• 翻訳

2023.05.26 UP

第17回 外国語を学習すると偏見に気づきやすくなる話

第17回 外国語を学習すると偏見に気づきやすくなる話

英語のみならず、独語、仏語、西語、伊語、中国語を独学で身につけ、多言語での読書を楽しんでいるという作家・翻訳家の宮崎伸治さんに、多言語学習の魅力を余すところなく語っていただきます!

外国語学習は自らの偏見を取り除き、全く新しい視点を獲得できる

誰しもがそれぞれの偏見を持っている

前回、「外国語を学習すれば、それによって『新たな視点』に触れることができるわけですから、自らの偏見に気づきやすくなるのです。私はそこに大きな魅力を感じているのです」と述べました。今回はこの点について深掘りしてみましょう。

***************************

多くの人はとかく“慣れ親しんだもの”が普通であり、“見慣れないもの”は普通でないと思いがちではないでしょうか。「いままでずっとそうしてきたし、それで特に問題は生じなかった」という“慣れ親しんだもの”は、リスクを冒したくない人にとっては安心感が得られる魅力的なものでしょう。

しかし“慣れ親しんだもの”を普通だと思い込むことは危険な側面もあります。慣れ親しんでいることは慣れ親しんでいるというだけに過ぎず、そこに絶対的な価値があるわけではないからです。もしかするとそれ自体が間違っている、あるいは間違ってはいなくても他にもっと合理的な方法があるということは十分あり得ることです。

逆を考えてみましょう。“見慣れないもの”が見慣れないからという理由で間違っている(または価値が無い)ということになるでしょうか。これを検証するため、ここで興味深い例を挙げましょう。私がイギリス留学中に経験したことです。


留学中、ホームステイしていた私はイギリス人夫婦と中学生の男の子と同じ屋根の下に暮らしていました。彼らはイギリスで生まれ育った純イギリス人で海外滞在経験があるとも聞いていませんでした。だからからか日本から来た私を“変だ”と思うことが多々あったようです。イギリス人夫婦は「日本ではそんなことするの?」と“質問”をすることはありましたが、中学生の男の子は遠慮も忖度もありません。自分が“変だ”と思うことがあれば、すぐに口に出して騒ぎ立てるのでした。

一番印象に残っているのはカップラーメンを見たときの彼の驚きようです。ある日、日本から送ってもらったカップラーメンを食べている私を見た彼は「わ~、茶色のスープだ、汚い、汚い」といって騒ぎ立てました。何度「日本ではこれが当たり前だ」と説明しても、まったく信じる様子がありませんでした。でも、“見慣れないもの”に対する反応って、そんなものなのかもしれませんね。かくいう私だって見慣れないエスニック料理は食べる勇気が湧かないことがありますから。

もう一つ強烈に印象に残っているのはマスクです。2020年に勃発したパンデミックによって今ではマスクは“見慣れないもの”ではなくなりましたが、私が留学していた当時はイギリスではマスクは「医者が手術するときに付けるもの」であり「一般人が付けるもの」ではありませんでした。そういうわけで日本から送ってもらったマスクを付けている私を見たイギリス人たちは「なぜそんなもの付けているの?」とか「馬鹿みたい」と驚くばかりでした。

では、ここで振り返ってみましょう。カップヌードルの茶色のスープを飲むことが「間違っている(または価値がない)」ことでしょうか。違いますね。ホームステイ先の男の子の目に「間違っている」と映ったかもしれませんが、それはそれだけのこと。喜んで食べる日本人はごまんといます。ではマスクを付けることが「間違っている(または価値がない)」ことでしょうか。これも違いますね。事実、コロナ禍においては世界中の多くの人がマスクを付けていました。

“自分の価値観”に普遍性があるとは限らない

このように価値観というものは時と場所によってコロコロ変化するものであり、自分が“慣れ親しんでいるか否か”が絶対的な価値判断の基準にはならないのです。もちろんだからといって価値観をもってはいけないというつもりはありません。というより、だれもが「これは良い」「これは悪い」といった価値観をもって生きてはいます。

しかし気を付けなければならないのはその価値観はあくまで“自分の価値観”であり、普遍性があるとは限らないということです。それを弁えておかないと、“見慣れないこと”をやっている人を見たら「この人はおかしなことをしている」と非難したくなることでしょう。しかしそのような心的態度をもつこと自体、他者との間に壁を作る原因になるのです。

あなたは他人と仲良くやっていきたいですか? それとも「この人はおかしい」とか「あの人は理解できない」といって他人との間に壁を作って生きたいですか? みんなと仲良くしたいのであれば、他人との間に壁を作らないよう自らの偏見を取り除く努力をしなければなりません。

外国語学習をすれば“見慣れないこと”に否応なしに遭遇することになりますから偏見を取り除く良いきっかけになります。もちろん外国語学習だけが偏見を取り除く機会というわけではありませんが、とかく外国は日本とは違うことだらけなのですから、外国語を学習すればそれだけ偏見を取り除く機会をより多く持てることになります。

丸山圭三郎氏も『言葉とは何か』(ちくま学芸文庫)の中で「外国語を学ぶということは、すでに知っている物事や概念の新しい名前を知ることではなく、今までとはまったく異なった分析やカテゴリー化の新しい視点を獲得すること」と述べています。外国語学習を単なる“実利的メリットを享受する手段”とか“楽しむだめの手段”で終わらせてしまうのは、非常にもったいないことなのです。

それでは次回から、あっと驚くような外国語の世界を見ていきましょう。

★前回のコラム

作家・翻訳家 宮崎伸治
作家・翻訳家 宮崎伸治Shinji Miyazaki

著書に『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記』(三五館シンシャ)などがある。ひろゆき氏など多くのコメンテーターに対して翻訳業界の現状を語る番組に出演した際の動画が無料で視聴できる。https://abema.tv/video/episode/89-66_s99_p3575(ABEMA TV)。また「大竹まことのゴールデンラジオ」に出演したときのようすが、次のリンク先のページの「再生」ボタンを押すことで無料で聴くことができる。http://www.joqr.co.jp/blog/main/2021/03/110.html