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2023.06.01 UP

第10回 アルゼンチン ブエノスアイレス
相川知子さん(仕事編)

第10回 アルゼンチン ブエノスアイレス<br>相川知子さん(仕事編)
※『通訳・翻訳ジャーナル』2023年冬号より転載

海外在住の通訳者・翻訳者の方々が、リレー形式で最新の海外事情をリポート! 海外生活をはじめたきっかけや、現地でのお仕事のこと、生活のこと、また、コロナ下での近況についてお話をうかがいます。

アルゼンチンの地でスペイン語通訳者・翻訳者として活躍

相川知子さん
相川知子さんTomoko Aikawa

広島県出身。スペイン語通訳者。愛知県立大学外国語学部スペイン学科ラテンアメリカ諸地域専攻後、JICAの海外開発青年プログラムにより永住ビザでアルゼンチンに渡航し、日本語・日本文化普及に従事。スペイン語通訳、翻訳、語学教師、旅行コーディネーター、日本のTV番組の撮影通訳現地コーディネーター、アルゼンチンに関する記者活動、ラジオ出演、特派員などを務める。NHKラジオ「ラジオ深夜便」、「マイあさ」レギュラー出演。水村美苗著『母の遺産』スペイン語版『La herencia de la Madre』(アドリアナ・イダルゴ出版社)翻訳者。
ブログ:http://blog.livedoor.jp/tomokoar

派遣プログラムをきっかけにアルゼンチンに移住

10代の頃からスペイン語とラテンアメリカの歴史に関心があり、愛知県立大学外国語学部スペイン学科に進学し、ラテンアメリカ諸地域研究を専攻しました。大学でスペイン語と英語の中学・高校教員免許を取得するかたわら、日本語教師にも興味が出て勉強をはじめ、1991年にJICAの派遣プログラムで、日本語教育と日本文化振興のためアルゼンチンに渡航。元来内向的な性格のため、ゆくゆくは人と話さずに済むであろう翻訳家になりたいと思っていましたが、スペイン語の上達には話さなければならないことに気づき、さらに日本語教師として生徒らと話す必要もあり、気がついたらスペイン語通訳者となって、早32年になります。JICAの派遣期間は3年間でしたが、入国時に永住ビザが付与されたため、そのままアルゼンチンで暮らし続けています。

通訳をはじめたのは、日本語教育の現地調査や指導をする専門家の先生にアシスタントとして同行した際に、現地の人々との通訳を私が担当したり、派遣先での会議で通訳を頼まれたり、といったことがきっかけでした。ちょうど派遣期間が終わる1994年に、アルゼンチン鉄道会社(当時のアルゼンチンの国鉄)の民営化に際して、日本のJRからエンジニアの方が来亜されるため、日本語とスペイン語の通訳者を探していると声をかけられました。派遣期間終了後はブエノスアイレス教育大学の言語科学修士課程への進学が決まっており、現地で生計を立てることが可能な仕事を探していたため、わたりに船と、鉄道会社の社内通訳・翻訳者として働きはじめました。

当時は日中は会社に勤め、午後6時か7時から10時くらいまでの大学院の講義に毎日通っていました。最初の社内通訳の仕事は半年ほどでしたが、その後も国や企業の事業などで通訳を依頼されるようになり、大学院の修了後も通訳と翻訳の仕事を続け、今に至ります。

日本の大手鉱業会社の代表がアルゼンチンのサンフアン州知事を公式訪問した際の通訳を務めた。左手奥が相川さん。

あらゆる分野に対応しテレビ取材の手配もこなす

アルゼンチン在住のため、日本語の通訳・翻訳需要があればどんな分野でも対応するようにしていますし、毎年依頼される案件も常に新しい気持ちで取り組んでいます。特に多いのは、政府関係の表敬訪問や調査訪問、多国籍企業の会議、製薬業界の査察通訳など。農園や食品工場にも興味があって、大学院に行って品質管理・国際貿易・食品ロジスティクスについても学びました。常に知識をアップデートするよう心がけています。

仕事の例を挙げると、コロナ禍の前の話になりますが、ウルグアイのIT企業、GeneXusが開催する「GX」という国際会議で数年間同時通訳をしていました。この会議はブエノスアイレスからフェリーで3時間ほどの、対岸ウルグアイの首都モンテビデオで数日間にかけて行われます。最先端のIT関連情報を扱い、専門家が一堂に会するのでとても難しいですが、大変勉強になる内容でした。アメリカから来たアップルの元関係者の方が登壇されたときは、英語・スペイン語・日本語のリレー通訳も行いました。

GeneXusのIT国際会議「GX」の通訳ブース。

また、日本のテレビ番組などの通訳兼撮影コーディネーターの仕事もコロナ前はよく入ってきました。アルゼンチンだけではなく、隣のウルグアイ、パラグアイ、チリを中心に、ときにはブラジルやペルーまで、広くラテンアメリカの撮影コーディネーションを行います。例えば「世界ふしぎ発見!」(TBS)のような番組では、ネタだしや、番組内のクエスチョンなども一緒に考えます。撮影内容に関する事前資料を作るために膨大な資料を読み、一部を翻訳し、スケジュールを作成し、見積もりを出します。そして、出演交渉や撮影許可を取り、また必要なものを準備し、ロジスティックを考えます。その後、日本からの撮影クルーが到着したら、入管から税関、そして宿泊先での手続き、撮影の段取りやインタビューの通訳、事実関係の確認など細かい仕事がたくさんあり、通訳に限らず何でもやる、という感じです。

2020年に亡くなったディエゴ・マラドーナの追悼番組の取材にて。彼が家族で暮らした家に作られた祭壇。

アルゼンチンと日本の橋渡し役として

こちらは日本とは習慣が違ったり、同じ言葉でも意味が異なることがあるので、文化の面も含めて、アルゼンチンと日本の意思疎通の橋渡しをする必要があります。例えば、サッカーでアルゼンチン代表の重要な試合があるときは文字通り国中が止まるため、予定がかぶるようならスケジュールを変えなければならない…など、日本の方が驚くようなことも多いです。また、日本の皇室の方が臨席されたレセプションなどの通訳では、アルゼンチンの方の気さくな話し方をそのまま訳すと言葉づかいが失礼になってしまうので、気を使いました。

2002年日韓ワールドカップの際には、訪日したマラドーナ一行の同行通訳を担当。その際の記念の一枚。

仕事の際は、現地の人たちの何気ないことが、日本の方々にとって悪い印象とならないように気をつけています。また、通訳では右から左に訳すのではなく、クライアントに事前に目的などを教えてもらって、パートナーとしてそちらにもっていけるように心がけています。もっとも、アウトオブコントロールになることも多いですが、それはそれでお互いにいい経験です。双方が私の存在を忘れるくらい、スムーズにやりとりして下さるのが、通訳者として一番の喜びです。

突発的に通訳を担当することもしばしば。この時はホッケー日本女子代表のドキュメンタリーの取材に行っていて、記者会見の通訳を頼まれた。

<ある1日のスケジュール>

6:30 起床。アルゼンチン名物のマテ茶を飲み、身支度をする
7:30 クライアントの送迎車で通訳現場へ

*車の中でパートナー通訳者との打ち合わせ、資料の読み込み、用語や表現の確認をする。
9:00 査察通訳
*パートナーとは20~30分ごとに交代。工場などの査察では基本的にずっと立って、歩いて移動。
12:30 昼休憩
13:30~17:00 査察通訳の続き
18:30 送迎車で帰宅
20:00 夕食

*アルゼンチンでは大体20時以降に夕食をとる。遅い時間に飲食店の宅配を頼むことも可能。
24:00 就寝

後編「生活編」の記事は
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