内用語などを先輩通訳者に教わりながら、各部署のミーティング、社長スピーチ、他社との会議、市場視察、イベントなど、あらゆる場面で通訳した。場数を踏む中でスキルは磨かれ、確たる自信に。そして1年後、契約更新はせずに独立する道を選んだ。

「『ホアンの物語 成功するための50の秘密』という本を読み、大企業での活躍がすべてではなく、一人で成功を追い求めることにも醍醐味はあると気づいたんです。それを行動に移せたのは、初対面で私のポテンシャルを見抜き、強引に私を通訳者にさせた(笑)エージェントの社長さんのおかげ。今もいいお付き合いをさせてもらっていますが、感謝しかありません」

※『通訳者・翻訳者になる本2020』より転載(2019年1月発行)  取材/金田修宏

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橋本美穂さん
橋本美穂さんMiho Hashimoto

1975 年、米テキサス州ヒューストン生まれ。1歳から6歳までを東京で、6歳から11歳までをサンフランシスコで過ごす。慶応義塾大学総合政策学部卒。大手メーカー在職中、通訳者養成学校に3年間通って通訳を学ぶ。2006 年に同メーカーを退職し、大手飲料メーカーで1年間、社内通訳に従事。2007年にフリーランスとなり、現在に至る。得意分野は金融、IT、マーケティング。外国特派員協会の通訳も務める。これまでに担当した案件は5000件以上。